人情であぶり出す真相 東野圭吾『新参者』

作中で刑事・加賀恭一郎がこう言っている。

「捜査もしていますよ、もちろん。でも、刑事の仕事はそれだけじゃない。事件によって心が傷つけられた人がいるのなら、その人だって被害者だ。そういう被害者を救う手だてを探しだすのも、刑事の役目です」
―第六章 「翻訳家の友」 P.220―

日本橋の片隅で発見された四十代女性の絞殺死体。着任したばかりの刑事・加賀恭一郎は、未知の土地を歩き回る。

9編からなる連作短編集で、短編ごとに煎餅屋、料亭、瀬戸物屋など視点人物が入れ替わるのだけど、肝心な殺人事件の方はなかなか解決に向かわない。それぞれの登場人物たちの身に起きた小さな謎を、加賀がその洞察力で解き明かしてまわっているのだ。いわゆる「日常の謎」をシリーズキャラクターの加賀恭一郎にやらせているのである。これ、今までなかったんじゃないかなぁ。

保険の外交マンの行動が変だったとか、犬の散歩コースに矛盾があったりとか、各短編に出てくる謎は小さなもの。しかしその謎が解かれるたびに親子・夫婦・嫁姑などのもつれた糸が解けていき、わだかまりが溶けていく。これらは結局殺人事件には関係ないのだけど、「事件と関係ない」ことがわかることによって、逆にどんどん外堀が埋まっていく。真相に向けてじわじわと輪が小さくなっていく。

また、被害者の女性は「最近日本橋に越してきた」「熟年離婚してから二年経過」という設定なので、日本橋には親しい人がおらず最近の様子がわからない。お店で交わした会話などから、徐々に被害者の人柄も明らかになっていく。じわじわと光が当たって鮮明になっていく。

手がかりを次々に得て真相に近づくミステリが足し算ならば、『新参者』はどんどん関係ないこと明らかにして最後に真相を残す引き算のミステリとも言えるのかな。引かれていく様子は心に残る人情話になっていて、被害者の人となりは逆にどんどん盛られていく。

一読して、派手なサプライズとか感じず、引き算の構成ゆえ犯人も最後の最後まで全然特定できないし、もぅ…と思っていのだけど、読み終わってからしみじみ考えているとなんかどんどん評価があがっています。なんだろこれ。よくこんなもの作れるよなぁと、まさに日本橋で民芸品を手にとったような感慨が残るのだった。
 

「このどんでん返しがすごい!」たった一行で世界が反転するミステリ7選

人力検索はてなにこんな質問がありました。

【絶対にネタバレを見てはいけない小説】を教えて下さい。詳しくは以下の条件すべてを満たしての回答をお待ちしてます。 ★途中やラストに何がしかの真相が明かされ、怒涛.. – 人力検索はてな

「怒涛の展開・どんでん返し」がある小説を教えてください、という質問なのですが、「ミステリー以外」という条件付き。

いやーこれこそはミステリの腕の見せ所ではないのか、というわけで、上記の質問の回答に載ってるもの以外で、個人的に「たった一行」真相を書かれただけでひっくり返って驚いたミステリを7作品あげてみました。秋の夜長にいかがでしょうか。

なお、「この作品はどんでん返しがあるよ」と聞くだけでネタばれになる危険がございます。それを聞いてもなお面白い作品を選んだつもりですが、どうしてもネタばれが気になる方はご注意ください。

  • 綾辻行人『十角館の殺人』
  • 倉知淳『星降り山荘の殺人』
  • 東野圭吾『ある閉ざされた雪の山荘で』
  • 筒井康隆『ロートレック荘事件』
  • 殊能将之『ハサミ男』
  • 歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』
  • 泡坂妻夫『しあわせの書―迷探偵ヨギガンジーの心霊術』

綾辻行人『十角館の殺人』

言わずとしれたマスターピース。「あの一行」を号砲に始まった、新本格のスタート地点。「十角館」を目当てに瀬戸内海の孤島を訪れた大学ミステリ研の7人。彼らを襲う連続殺人と、半年後に本土で行われる真相の究明が交互に語られ、やがて出会う衝撃。やはり今でも忘れてないですなぁ。

倉知淳『星降り山荘の殺人』

一方こちらは陸の孤島。雪に閉ざされた山荘に集まったUFO研究家やスターウォッチャーを襲う惨劇。フェアな犯人当てと銘打って、各章のはじめに但し書きを細かく配置して、全ての推理の材料が提供されて…も、やっぱり騙される。これは悔しかった…。

東野圭吾『ある閉ざされた雪の山荘で』

“雪の山荘”をもうひとつ。『探偵ガリレオ』まさかの月9でおなじみ東野圭吾から。『仮面山荘殺人事件』もいいけど、あえてこちらを。オーディションに合格した7人がペンションに集められる。最終選考は「豪雪で閉じ込められた山荘での殺人劇」の設定での舞台稽古。しかし稽古のはずが、一人また一人と姿を消していく。芝居なのか?本当の殺人なのか?この設定だけでも心惹かれるのに待ち受けるサプライズは半端ない。

