ふかわりょう(ROCKETMAN)の「一人のクリエイティブ」

ふかわりょうを知ったのは「小心者克服講座」から。

ロン毛に白いヘアバンドをして、音楽に乗せて淡々と相手にダメージを与える一言(「おまえんちの姉ちゃん、仮装大賞出てたぞ」とか)を繰り出すシュールな芸風が新しかった。「アルトリコーダーの組み立て方」とか好きだったなぁ。友人宅でビデオ見て大笑いしてた。

それから時を経て、今やすっかりいじられ系ですべりキャラとして、ごくたまにお茶の間に姿を見せるふかわりょう。好感度はどちらかといえば、低い。

そんな彼のもう一つの顔が「ROCKETMAN」名義の音楽活動。

たとえばこれ。

石巻にも来てくれていた。

テレビの中のふかわりょうしか知らないひとはびっくりすると思うけど、全部彼の作詞作曲編曲である。内村光良主演の映画「ピーナッツ」の音楽を手掛けたり、最近ではさまぁ~ず大竹の結婚披露宴でDJをやってたりしてたらしい(あまりに黙々とDJをしているので和田アキ子に小突かれたらしい)

そしてこの度、新譜「恋ロマンティック!!」が出まして。買って聞いております。これがとても良い。気持ちいい。かっこよくてセンチメンタルな曲がたくさん。トリンドル玲奈、m-floのVERVAL、川島あい、初音ミクまで一緒にやっています。

音楽活動、執筆活動(小説出してる)、そしてピンネタ。ふかわりょうは一人にしておくとクリエイティブを発揮する人なんじゃないかと思う。

そんなふかわりょうが最近Twitterをはじめた(@fukawa_rocket)。「自分を名乗るbotのクオリティが低すぎるから」と本人自ら一言ネタを毎日流してくる。

またひとつ、一人でできるクリエイティブを見つけたのかもしれない。

「?」「!」世界で一番短い手紙をいろんなとこで使おう

photo:you've got mail. by e³°°°

世界で一番短い手紙、っていうのご存じでしょうか。

こんなの。

「?」
「!」

たった一文字だけのやりとり。

これはですね、作家ヴィクトル・ユーゴーが「レ・ミゼラブル」を出版した際、本の売れ行きを心配して「?」とだけ書いた手紙を出版社に出したと。で、出版社は売れてるよ!という意味で「!」という返事を出したという、まぁちょいとシャレオツな逸話なんですね。

でも「?」「!」だけだったら、いろんな意味を持たせられると思うのでかなり応用が効きそう。いろんな場面で使えるんじゃないだろうか。
 

「?」(明日来て、くれるかな?)
「!」(いいともー!)
電話ができる前、テレホンショッキングは往復書簡で出演交渉していた。
 

「?」(鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰?)
「!」(白雪姫!)
そんなに元気よく答えなくていい。
 

「?」(その人物とは?)
「!」(正岡子規!)
パリ挑戦権を活かすことができるか!?
 

「?」(週末のBBQ来れる?)
「!」(行けたら!)
行けたら行く、って言って来たためしがない。
 

「?」(いいんですか川平さん?)
「!」(いいんです!)
「川平さんの返事っていつも「!」だけなんだよなぁ」
 

「?」(ファイナルアンサー?)
「!」(ファイナルアンサー!)
みのさんからの返信がなかなか来ないので答えめっちゃ気になる
 

「?」(ハーイ?)
「!」(ハーイ!)
イクラちゃん同士のやり取り。あまり変わらない。
 

Twitterで僕が「?」ってつぶやいたら「!」ってリプライ返してもらえると嬉しいです。「お金貸してくれる?」かもしれませんが。

マットレスはマットだけどマット”レス”なのはなぜだ

Éole Airlines by Éole

 

なんだか知らないけど、よくいろんなトラブルに巻き込まれる人というのがいる。

僕の友人にもいるわけなんですけど、また小さなトラブルに巻き込まれてこんなTweetをしてました。

そんなこと言われたことない。なんでまたそんな人に会っちゃうんだろう。やけになって「何ヶ月かかってもマットレスを細切れに分解して普通ゴミに出す」とか言ってる。いやいやいや待て待て待て。

でも確かにマットなのにマット”レス”ってなんでだろ。自身の存在を否定している感じ。マグリットの「イメージの裏切り」(1929)みたい。


↑パイプの絵なんだけど「これはパイプではない」と書いてある。
 

芸術作品まで出してきて例えるほどのことでもなかったか。

素直に調べてみましたよ。マットレスの綴りはmattress。語源はアラビア語で「横たわる場所」を意味する「Matrah」らしい。つまり”レス”の部分はワイアレス(Wireless)のように不要を意味する”less”ではないみたいです。なるほどー。

というわけでマットレスはちゃんと粗大ゴミに出してね!
 

