「目に見えないモノにお金を使わない」の話

120円の飲み物は買えるのに、85円のiPhoneアプリを買うのはためらう。

今はためらうけど、そのうちミネラルウォーターみたいに「以前はお金を払うものじゃなかったけど今は当たり前に買うもの」みたいな存在になるんじゃないかな、と以前書いたことがある。慣れるんじゃないかなと。

で、ちょっとさらに思ったこと。

アプリに限らず、情報やコンテンツって、以前からなんかお金を払うのにハードルがある。共通点は「目に見えないモノ」だ。

ニュースサイトを開いて、ここから先は有料です、ってあると知りたい情報でも閉じちゃったりする。

弁護士やカウンセラーの相談料って高いなぁと思ったり、本が電子書籍になってもそこそこ値段するなぁと思ったりする。ひどい例だと違法コピーや無断転載する人まで出てくる。

これって、モノに費やされた時間を想像できなくなっちゃってるんじゃないかな。

昔は、職人が手間暇かけて作ったモノには高値がついた。完成までにかかった時間、職人がその技術をものにするまでの時間が、価格に反映され、買う側もそれに納得した。

しかし、大量生産・大量消費の時代がきて、モノに費やされる時間と価格は比例しなくなった。企画・デザイン・プロトタイプまでは手間暇がかかるものの、大量生産による効率化により価格が安くなった。

「いいモノ」が安く手にはいる世の中になった。

「目に見えないモノ」、情報やコンテンツは、先に挙げた例で言えば職人が作るモノにあたり、手間暇かかるモノになる。大量消費されるものでもないから、大量生産の効率化まで行かず、価格は高い。

安いのに慣れた身には「いいモノ」だけど高いの?となる。

モノに費やされる時間を想像できなくなった時、モノと価格の相関がわからなくなってしまう。

モノに費やされる時間が想像できれば、安く叩いたり、無断で転載したりなんてできなくなるはずだ。

想像力を失わずにいたい。

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