筒井康隆『ロートレック荘事件』

山荘つながりで。これもいわゆるクローズドサークル。ロートレックの作品で彩れられた邸内。決して広くない間取り、数少ない容疑者、それでも繰り返される殺人。読んだのだいぶ昔なんですが、あまりにびっくりして手が震え、ページをクシャっと折ってしまった思い出あり。最後まで読んだら必ずもう一度最初から読み直すはめになる、大御所の技の数々を堪能すべし。

殊能将之『ハサミ男』

クローズドサークルに飽きたらこれを。少女を殺害し、首にハサミをつきたてる連続殺人犯「ハサミ男」。次の犠牲者を探すハサミ男は自分の模倣犯の存在を知り、”犯人探し”を始める。シンプルかつ大胆に仕掛けられた一点の逆転。ミステリを読みこんだ人でもうっかりしてやられる巧妙さは必見。

歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』

2003年度「このミステリーがすごい!」第1位、「本格ミステリ・ベスト10」第1位、「週刊文春ミステリーベスト10」第2位、第4回本格ミステリ大賞小説部門受賞、第57回日本推理作家協会賞長編部門受賞、まさにDHCのCMばりにランキング総なめだった本作を外すわけにはいかんかと。トリックで明らかになる表題の意味に感嘆した覚えあり。

泡坂妻夫『しあわせの書―迷探偵ヨギガンジーの心霊術』

最後にとっておきの飛び道具を。新興宗教の教祖継承騒動をめぐる二時間ドラマのような騒動、B級イラストの装丁、すっかり油断したラストに明かされる、全241ページに仕掛けられた驚愕の仕掛け!マジシャンでもある著者にしかできない、この世でたった一冊しか存在しないトリック。手に入れたら家宝にするべき。

ホントは10個にしたかったんですが、途中で力尽きて7つになっちゃいました。『慟哭』 『アヒルと鴨のコインロッカー』 『イニシエーションラブ』 『殺戮にいたる病』はもとのはてなの質問にあるので除外してますが、なんか足りない気がするんだよなぁ…。コメント欄を開放しておきますんで、あれを忘れてるよ!これもおススメだよ!ってのがあったらコメントいただけると幸いです。

安井俊夫『犯行現場の作り方』

十角館は建物自体は4000万で建つけど、沖合い5kmの島まで電気ガス水道を引くのが大変らしいです。

一級建築士の著者が、国内ミステリに出てくる「不可解な建物」の建築図面を引いちゃうという本。手がかりは文中の記述や表紙のイラストのみ。『有栖川有栖の密室大図鑑』が密室に特化した解析本だったのに対し、こちらは建物まるまる一軒が対象。ただの図面作成に終わらず、建築場所、時代、資材、作業者の宿泊まで考慮して、建築費用、工法、工事費、はては延べ床面積まで出しちゃう有様。これぞプロの仕事!

ターゲットとなるのは10作品の10建造物。台風が多い地域なのに木造建築『十角館の殺人』、51mの廊下に窓が一つもないロッジ『長い家の殺人』、車椅子を考慮するとどうしても変な壁ができる『十字屋敷のピエロ』、天才建築家が建てたまさかの違法建築『笑わない数学者』、傾き角度5度11分20秒・高低さ1.25m!『斜め屋敷の犯罪』などなど。

著者の視点はミステリに対する愛で溢れていて「こんなおかしなことになってますぜアハハ」ということは決してない。「この設計者ならこんな内装にするに違いない」「ここはこの材料じゃないとかっこよくない」「こんな配置ではあるが意図があるに違いない」というように作品世界が最優先。このスタンスが心地よく、文体も落ち着いた感じで読みやすい。

まさに謎と建築への誘い。作者と読者で楽しさを共有できる一冊で、続編が今から楽しみです。そりゃぁもっともっと変な館あるしなぁ。

2005年:今年読んだ本ベスト10

2005年も残すところあと数時間。今年読んだ本は87冊でした。どうしても毎年100冊まで届かないなぁ。今回はその87冊から心のベスト10冊を挙げていきます。順位はなしで。あくまで「今年読んだ」なので、出版はもっと前のものもあります。

扉は閉ざされたまま
石持浅海『扉は閉ざされたまま』


本ミスでも1位に投票しました。「扉を破らない密室モノ」という、普段ならボケで笑うしかないようなシチュエーションを、よくぞここまでスリリングな本格に仕上げたものだと感服。犯人側から描く倒叙形式で、じりじりと探偵役に追い詰められてく。犯人vs探偵が純粋な敵対関係でないところもいい。動機がやはり受け入れがたいが『セリヌンティウスの舟』まで読み続けると慣れてきますなぁ。

魔王
伊坂幸太郎『魔王』

今年、『魔王』『死神の精度』『砂漠』と3作出した伊坂幸太郎。『魔王』のテンションの高さには参った。不思議な能力を持った兄弟が来るファシズムと静かに闘う様子は、これが架空の話とは思えないほどの緊張を読者にもたらす。伊坂の中では異色かもしれないが、この読後感はいろんな人に体験してほしい。

