「ディベート」って、なんかこう、高度な口喧嘩みたいなイメージがあった。
言葉を巧みに操って、粗を突いて、揚げ足を取って…と、相手を打ち負かすために力を使うような、あまり近寄りたくないものだった。
でも、この本を読むとその負の印象が一変する。
ディベートの技術を装備できたら、それは防具にもなり、武器にもなるのだ。
著者の瀧本さんは京大で「意思決定論」を教えている東大出身の投資家。なんか恐れ多い肩書き。
この本はディベートの技術をもって、モヤモヤした問題に道筋をつけ、最終的に決断をする思考法を教えてくれる。
ひとりディベート
初めて知ったんですけど、競技としてのディベートは、くじ引きで賛成派・反対派に別れて、互いに論理を組み立て、審判が判定する「知の格闘技」なんですね。
提示された問題に対してどう思ってようが「くじ引き」で決まったことを話さないといけない。実際にディベートの場に立つ前に、メリット・デメリット、想定される反論、反論に対する反論を、入念に準備する。準備が8割、と言われている。
この本のほとんどは、その準備のやり方の説明に費やされている。ディベートの考えかたを教えてくれる。空手の「型」みたいなもの。この「型」を身につければ、人と議論する時に使えるのはもちろん、自分でなにかを決めないといけない時に役に立つ。
例えば、ディベートのゴールは「正解」ではなく「いまの最善解」を導き出すことにある。
お昼ごはん何食べようかな~、という問題に「正解」なんてなくて、今日はこれかな~と「いまの最善解」を選ぶ。生きていて「正解」がズバッとある問題なんてそうなくて、だいたいのいい方向、「いまの最善解」を選ぶようにすればいいのだ。「正解」を出そうとするからグルグル悩んじゃう。
物事をどうやって決めたらいいかわからない。でも「型」がわかれば、それになぞって進めば、決める直前までいける。
そう、「決める直前」までいける。
「決断する」ということ
選ぶ物、進む道、行くか戻るか。
考えて悩んで「いまの最善解」を導き出す。ここまではやり方がある。マニュアルがある。
でも、頭の中にあるその解を、その手で実行するのは自分なのだ。そこで初めて「決断」したことになる。
この『武器としての決断思考』でも、そのほとんどはディベートを中心とした技術論だけど、最終章「「決断する」ということ」で決めた者の背中を押す。
自分の人生は、自分で考えて、自分で決めていく。
いつだって大変な時代。他人任せにしてブーブー言うより、自分で考えて決めて、荒波をサーフしていけたらいい。
だったら素っ裸で立ち向かうよりも、武器と防具が欲しい。
あ~素っ裸だな~、と自分でも自分のこと思っていた。この本で得た武器を、きちんと磨いて光らせたい。