この前、NHK「クローズアップ現代」でゲーミフィケーションの話題をしていた。

ゲーミフィケーションってなに?っていうと、既存の仕組みに「ゲーム感覚」をうまく取り込んで目的達成を図る取り組み、って感じかな。紹介されていた例だと、社内の評価制度に「いい感じの仕事をした人に”バッチ”を贈り合う」仕組みを取り入れたり、タンパク質の構造を解明するために分子構造をうまく作ると高得点というゲームを作ったら世界中の人がプレイして3週間であっさい解明した、とかだったり。

ゲーム感覚すごいじゃん、って感じですが、その後に「今後の課題」として取り上げられていたのがこんな例。

イギリスでは犯罪抑止のために街中に無数の監視カメラが設置されている。ところがあまりに数が多いので、カメラの映像をチャックすることができない。そこである会社が「ネット経由でカメラを監視して、万引き犯を見つけた人に報酬を与える」というサービスを始めた。見つけたらボタン早押しで通報する仕組み。

提供元は店側から利用料を得て、一部を「監視員」に報酬として渡す。店側は万引きの減少が期待できる。「監視員」はゲーム感覚で通報して報酬を得る。

お金が儲かって犯罪も経る。全体としてはいい感じに見える。でも道徳的にちょっとどうなの、という議論がある。監視カメラに写っている普通の人のプライバシーの問題もあるし、ゲーム感覚で犯罪者を捕まえるのは是か非か。なんか直感的にダメなような気がするけどうまく説明できない。
 

この番組を見ていて、今読んでいる『これからの「正義」の話をしよう』を思い出した。

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

  • 著者/訳者:マイケル サンデル
  • 出版社:早川書房( 2011-11-25 )
  • 新書:475 ページ
  • ISBN-10 : 4150503761
  • ISBN-13 : 9784150503765
  • 定価:¥ 945

ちょっと前に話題になったサンデル先生の白熱教室のあれ。最近文庫化されました。当時興味があったけど触れてなかったので、この期に読んでいる次第。とても刺激的でおもしろい。
 

「正義」には3つのアプローチがある、と最初のほうでサンデル先生は言う。

幸福と、自由と、美徳。

全体的にみんな幸福になればいいじゃない、という正義。自由な言動を守るのが大事じゃない、という正義。人として徳のある行動をするべきじゃない、という正義。

どれも「正しいことをする」という根っこはあるけど、突き詰めるとどうしてもぶつかり合って切り離せない。そこをどう折り合いをつけるのか(あるいはつけないのか)を、過去の様々な哲学者たちの言説を紹介しながら巡っていく。
 

「監視員ゲーム」の話に戻ると、お金も儲かって犯罪も減っていいじゃない、というのが「幸福」のアプローチ。功利主義と呼ばれる。とにかく結果的に幸福度があがればよし。でも損をする人は切り捨てるし、そもそも「幸福度」ってどうやって図るの?

ゲーム感覚だとしてもそれでお金を得るのは自由、でも罪のない人が監視されるのは自由じゃない。その人の行動はその人によって選ばれるべき、という「自由」のアプローチ。自由という響きはいいけど、行き過ぎると何やってもいいじゃん関係ないし、みたいなことになる。

監視やゲームの対象となるのことは人間の尊厳に反する、という美徳のアプローチ。人として美しいこと正しいことを追求する。でも美徳とは何か、を定義するのが難しい。
 

混ざり合う幸福/自由/美徳。どれが欠けてもどれが行きすぎても歪みが生じる。いくつもの事例(ホントに悩ましい出来事ばかり!)を混じえて、様々な哲学を当てはめ紹介していく。難しいけど、こちらもすごい考える。

世の中、結論は出ないけど結論を出さないといけないことが次々現れる。日々のニュースを見ていてもそんなことばかり。

「正義とはなにか」は紀元前アリストテレスの頃から考えられていることで、一つの結論が出ているわけではない。でも、いくつもの考え方を学んで、「自分の正義」を形作るのは大いに意味があると思う。
 

まさに、これから「これからの『正義』の話をしよう」の話をしよう、である。
 

あと、ちゃんと最後まで読もうと思う。
 

 

「お座り下さい」と言われたら座る。

面接で必ず出てくるマナー。部屋に入ると椅子が置いてあって、その横に立って、「お座り下さい」と言われるまで座らない。

なんというか、もう「お約束」みたいなものだけど、面接官サイド以外ガランとした部屋に椅子がポツンと置いてある光景って、ちょっと罠っぽい。そして中途半端でいやらしい。いっそもっと罠っぽくしたらどうか。

椅子が2つある
赤と青の椅子。どちらに座れとは言われない。適当に選んで座ると面接官が「ほぉ…」「そっちね…」とか言いながらなんかメモる。

椅子がない
悩んだあげく床に正座で座ると「楽にしてください」とまた悩ましいことを言われる。

机が置いてある
言われたとおりに座ると学校の休み時間に雑談してる雰囲気になる。

「座るなよ!絶対に座るなよ!」と念を押される
上島的な何かかもしれない。椅子が壊れる?それとも電流が?