容疑者Xの献身
東野圭吾『容疑者Xの献身』

このミス、本ミス、文春と三冠達成。数学者の一途な思いが作り出した完璧なトリック。「恋愛感情」と「トリック」が劇的に密接なつくり。トリックについては全然気づかなかったので、かなり驚いた。数学者の友人でもある、探偵役の物理学者・湯川の揺れる心情にも注目。最近は指紋が付かない表紙に変わったらしいですよ。

交換殺人には向かない夜

東川篤哉『交換殺人には向かない夜』

東川篤哉を初めて読んだ年でした。小ネタも好きだし、その小ネタがさらに伏線になっているという贅沢構成。『館島』のバカ館もいいけど、本作の平行線が一本に収束する衝撃のラストを推したい。こんな話をよく行き当たりばったりで書いたもんだ!

痙攣的

鳥飼否宇『痙攣的』

鳥飼否宇も今年初。その奇想っぷりに嵌まると癖になる濃さ。『逆説探偵』も『昆虫探偵』も好きだけど、もう『痙攣的』でぶっとんだ。途中まで普通に(普通でもないけど)してたじゃない!もうアホ!アホ!(ほめ言葉)。

雨恋

松尾由美『雨恋』

「大森望氏も涙!」の帯が印象的。幽霊との淡い恋物語ですが、そこに絡めたルールが「彼女が死んだ真相が明らかになるほど姿が見える」というすごいジレンマなもの。以外と入念な外堀で本格度も高いような。ラストも泣ける。そりゃぁ大森望も泣くよぉ。

幽霊人命救助隊

高野和明『幽霊人命救助隊』

そういえばこれも読んだの今年入ってからだ。幽霊が自殺者を止める、その手段を「大声で説得」にする発端から、幽霊-人間を繋げるアイデアがとても秀逸!笑って泣いてのジェットコースター。隠れたおススメ本。

お笑い 男の星座2 私情最強編

浅草キッド『お笑い 男の星座2 私情最強編』

『本業』も熱かったけど、やはりお笑い界を書いているときが一番乗っている気がする水道橋博士。思いを語りグイグイ引き込み、韻やくすぐりも交えて、もはや暗唱したくなるような文章。前書きの出版界への警鐘も必読。

文芸漫談―笑うブンガク入門

いとうせいこう・奥泉光・渡部直己『文芸漫談』


文学界最高のボケ・ツッコミコンビ。この調子で本当に舞台に立っているんだからすごい。やりとりに笑っているうちに文学の読みどころがわかってくるという、最高のネタ本であり教科書。いとうせいこうと奥泉光を来年はもっと読みたい。

箱―Getting Out Of The Box

The Arbinger Institute『箱―Getting Out Of The Box』

「自己欺瞞」のメカニズムを「箱」という概念を通して説明。人間関係について目からウロコ、と各方面で話題らしく、amazonのユーズド価格が大変なことに。図書館で読みました。わかったような気になっているけど、もう一回読んでおいてもいいかも。

海馬―脳は疲れない

池谷裕二・糸井重里『海馬―脳は疲れない』

脳についての新しい知識がとても新鮮。そして二人の絶妙な対談。うまく頭を使うことがいい生活になるはずよねぇ、としみじみ。30歳になった今年、この本の「30歳から頭はよくなる」という言葉を楽しみに、来年を過ごしたい。

11冊になっちゃった。来年はもっと読みたいですなぁ。新春一発目は『砂漠』の予定。よいお年を!

東野圭吾『容疑者Xの献身』

天才数学者でありながら高校で数学を教えている石神。彼は隣人親娘に想いを寄せていた。ある日彼は親娘が元夫を殺してしまった現場に遭遇する。二人を助けるため、持てる頭脳を駆使し、隠蔽を図る石神がとった行動とは…

『探偵ガリレオ』『予知夢』と続く”探偵ガリレオ”シリーズの物理学者・湯川が石神の同級生として登場。混迷する警察捜査を横目に、石神の真意に気づきはじめる。天才同士の対決、という構図もあるが、何よりこの小説のもつ「恋愛感情」と「トリック」の有機的融合に感嘆。想うゆえに、こうするしかない、という流れで隠蔽工作が図られてこれが効果絶大。想いがトリックを生み、トリックが想いを映すという表裏一体。石神ー湯川の友情、という要素も絡むため、書く人が書くと大層盛り上がって大法螺な話になりそうなところ、そこは東野圭吾、最小限の言葉で最大限に効果を生む技量で、読者の中に静かに興奮を巻き起こす。これは巧い。巧いなー。

ただこれは色んな人の意見も聞いてみたいなぁ…。『秘密』で主人公に対する評価が(特に男女で)割れたように、石神の行動に感情移入するか白けるか割れる気がする。メイントリックはマニアでも虚を突くものだと思うけど、恋愛部分と表裏一体な分、感情移入度は作品全体の評価に大きく影響すると思うのだ。非モテ男が捧げた完全犯罪。一途か、キモイか。