伊坂幸太郎『魔王』

考えろ考えろマクガイバー。伊坂幸太郎の声が本の中から聞こえてくる。不思議な能力を持った兄弟の姿を借りて。信用を失った政治に、思考を止めた国民に、迫り来るファシズムに。

急速に支持率を上げる野党の政治家・犬養の登場に、兄は危機感を覚えていた。ファシズムを連想する言い分がどうも気になる。そんなある日、兄は自分の思っていることを他人に喋らせることができることに気づき始める。同時に盛り上がっていく日本全体の反米感情。犬養の思想が及んでいるのか。どうにかならないのか自分の力で。苦しい。息が。胸が。考えろ。考えろ考えろマクガイバー。(「魔王」)

その昔、ヒトラーは演説の最中に人間の可聴範囲ギリギリの低音を流して群集を高揚させたという。徐々に上がっていくテンションと緊張感。平行して見えない部分で低くジワジワ流れる違和感。「魔王」を読んでいくと感じる息苦しさと危機感は、この上下二方向からのせめぎ合いから生まれてきているような気がする。これまでの伊坂作品にもあった、無軌道無計画の悪意が、全体主義に向けることで読み手を緊張を与える効果を上げている。これでいつものリーダビリティなのだから堪らない。目を離す暇がない。

考えることをやめた大人達に、情報に溺れた若者達に、考えることを促し訴える。伊坂がこんな直球を飛ばしてくるなんて驚いた。「おまえ達のやっていることは検索で、思索ではない」と犬養も言っている。政治色の強さから「問題作」のレッテルを貼られることもあるみたいだけど、これを読むと自身を世界を考えずにはおれない。

もう一編収録されている「呼吸」は「魔王」のその後の話。弟をメインにし、「魔王」とは転じて緩やかな世界が広がるが、今度はより具体的に憲法の話まで飛んでくる。一冊の中に動と静を配置して構え万全。文学が世界に投じたこの一石で、波紋はどこまで広がるだろうか。

ちなみに「魔王」にはこっそり死神が出演しています。おかげで天気が悪くなってます。

伊坂幸太郎『死神の精度』

「俺が仕事をするといつも降るんだ」 クールでちょっとズレてる死神が出会った6つの物語。音楽を愛する死神の前で繰り広げられる人間模様。『オール読物』等掲載を単行本化。

切れるセンス。回る台詞。いつもの伊坂幸太郎の姿がそこにあるのだけど、読み終わった後のこの物欲しさはなんだろう。死神のもつ”ルール”の特殊さに、短編毎に変わる設定に、隠し味のように効いてくる伏線に、もっともっとと期待する、人間の浅ましさを死神が嘆くのか。死神視点の人生論。NO MUSIC NO LIFE。

伊坂幸太郎『グラスホッパー』

復讐。功名心。過去の清算。それぞれの思いを抱え、男たちは走る。3人の思いが交錯したとき、運命は大きく動き始める…。クールでファニーな殺し屋たちが奏でる狂想曲。書き下ろし長編。

殺し屋+一般人の三重奏。洒落た文章のセンスは変わらずで読ませはするものの、出てくる悪が気分が悪くなる出来であまり乗れず。伊坂の書く悪人像というのはクレバーに策を巡らすタイプでなく、無軌道で衝動のままに酷い事を平気でする点で「いじめっ子」なので、読んでてあまり気持ちのいいものではない。今回その「いじめっ子」が他作に比べて前に出てるので、うーうーという感じ。伏線拾いもあるが、伊坂にはやっぱりもっと上を望んでしまうなぁ。期待値が高まりすぎたのかしらん…。

伊坂幸太郎『チルドレン』

まっとうさの「力」は、まだ有効かもしれない。信じること、優しいこと、怒ること。それが報いられた瞬間の輝き。ばかばかしくて恰好よい、ファニーな「五つの奇跡」の物語。吉川英治文学新人賞作家、会心の受賞第一作。

テンション低め安定。緩やかに紡がれる短編のような長編。短編それぞれのネタはミステリ的には割と基本ネタだけど、出来事の前後にある「正義」の形がまた良いのだ。最初はうざかった陣内のキャラが終いには畏敬に変わってました。日向を歩く。まっすぐに。

伊坂幸太郎『ラッシュライフ』

「夜が好きなんだ」と泥棒は今日も盗みに入った。「救われたい」と青年は信者になった。「あの女のせいだ」とカウンセラーは不倫相手の妻を殺すことにした。「働きたいんです」と無職の中年は肩を落とした。「金で買えないものはない」と画商はふんぞり返った。泥棒が失態をおかし、青年が神の解体を知り、不倫カップルが車で人を轢き、中年が老犬と拳銃を手に入れ、画商が新幹線に乗ったとき、物語は急速に動き始める。

五つの人生が本人の知らぬところで交錯して干渉して邪魔して手助けして陥れて癒してと、大混乱の人生狂想曲。これに「バラバラ死体が元通りにくっついて歩きだす」という都市伝説が現実になったりしてなんかして、もうエンタテイメント満載。ラストでは全体を包む大仕掛けも明かされて、おなかいっぱいでご馳走様。

中盤にかけては徐々に絡んでくる程度なんだけど、実は伏線がそこかしこに張られているのが凄い。「この人達絡んでますよー」と見せつけるんではなく、そこで絡んでいたのか!と後で気づかせることで全体像を一気に浮かばせる。この辺が同じ多重人生交錯もの『ドミノ』とは違う感じ。巧みな言葉回しでそれぞれの人生も深く面白く描かれているし、これはいい!十人十色の人生模様を照らすのはたった一つの太陽。日はまた昇り繰り返していく。