iPadって、江戸時代に踏み絵で使ってた石板ぐらいの大きさだと思う。
iPadいっぱいにキリストの画像を表示して、これが踏めるかどうかで隠れキリシタンを探すハイテク大名。もう一押しすれば落ちそうな農民にはiPadをフリップしてキリストの画像をアップにしたり賛美歌を流したりする。「隠れキリシタンもわかる、iPadならね」だ。
しかし、アップルの信者もiPadを踏めないと思う。上記の手順では両者の見分けがつかない。隠れキリシタンを見つけるためには、ちゃんと段取りを考えなければ。
(1)iPadにキリストの画像を表示する
→踏む:隠れキリシタンでもアップル信者でもない(END)
→踏まない:(2)へ
(2)iPadをフリップしてスティーブ・ジョブズの画像に切り替える
→踏む:アップル信者ではなく、隠れキリシタン(END)
→踏まない:(3)へ
(3)「これ(iPad)欲しい?」と聞く
→二の足を踏む:アップル信者ではない。(4)へ
→二の足を踏まない:普通に欲しいだけ?(4)へ
(4)キリストを掘った石板を用意する
→踏む:隠れキリシタンではない(END)
→踏まない:隠れキリシタンである(END)
結局アップル信者ではないことはわかるが、アップル信者だと確定することができない。難しい問題だ。
なんの話だったっけ。

気がついたらこの企画もう3年目ですよ(2008年/2009年)
今年もやってまいりました、「IKEAで売ってるぬいぐるみのセンスがおかしい」極彩色の動物たち、そもそも動物と思えない異形のものたち。みんなみんなワゴンに山積みにしていたIKEA。行ったときはちょうどセール中。あのぬいぐるみたちに変化はあったのか?
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舞台は京都でもなく新興住宅地、主人公は腐れ大学生じゃなくて小学生男子。森見登美彦、新境地。
小学四年生のぼくが住む郊外の町に突然ペンギンたちが現れた。この事件に歯科医院のお姉さんの不思議な力が関わっていることを知ったぼくは、その謎を研究することにした。未知と出会うことの驚きに満ちた長編小説。
というあらすじだけ見ても何がなにやら。「ペンギン」は何かの比喩なのかな?と思ったら、本物のペンギン。
主人公は小学生だけど、そこは森見登美彦らしく、とても理屈っぽい、ませた文系男子。「ぼくは小学四年生だが、大人に負けないぐらいいろいろなことを知っているし、努力をおこたらないが、将来はきっとえらい人間になるだろう。」こんな感じである。
このちょっと変な男子と、友達との冒険、女子との会話、ガキ大将からの攻撃、といった小学生の日常を描きながら、少しづつSFでファンタジーな要素が入り込んでくる。タイトルはペンギン・ハイウェイだけど、事件はペンギンだけじゃ全然終わらない。住宅地は少しづつたいへんなことになっていく。
この「少しづつ」たいへんなことに、というのが実はポイントだと思っている。次々事件を起こして読者を退屈させない方向に持って行くこともできるけど、このお話はあくまで「少しづつ」。誰もが抱いた子供のころの不安(死んだらどうなるの?とか)や、信頼できる大人たちとの会話、哲学的なやりとりや、ちょっとした思春期の芽生えなんかも散りばめて、森見登美彦流の「少年時代」をたっぷり書いてくれる。それはとても暖かく、いとおしい。
最初は、こんな男子ホントにいたらかわいくないだろうなー、という印象なんだけど、読み終わることにはもう、ギュッと抱きしめて頭をなでてやりたくなる愛しさ。ひと夏の冒険。ちいさな恋。またひとつ、森見登美彦に引き出しが増えた。それはとても嬉しいことだと思う。
「吾輩は猫である。名前はまだない」
夏目漱石『吾輩は猫である』の有名な出だし。吾輩は、とか意識をもつくらい育ってるのに、名前がまだついてないのって逆にすごい。「名前はまだない」をいろんな作品にくっつけたら、おもしろいことになるんじゃないだろうか。
「親譲りの無鉄砲で子供の頃から損ばかりしている。名前はまだない」
「働けど働けど 我が暮らし楽にならざり ぢっと手を見る。名前はまだない」
「ある朝、グレゴール・ザムザが不安な夢からふと覚めてみると、ベッドの中で自分の姿が一匹の、とてつもなく大きな毒虫に変わってしまっているのに気がついた。名前はまだない」
「それはいつ生まれたのか誰も知らない。 暗い音の無い世界で、ひとつの細胞が分かれ増えていき、三つの生き物が生まれた。彼らはもちろん人間ではない。また、動物でもない。 だが、その醜い体の中には正義の血が隠されているのだ。名前はまだない」
「見知らぬ、天井。名前はまだない」
「体は子供、頭脳は大人!名前はまだない」
「室井さん聞こえるか、名前はまだない」
「メロスは激怒した。名前はまだない」
メロスって言ってんのに。
Twitterで【にせオシム】語録で遊びすぎてしまいました。
いかにもオシムが言いそうな言葉を考える【にせオシム】(まとめはこちら→#niseosim)だいぶ量産してしまったので、こちらにも置いておきます。
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落としたのは金の斧だ、と言うくらいの攻めがほしいところだ。
(ハーフタイム中に)お湯とありったけのタオルを!
