ブルボン小林『ぐっとくる題名』

「ツァラトストラかく語りき」から「屁で空中ウクライナ」まで、古今東西58作品の「ぐっとくる題名」について語り明かす本。

「ゲゲゲの鬼太郎」はなぜ「ゲゲゲな鬼太郎」じゃないのか、「部屋とYシャツと私」は誰目線なのか。

うっかりすると通り過ぎてしまう「ぱっと見」の印象。助詞や構造を解析して、こういうことだと分析する 。「部屋とYシャツと私」だけで6ページも語ってしまう。

言葉ってホントに不自由だ。頭にイメージしているモヤモヤを誰かに伝えるとき、言葉という有限な形に変換しないといけない。モヤモヤをサンプリングしないといけない。「題名」を決めるとなれば、サンプリングしたものをさらに短く削らないといけない。

でも、うまくすれば、サンプリング後に削ったものでも、受け手が元のイメージを作り出せる。もっとうまくいくと、元のイメージ以上のものになる。

『ぐっとくる題名』では、一文字だけで印象が全然変わることを教えてくれる。「D坂の殺人事件」が「団子坂の殺人事件」だったらとか。

イメージを再現できるか否かは、ほんのちょっとの差。その「ほんのちょっと」が大事なのだ。

ぐっとくる名前といえば、この前街を歩いていたら、「SPA DEAD SEA」というスパを見つけた。死海の塩かなんか使うんだろうけど、どちらかというと「生きかえる〜」な場所に「DEAD」ってつけちゃうのスゴい。

あと、五反田で「プチ熟女」という店があったんだけど、あれは熟女手前の人が接客するのか、それともちっちゃい熟女が出てくるのか。

書を捨て街に出ても、ぐっとくるものばかり目に付いてしまう。

「一〇八問一〇八答大喜利 -五- 」に答えました

一息で言うと、 「108問の大喜利のお題を出すので、一問一答で答えてください」 といういたってシンプルな企画です。
「一〇八問一〇八答大喜利 -五-」開催概要 | 純豆腐のブログ

言うのはたった一息なのに、実行すると脳が死ぬことでお馴染みの「一〇八問一〇八答大喜利」。

去年も大変だったのに、また今年もやってしまいました。

死ぬほど長いですが、ご笑覧ください……。
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『2015本格ミステリ・ベスト10』に投票&コメントが載っています

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すっかりミステリから遠ざかってしまって、本すらも読めていない昨今でございます…。

そんな体たらくでありますが、ここ1年のベスト本格ミステリを決める原書房さんの『2015本格ミステリベスト10』に投票&コメントで参加させていただきました(献本ありがとうございます)

ランキング投票の依頼もいただいたのですが、そちらは辞退させていただきまして……なにを書いたかといえば、「古今東西みんなが愛した名探偵」というアンケート企画です。古今東西の名探偵から5人選んだアンケートを集計して、ベストランキングを決めるこの企画、僕も5人選ばせていただいております。

とは言え、あの人とかあの人は上位に食い込むだろうし、普通に選んだんじゃつまんないなぁ……と、「単発作品に出てくる名探偵ベスト5」という、ちょっとへそ曲がりな内容にしました。

しかし本を開いてビックリ、「全アンケート回答」で一つ上にいる市川憂人さんが同じ趣向でベスト5書いてるじゃないですか。やられた!と思ったんですが、2人とも全くかぶってません。思わぬところでコンビ芸を見せた形になりました。

もちろん本筋の国内・海外ベスト10や、インタビュー、座談会、映画・ネット・ラノベ・漫画・ゲームにいたるまで、あらゆるジャンルの本格ミステリを総括した一冊。あれもこれもやっぱり面白そうだなぁ……。読みたい読みたい。

たくさんの人がひとつのことをする動画に泣いてしまう

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今月で39歳になります。

ということは来年になったら40歳になってしまう。僕が子供の頃の40歳はこう、もっと大人で、もっとオッサンだったような。というか気がついてないだけでもう十分オッサンなのか。「不惑」だといういうのにマゴマゴしています。

年を取ると涙もろくなる、と言いますけど、僕もかなり涙腺が弱くなってきました。パッキンが劣化してるのかな。クラシアンに電話したほうがいいのかな。森末さん来ちゃう。森末さんって体操選手時代に「笑っていいとも」のテレフォンショッキングが回ってきて、でも当時のアマチュア規定ではバラエティ番組の出演は禁止されてて、それでも「いいとも」に出たいからその日に引退したんですよね。あー、その「いいとも」も今年終わったんですよね…。

あ、この人しみじみしてる、泣いちゃう!とご心配の方、安心ください。泣いてません。僕が今回泣いてしまうことをお伝えしたいのはですね、「たくさんの人がひとつになる動画」のことなんです。

例えばこれです。OK Goの新作MV、”I Won’t Let You Down”

冒頭にPerfumeがカメオ出演していることで話題になった動画ですが、もう……これ泣いちゃうんですよ。

ドローンについたカメラがギューン!と上昇して、赤い傘を持った女の子が統率の取れた動きをして、空からはオレンジの柔らかい光が下りて、最後はとんでもない人数の人文字が出てくる。

