道尾秀介『龍神の雨』

すべては雨のせいだった。雨がすべてを狂わせた。血のつながらない親と暮らす二組の兄弟は、それぞれに悩みを抱え、死の疑惑と戦っていた。些細な勘違いと思い込みが、新たな悪意を引き寄せ、二組の兄弟を交錯させる。両親の死の真実はどこに? すべての疑念と罪を呑み込んで、いま未曾有の台風が訪れる。慟哭と贖罪の最新長編。

仕事でも恋愛でもなんでもいいのだけど、普通に暮らしている中で何気ない瞬間にふと、自分が取り返しのつかない失敗をしていたことに気がついたりすることがある。ハッとすると同時に、血の気がすっと引き、ああああどうしようと動揺が波となって襲ってくる、その感じ。この本を読むと何度もやってくる。最悪を向かえつつある登場人物たちに、もうどうしたらいいのかわからなくなってしまう状況に、読んでて引き込まれてしまうのだ。降り続く雨の描写がまた陰鬱で、全体の世界を灰色にすっぽり包んでしまう。

読者向けの大仰なサプライズは今回は控えめなれど(とは言えやることやってますが…)、相変わらずのリーダビリティで読まされてしまう。台風一過ともいかない終盤にもやもやとする、雨雲はまだ晴れない。

道尾秀介『ラットマン』

前々作『片眼の猿』、前作『ソロモンの犬』→感想と来て本作『ラットマン』。猿・犬・ネズミて、干支か、とツッコミたくなるところだけどもまぁまぁまぁ読んでくださいよ。道尾秀介の最新作にて、これまでの最高傑作であります。

姫川はアマチュアバンドのギタリストだ。高校時代に同級生3人とともに結成、デビューを目指すでもなく、解散するでもなく、細々と続けて14年になり、メンバーのほとんどは30歳を超え、姫川の恋人・ひかりが叩いていたドラムだけが、彼女の妹・桂に交代した。そこには僅かな軋みが存在していた。姫川は父と姉を幼い頃に亡くしており、二人が亡くなったときの奇妙な経緯は、心に暗い影を落としていた。
ある冬の日曜日、練習中にスタジオで起こった事件が、姫川の過去の記憶を呼び覚ます。――事件が解決したとき、彼らの前にはどんな風景が待っているのか。

タイトルの「ラットマン」とは、見方によって人の顔に見えたりネズミの顔に見えたりする”多義図形”の名称(→こちらの下のほうで現物が見られます)。あんなに叙述トリックを仕掛け続けた作者が、「人はありのままのものを見ているわけではない」という警句を改めてタイトルにすえてるわけですよ。

姫川の過去の事件と現在の事件を絶妙に組み合わせ、二層三層に「ラットマン」を仕掛けてくるそのミステリとしての出来に舌を巻きっぱなし。それでいて、登場人物たちの「青春の終わり」を描き出すそのストーリーテリングの絶妙さ。読了後の余韻にひたり、読み返してまた唸り。

過去も未来も、男も女も、真相も犯人も、目にしたありのままではない。グラグラ揺れる視点とやがて訪れる終わり。早くも2008年の収穫。道尾秀介、どこまで上り続けるのだろう。

道尾秀介『ソロモンの犬』

もう、この作者には毎回してやられる。

夏。大学生4人の目の前で、教授の息子が交通事故にあう。突然走り出した飼い犬に引きずられて道路に飛び出してしまったのだ。従順だった飼い犬のあまりに不自然な動き、事故か?故意か?事件をきっかけに、4人の関係にも変化が現れ始める。

主人公が仲間の一人に片思いをしているわけなんですが、まぁーこれがドモるキョドるで大変なアワアワぶり。この人が語り手で大丈夫なのかと序盤こそ不安だったけども、もうこの主人公だからこその物語なんですわ。

終盤のひっくり返し、犬の習性を利用した謎解き、仲間の不和の真相など、本来ならそれぞれあまり関係ないバラバラの要素が、この主人公のキャラによって繋がって、ひとつの青春ものとして形になっているんだよなぁ。あのどんでん返しはすっかり油断していたので不覚にも声を出して驚いてしまった。

本格ミステリってわけでも恋愛ものってわけでもなく、どこのジャンルにいれてもちょっとはみ出る面白さの本作。青春なんてはみ出てなんぼ、ということか。

道尾秀介『片眼の猿 One‐eyed monkeys』

人は不完全な情報を得ると頭の中で足りない分を補完する。そこに「騙し」が生まれる。

まさに”道尾イヤー”だった昨年度(『向日葵の咲かない夏』『骸の爪』『シャドウ』)を経て、今年一発目の本作。盗聴専門の探偵事務所にやってきた、楽器メーカーの産業スパイについての依頼。「ちょっとした特技」で業界では有名な主人公・三梨には簡単な依頼のはずが…

ケータイ小説と配信されていたこともあり、章ごとのリーダビリティは高い。個性的なキャラも多く、サスペンスの持続も十分で、すいすいと読めて面白い。で、読んでいくとすぐに所々でちょっと不思議な描写があることに気づく。

帯の文句が「絶対見破れない!」とすごい煽りなのだけど、叙述トリック的には割とベーシックな仕掛けなのではないかと。すれっからしの読者が帯の煽りに乗っかってガッツリ読むと、ちょっいと肩透かしになりかねないですね。

ただ、この話が書かれた時の「対象となる読者」はミステリを読みなれてない層だと思われて、その層へは十分な驚きを与えられると思います。仕掛けとテーマが結びつきも程好く処理されてるしね。

それこそ「叙述トリックって何?」な人や、道尾秀介を初めて読む人にオススメな本だと思います。面白かったら『シャドウ』→『骸の爪』→『向日葵の咲かない夏』へどうぞ。まだまだすごいんだぞー道尾秀介はー。

道尾秀介『骸の爪』

取材のために滋賀県の仏所・瑞祥房を訪れた小説家・道尾秀介。そこには俗世から離れてひたすらに仏像を作り続ける人々がいた。その夜、仏所の中を出歩いた道尾は不可解な現象に遭遇する。口を開けて笑う千手観音、頭から血を流す仏像、茂みの向こうから聞こえる「マリ…マリ…」という声…。20年前に失踪した仏師の謎、天井についた血痕、そしてまた仏師が消え…。

舞台はほとんど瑞祥房の中で、関係者も10名に満たない。ページ数も400P弱。その中に仕込まれた伏線の多さ、そして物理トリックも心理トリックも絡めた全体像たるや、よくここまで詰め込んだなぁと感嘆。ラスト近くはめくってもめくっても新展開で、伏線の繰り出し方が巧いです。見事。

舞台が制限されているからか、読者が作品世界に浸りやすく、仏所という特殊な空間での「考え方」や「出来事」が受け入れやすくなっているのも成功の要因の一つかと(京極夏彦『鉄鼠の檻』などに通じる感じ)。無駄な要素ほとんどなし、謎と解決に純粋に奉仕する小説、これぞ本格ミステリだ。と言ってしまおう。