まだうちの子供が生後数ヶ月の赤ちゃんだった頃の話。
いないいないばー、とあやしていた時に、「いないいないばー!いないいないばー!いな…ばー!」と、タイミングをずらすとキャッキャッと喜んでいた。まだ言葉も理解できない赤ん坊でも、いまのお笑いのテクニックの一つであるタイミングを崩すサプライズ⇒笑い、が通じたのに驚いたことがある。
これは思うに、「パターンを崩すことで生まれる笑い」は、人間のDNAに最初から入っているのではないか。
考えてみれば、いないいないばー自体や、変顔であやすのも、「最初の顔から突然違う顔へ」という「パターン崩しの笑い」の一部とみなすこともできる。たかいたかいもそうだ。ゆっくり高いところに持ち上げても喜ばない。突然高さが変化するから⇒パターンが崩れるから笑っているんじゃないか。
こうなると、もはやこれは原始の記憶なのではないか。蛇に本能的に恐怖を覚える、みたいな。なにかあったんじゃないか。原始に。
原始から進化をたどるとき、いろんな環境の変化があっただろう。それでも突然の変化を笑ってすごしてきた人類が、現在に生き残っているんだと考えると、なんかちょっとポジティブな気持ちになってくる。自分たちには生まれながらにして、物事を笑って乗り越える力が備わっているのだ。
でも、茂みの中から突然ライオンが出てきたことにウヒャウヒャ笑っていたら、絶対命はないだろうなぁ。
なにやってたんだろうなぁ。原始。ただアホなだけなのかなぁ。
ブログ更新: 原始、人々は笑ってやり過ごしていた – http://bit.ly/aAxpK7
RT @inomsk: そういえば昔こんなコラム書いた。未知なことに笑うことができるって、人間に備わった素敵な本能だと思う。「原始、人々は笑ってやり過ごしていた|イノミス」 http://j.mp/fIqHVj