すごい。すごいだけならこんなに泣かない。OK GoのMVは裏庭で踊ってるやつ(“A Million Ways”)からずっと見てるのに、すごいのは慣れっこなのに、なぜか今回泣いちゃう。

自分でもよくわからなくて、なんでだろう……と考えてたら、そういえば「たくさんの人が出てくる」動画で泣いたことが過去に何度もあった。

九州新幹線全線開通のCMもそう。

博多〜鹿児島間の全線開通にあわせ、カメラを載せた新幹線を通過させ、喜びに湧く沿線の人たちを撮影したCM。子供も大人もおばあちゃんも飛んで手を振って、コスプレしてる人もたまたま通った人もピョンピョン跳ねてて、

……失礼、

……えー、いまYoutubeのリンクを貼ったついでにまた見たんですが、また泣いています……。

なんか弱い。なんなんだろ。

別にこう、舞台裏のドキュメンタリーとかで感動するのとは違うんですよ。大変だったねぇがんばったねぇ、じゃないんですよ。なんかこう、みんながみんな集まって結果ひとつになってみたいな、いかにも大変でしたみたいなのに泣いてるんじゃないんですよ。人が集まるだけで泣くなら映画の『指輪物語』とか群がりすぎだから号泣だろう、とか、そんなんじゃないんですよ。

「恋するフォーチュンクッキー」もそうだ。

各地方でいろんな人が踊るバージョンがいっぱい出ましたけど、それだとカットが細かくて「みんな」感が無いんですよ。この公式のMVの、すごい人数がみんな笑顔なのがもうー。

フラッシュモブも弱いです。ベルギー駅のサウンド・オブ・ミュージックとか。

大人も子供もみんなごきげんなんだよなぁー。

全体的にポジティブで、楽しくひとつのことをしている動画に弱いみたいだなぁ。これ泣くんじゃないの?という動画があったら教えてください。泣きます。あなたの街まで泣きに行きます。いや街に行かないですけど、家でひっそり泣いてます。うーうー。

『いつかX橋で』 いつの時代も悲しく終わる「若気の至り」

仙台駅の北側に、通称「X(エックス)橋」と呼ばれる橋がありました。

「ありました」と過去形なのは、2014年7月に架け替え工事のために撤去されたため(「X橋」見納め 9日深夜、クレーンで撤去 | 河北新報オンラインニュース)。

「X橋」の本来の名称は宮城野橋。JRの線路をまたぐ跨線橋で、両端が二股に分かれていたことから「X橋」と呼ばれるようになった。仙台に住んでいた頃、X橋の存在は知っていたんだけど、あまり使うことがなかった(夜にこの辺を歩いていてカツアゲにあいそうになったことも原因の一つ)。撤去のニュースを教えてもらって初めて、X橋の歴史がとても古いことを知った。誕生したのは1921年。先の戦争より、もっと前のこと。

熊谷達也『いつかX橋で』は、題名にX橋が入っているとおり、仙台が舞台。B29による空襲で仙台の街が業火に包まれるところから始まる。

空襲ですべてを失った祐輔は、仙台駅北の通称X橋で特攻くずれの彰太と出会う。堅実に生きようと靴磨きを始める元優等生と、愚連隊の旗頭となり不良街道まっしぐらな正反対の二人。お互い反発しつつも、復興の街で再スタートを共にする。そして、いつかX橋の上に大きな虹を架けようと誓い合う。不遇な時代に選ばれてしまった人間に、何が希望となり得るのか―心震える感動長編。
Amazon.co.jp: いつかX橋で (新潮文庫): 熊谷 達也: 本

序盤は戦中〜戦後の生々しい街の様子が描かれるものの、祐輔と彰太が生活を共にするようになってからは「青春もの」として展開する。祐輔の恋愛や、彰太の活劇など、ここが戦後だということをたまに忘れそうになる。

この展開に「戦争ものだと思ったのに」と嘆く声もありそう。でも、どんな時代にも若者がいて、青春ってあったはずなんですよね。それがたとえ戦後でも。自分をデカく見せるものの、本当は小さいことに気づいていて、でもなんとか気づかないふりをしてるような、そんな「若気の至り」がどんな時代にもあったと思うんです。

記録の中ではみんな真面目な顔をしているけど、笑うときも、胸焦がす恋も、テンション高いときも、大なり小なりあったはず。泣いたり怒ったりに注目しがちだけど、ちらりとでも明るい表情が出たところにもスポットをあててみたい。『いつかX橋で』の「若気の至り」には、そんな灯りを感じるのです。

物語の終盤にかけては、割とお約束というか、「フラグ」が立っているような展開もあり、ちょっと物足りなさも感じるところも。「若気の至り」はいつの時代も悲しく終わり、時が経ってからやっと語られるもの。戦前から戦後、現代までの移り変わりに全て立ち会ったX橋も、そんなドラマをたくさん見てきたのかもしれません。