止まない雨はない。明けない夜はない。そして、終わらない二次会もないのです
今の日本の理想と現実は、川崎と新川崎くらい離れていると言わざるを得ない。
カラオケで一曲目にサライを歌いますか?それと同じ事です。
熱くなることは時に愚かなことです。シューゾー・マツオカに伝えてください。
(難しい表情のまま、挑発的に足を組み替える)
サンマ・アカシヤが出すパスはパスとは言わない。ピッチに不安な空気を持ちこんで、どれほどの点が取れますか?
うお座は11位です。
あなたが使っている最寄り駅が、本当に最寄りだと思っているのですか?
パラグアイとウルグアイの戦力は大いに異なります。Googleとgooは同じものでしょうか?
(椅子から立ち上がり、コマネチ。首をひねりながら着席)
4年…決して短くはない歳月です。SPEEDはデビューから解散まで3年8ヶ月でした。4年間の重みを胸に刻むべきです。そして、代表メンバーは SPEEDのように再結成などしないことも。
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ちなみにサッカーにもオシムにも全然詳しくありません。勘で書いています。はたして面白くなっているのだろうか…。
著者本人が講義を行っている、明治学院大学国際学部「言語表現法」。13日間にわたる講義書き起こし(ただし1日だけ休講あり)
どうしたら「自分の文章」を書けるようになるのか?生徒たちの熱い気持ちにこたえて、タカハシ先生が画期的な授業をおこなった。「感想文」は5点でかまわない。「自己紹介」は自分を紹介しないほうがずっと面白い。最高の「ラブレター」の書き方とは?「日本国憲法前文」とカフカの『変身』をいっしょに読むと何が見えてくるのか……。生徒たちの実例文も満載。読んでためになる、思わず参加したくなる楽しい文章教室!
「文章教室」のふれこみなんだけど、文章の書き方はいっさい教えないし、生徒が書いた文章もいっさい添削をしない。
国語的に、文学的にいい文章が「名文」とは限らない。ここでは生徒たちに出す課題を踏まえて、文章を巡る様々な考察が語られる。「書く」ことと「読む」こと、文章を読まれるということ、「ことば」が持つ力と使い方…。まさに「書く」ことの教科書であり、「名文」を巡る小説のようにも読める。
「ことば」とは、「わたし」という名の「牢獄」から放たれた一羽の鳩であると著者は言う。「ことば」を足に括りつけ、囚人に届かせることができる鳩であると。書くことは「わたし」と解き放つ。と、同時に、書いたものを読んだ「わたし」はまた「わたし」の中に入る。書くことと読むことは、永遠に繰り返されるのだ。
あと、あとがきで、生徒の文章を添削しない理由が改めて書かれていて、「教えれば教えるほど文書は下手になる」と語られる。「10年以上前に小学5年生に文章を教えてことがあるが、教える必要なんてなくて「名文」のオンパレードだった。しかし、中学に進学した彼らの文章は病人みたいになっていた」というエピソードも語られる。
これで思い出したのが、以前感想文を書いた『きいてね!おてて絵本』
(※過去エントリ:お腹がよじれる!子供たちの創作おはなし集 サトシン監修『きいてね!おてて絵本』 | イノミス。子供たちが繰り出す文章は確かに「名文」揃いだった。
「わたし」を解き放ち、自由になること。それが「名文」に近づくひとつの道なんだな、と思う。
以前、『オラ東京さいくだ』の歌詞を標準語に直すと、なんかすごく悲しくなる というのをやったのですが、似たようなのをちょっと軽めのもので。
なんでも「!」と「…」(3点リーダ)を多用するとカイジっぽくなるんじゃないかなぁ、と思っていろいろ試していました。
それではお聞きください。「富士サファリパーク」
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ホントに、ホントに、ホントに…ホントにライオンだ………!!
近すぎちゃって、どうしよう……。
……カワイくって……どうしよう……!!!
富士サファリパーク…!
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賭けに負けるとライオンが檻から放たれるんだけど可愛くってどうしよう、という感じに。
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