あまり関係ないけど、高校時代「asってaの複数形ですか?」と質問して英語教師を絶句させた人のことを思い出したりもした。何もわかってないこと極まりなかった。
 

『デザインセンスを身につける』と、いろんな力もついてくることを知った

TwitterやFacebookのアイコン。どうしてますか?

ソーシャルネットワーク全盛の昨今。自分を発信するために有効なメディアたち。でもパッと見で目に入るのはあの小さな四角い画像。「人は見た目が9割」なんて言葉もある。猫やオッサンのアップやアニメキャラ…あの小さな画像で「この人どんな人?」がパッと判断されちゃうことになり…。

ウジトモコ『デザインセンスを身につける』はこんな導入で始まる。せっかく自分を表現できる場なのに、「見た目」のアイコンに無頓着ではもったいない!と。見て欲しい自分をイメージして、ふさわしい画像を設定する。そのために必要なのはデザインのセンス。

ちなみに僕のTwitterアイコンはプラレールに入ってた注意書きで、おもろいなぁと思ったからアイコンにしているだけで、特になんの意味もないのだった。むむむ。

それで、デザインセンスと聞いて、黄金比とか色選びとかそういう手法の話かなぁ、と思ったら、違った。手法の話もあるけど、中心にあるのはもっと根っこ、「なにを誰に向けてどういうアプローチで、デザインするか」まずは対象のモノ、そのものについて考えるところから始まる。

なにかを表現するなら、自分をデザインすることから始まる。

個人的にいいなぁ、と思ったのは、この「自分をデザインする」ということ。

人間、どうしても考えることはフラフラして、やりたいこともコロコロ変わって、どうにも不安定。そこでデザインの力を借りる。こんな印象でいたい、こんな風に見られたい/見られたくない、などなどを考える。強いメッセージになる人もいるだろうし、柔らかい存在を目指す人もいるだろう。それをロゴなりアイコンなりの見える形に落としこむ。

目に見える旗印を持つと、途端にわかりやすくなる。帰ってくる場所が見えるというか、軸がピッと立つというか。

アイデアの力が、軸を立て、道を照らし、力を与える。組織も、人も。

なんだか、うちの家族のマークとかも作りたくなってきた。家紋ってこうやって生まれたのかな。

いやまずは自分のアイコンをなんとかせねば…。

(追記)
アイコンを変えました!→@inomsk

「自分が影響を受けたゲーム」は7年前から変わっていなかった #5games

こんにちは。30代の元ゲーセン野郎です。

Twitterで#5gamesという「自分が影響を受けたゲームを5選ぶ」というハッシュタグがあって、自分だったらなんなんだろうなーと考えた。で、5つ選んだ。

で、そういえば昔こんなのあったぞ?と思って過去の記事を調べたら、はてなダイアリーをやってた時に「Game Baton」っていうのが回ってきてゲーム5個選んでた。あったなー、バトンブーム。

Game Batonに答えたのは2005年なんだけど、2012年の今選んだのと比べたら、全然変わってなかった。7年経ってるのに。完全に一致。びっくり。

最近ゲーム自体やらなくなったのもあると思うけど、10代~20代前半にハマったものは、もう自分の中に染み付いてて、擦っても揉まれても落ちないんだなぁ、と改めて感じた。あの頃はゲーセンにずっと居たもんなぁ。

2005年に選んだ5個のゲーム。紹介文も嬉々として書いているのがわかって我ながら面白い。懐かしいタイトルもどんどん出てくる。ちょっと恥ずかしいテンションの文章だけど、そのまんま転載しようと思います。それでは、どうぞ。

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■タイムパイロット(1982 コナミ)

