140字で話が途切れがちになる

最近人と話していて気になるのが、自分の話が140字くらいで途切れがちなこと。

なんか1つエピソードがあったときに、1ブロックに落ちまでつけてまとめて話している気がする。ちゃんと記録してないのであくまで「気がする」だけど、なんかまとまっている気がする。

話がコンパクトにまとまっているならいいじゃないか、とも思うのだけど、なんかこう、考え方までコンパクトになって長いスパンで考えることに慣れなくなってしまうんじゃないかというのが怖い。Aがあって、Bもあって、Cもあって、でもDがあるけど、EがあるからAなんだよね、みたいな、じっくりと考えることができなくなりそうなのが怖い。「Aだよね。Dだけど」くらいに終わりそう。

清水義範の短編に「百字の男」(『深夜の弁明』に収録)っていうのがある。新聞の番組紹介欄を100字で書く仕事をしている男が主人公で、なんでもかんでも100字でまとめてしまう職業病になってしまう。これ、今の時代だと「140字」になるだろうなぁ。Twitterに慣れすぎてしまうと、会話の1単位が140字になってしまうんじゃないか。

あれかなー、気の合う仲間とのエンドレスの飲み会みたいな、ダラダラ~っとしゃべってもいい場っていうのが少なくなったからかなー。回り道とか道草とか省いて、スタートから終わりまで「シュッとしゃべろう」と意識しちゃうのかなー。オチをつけないとーとか思うからかなー。というわけで、せめてブログでは1人でダラダラと書いてオチ無しに終わりたいのだった。いいのかオチがなくて。本当にいいのか。