実は「『おすわり!』をください」という意味
ドM面接官の犬プレイに付き合わされる就活生。

「その椅子に座れば地下牢の少女が解放されるが、君は不合格になる。座らなければ面接は通常通り行われ、合否も面接次第だが、少女は幽閉されたままだ」
就活も大事だが少女が気になる。立ったままでも合格するとは限らない。座れば確実に不合格だが少女は助かる。しかし少女とは面識もなくこちらになんの恩恵もない。しかし…しかし…。
 

がんばれ就活生!汚い大人たちに負けるな!
 

 

日本のテレビ事業が縮小している。

海外メーカーに押されてか、あちこちの大企業がテレビ事業から撤退している。地デジ化で「テレビ買わなきゃ!」ってみんな欲しがったて、安いの買う!ってなって、じゃぁ安くしなきゃ!ってなって、結局儲からなくなってる。なんだかなぁである。

たぶん「大画面」とか「薄型」とか「高画質」がもう限界なんだと思う。行けるとこまで行っちゃったもんなー。そんで「3D」とか、来なかったなー。もっと大画面にされてもなー。荒井注のカラオケボックスみたいになっちゃう。

※豆知識:荒井注はカラオケボックスを経営しようとしたことがあり、店舗を建てたものの、発注したカラオケ機材が大きくて個室のドアから搬入できず、大損したことがある。

一旦、荒井注の話はここに置いておきますよ!後で取りに来てね!

で、何かで聞いたんだけど、インドで売れてるテレビは常に画面にクリケットの情報を表示できるらしい。インドではクリケットが大人気なので、常に結果が気になるかららしい。

次の「すごいテレビ」って、「デカい!」とか「きれい!」とか万人が共感できるものじゃなくて、一部の人に「これこれ!」と言われるローカルな価値を付けたものになるんじゃないかなぁ。万人が欲しがる1つのテレビ、より、千人に欲しがる10種類のテレビ、って感じで。

テレビに限らず、「万人にウケる1個より、千人にウケる10個」って大事な考え方になってきてると思う。100人にウケる100個でもいい。

モノと情報が多くなって、好みや価値観が細分化して、みんな気になるもの欲しいものが選べるようになってきて、そんでミリオンヒットは無いけれどアイドル戦国時代みたいな。

ドリフターズも今なら5人から48人まで増えているかもしれない。DRF48。なんかどっちかというとTRFっぽい字面。

結局荒井注を拾ってきてしまった。
  

 

いい国作ろう鎌倉幕府、じゃないらしい。

鎌倉幕府ができた年、と言えば「いい国(1192)作ろう鎌倉幕府」という語呂合わせでお馴染みの1192年と教えられてきた30代後半の僕。でも実は鎌倉幕府の成立した年には諸説あって、今は違う年になっているらしい。

1192年は源頼朝が征夷大将軍に任命された年なんだけど、征夷大将軍になる前から頼朝はもうけっこう権力を持っていたので、もっと逆上って、壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした年(1185年)を実質的な「鎌倉幕府ができた年」としているとのこと。今の教科書では。へー。

というわけで語呂合わせは「いい箱(1185)つくろう鎌倉幕府」になったらしい。

なんか国から箱にスケールダウンした気がする。箱物行政っぽいし。「いい国つくろう」を踏まえなくても別にいいと思う。

・「いい箱を つぶしてできた 鎌倉幕府」

・「いい箱が 頼朝狂わす 鎌倉幕府」

・「いい箱だけどお高いんでしょう?」「いやいや、鎌倉幕府にお任せを!」

・「いい箱 夢気分 ~鎌倉幕府~」

・「いい箱 よろしく 鎌倉幕府」

いい箱よろしくは紛らわしい。西暦11854649年になっちゃう。そうとう未来だからそうとういい箱だと思う。

 

娘四歳がおとうさんスイッチを作った。

「おとうさんスイッチ」をご存知ない方に説明しますと、Eテレ「ピタゴラスイッチ」のワンコーナーであり、

空き箱に五十音のいずれかの行の文字5つが書かれた手作りの「おとうさんスイッチ」を子供が押し、おとうさん(2004年以降は祖父・ひいおじいちゃんの場合もあり)がその文字からはじまる動きをするというコーナー。
ピタゴラスイッチ – Wikipedia

Wikipediaを引用したらすごく固くなった。とにかくそういうコーナーである。

この時点で冒頭の写真と説明が合っていないのにお気づきだろうか。ひらがなが10個ある。従来の装置の2倍の性能を持った装置を軽々と(軽々しく)生み出してしまった娘。

操縦側が2倍の性能を持ったということは、操縦される側も2倍の性能を持たねばならぬわけで、父親は「あ」から「こ」まで2倍の働きをし、しかも同じボタンに対し同じ動作をすると「それさっきやったー」と操縦者から不満の声があがる始末。2倍以上のハイスペック…。

このままおとうさんスイッチの高性能化が進んでしまったらどんな機能がついてしまうのだろう。

・dボタン

・一時停止ボタン

・スリープからの復帰(寝てると起こされる)

・ホームボタン(いつでもホームに戻る)

・「おとうさんスイッチ、ゑ!」

「ゑ」の答えなら大丈夫。「ヱビスビールを飲む」でいける。仕方ないなぁーヱビスを買わないとなぁー。
 

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