子供のころ、田舎の祖父母の家が大好きで。それはもう両親が自分を置いて帰るぐらいだった。祖母とはよく近所のデパート(エンドーチェーン)に連れて行ってもらい、ゲームコーナーで遊ばせてもらっていた。その時にやってたのがタイムパイロット。小さい子供でも、ボタンばしばし、レバーぐるぐるでそこそこ遊べたからかもしれない。エレベーターアクションやロードランナーやアルカノイドやバーガータイムやオペレーションタイガーもあった気がするが、さすがに即死だったと思う。
 

■アウトゾーン(1990 東亜プラン)

自分が始めて一周できた縦シュー。

ゲーセンに通うようになっても小遣いが増えるわけではなく、プレイ回数をこなせないため上達もせず、じーっと友達の達人をプレイを眺める日々。何度も見ているうちに敵の出現パターンを覚え、攻略法を得てからプレイするというスタイルだった。東亜の中でもゆるい方に上げられる本作で自身がつき、以後縦シューターと化す。が、ヴィマナ、ヴイファイヴ、バツグン、グリッドシーカー、ノストラダムス、と、誰も知らない路線の攻略に進みだしてしまう。

横シューだとUS.NAVY、ウルフファング、ザ・グレートラグタイムショー、鋼鉄要塞シュトラール、パロディウスだ!、ダライアス外伝あたりやってました。あー、シューティングじゃないけどエドワード・ランディ好きでした。デコはよかった。
 

■リッジレーサー(1993 ナムコ)

レースゲーもよくやったもので、ポールポジション、アウトラン、ウィニングラン、ホットチェイス、シスコヒート、チェイスH.Q.、S.C.I、アウトランナーズなどなどやれど、一番衝撃を受けたのがリッジレーサー。高校3年の冬、仙台の予備校に模試を受けに行った帰りに初めて遭遇。テクスチャマッピングを使ったリアルな背景は当時とても斬新で、かなりの衝撃を受けた。しかし地元にはしばらく全く入荷せず、ゲーメストを眺めながらやきもきする日が続く。同時期にSEGAから出たデイトナUSAも同手法を用いていたが、リアルな挙動を捨ててエンターテイメントに徹したリッジシリーズに以後陶酔することになる。
 

■レイフォース(1993 タイトー)

センター試験の前日。緊張して逆に勉強が手につかない中で行ったいつものゲーセン。その日に入荷していたレイフォース。とにかくその演出に心奪われる。ポリゴンを使わずに、拡大縮小のみで高低差を巧みに演出し、宇宙から地球へ降りていく様子を描き出していく様子は今までにない興奮だった。そしてなによりもロックオンレーザーを用いてパズル的要素を含んだ点数稼ぎ。ゲーセンを出る頃にはいかに1面で最高点を出すかで頭がいっぱいになっていた。次の日センター試験なのに。

試験終了後、仙台のゲーセンで早速やりこんだのは言うまでもない。
 

■DanceDanceRevolution(1998 コナミ)

スト2に代表される格闘ゲーのブームにすっかり乗り遅れ、しばらくゲーセンから遠ざかっていた自分を引き戻したのがビートマニアに始まる音ゲー。 BEMANIシリーズ第3弾としてデビューしたDDRは、社会人になって金銭的に余裕が出てきた自分を完全に絡め取ったのだった。当時全国でDDRのチームが出来ていたなか、いつのまにか仙台のチームに入り、一晩中汗だくで踊り明かしてみたり、DDR2ndMIXが出たが三本木町のROUND1にしか入荷してないという時は後輩たちと車で1時間以上かけて向かってプレイしたほど。高得点よりもパフォーマンス重視でダンスの真似事をしていたが、今自分のプレイしている様子を見せられたら赤面のあまり鬱血して死ぬと思う。あの頃の足腰が今欲しい。

音ゲーはその後ギタドラ、ツデラ、ポップン、ステッピングステージ、VJ、パカパカパッション、ギタージャム、キーボードマニア、シャカットタンバリン、サンバでアミーゴなどなど手を出してはいたものの、DDRのアドレナリン放出度には敵わないのだった。
 
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ちなみにDDRの項にある「赤面のあまり鬱血して死ぬ」のも今も変わぬ思い。若さって罪だ…。

Ridge Racer Slipstream

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