幾重にも重なるドラマが心を捕える網となる 横山秀夫『64(ロクヨン)』

いやぁすごかった。

横山秀夫が放つ「D県警シリーズ」、渾身の647ページ。見た目・中身ともに重厚かつ濃厚で、ページをめくる手が止まらない。

でも、一気に読み進められない。それには理由がある。

あらすじ

物語の主人公はD県警の広報官・三上。

警察というと捜査一課などの刑事たちが浮かぶけど、もちろん普通の会社みたいに人事や経理もいる。捜査に携わる「刑事部」と裏方業務の「警務部」の2つに別れ、広報のお仕事は警務部にあたる。記者会見を開いたり、捜査の情報を記者に流したりする。

この広報のお仕事、どうしても刑事と記者の板挟みになる。記者からは情報を出せとつつかれ、刑事からは何もしないで情報だけ持っていくと嫌われる。

そして三上はというと、”元刑事の広報官”。

刑事から情報を引き出しやすいんじゃない?と思うけど全く逆。古巣からはスパイのように見られ、警務部からは刑事側と裏とつながってんじゃない?と上司に疑われる。なんとも難しい立場。

各方面から挟まれる日々の最中、警察庁長官がD県警に視察にやってくると知らされる。突然の視察の目的は、14年前に起きた未解決事件「翔子ちゃん誘拐殺人事件」。昭和64年に起きたため「ロクヨン」の符号で呼ばれるこの痛ましい事件は、三上も刑事のころ関わったもの。

長官は刑事部を激励し、遺族宅に訪問し、記者のぶら下がり取材まで受けるという。長官視察の段取りのため、刑事部・記者・遺族に頭を下げて奔走する三上。

しかし走り回っているうちに「ロクヨン」の裏に隠されたものを感じ取る。「ロクヨン」の影を追ううちに、刑事部から妨害を受けはじめ…

どんどん険悪になる刑事部と警務部。長官の視察の真の目的とは?「ロクヨン」の真実とは?そして迎える長官視察の日…。

多すぎる対立、全てに感情移入する

だいぶ盛り上がってありすじ書いちゃいましたが、主人公・三上の置かれた立場の厳しさたるや大変なんです。刑事部、記者、遺族をはじめ、キャリアの上司、広報の部下、家に帰れば家族(実は高校生の娘が行方不明…!)という、もう気がかりで胃が痛くなることだらけ。

この「対・三上」の軸のひとつひとつが、丁寧に書き込まれているんです。ただの嫌な奴もいれば、自分の仕事に誇りを持つ者、戦略的に相対する者、すべてを諦めた者まで、いろんな人間がうごめいている。すべてに命を吹き込んでる。

なので、ガーッと読み進めては、うわぁ…と天をあおぐ、の繰り返しなんです。

一気に読めない。

ドラマが多すぎて、めまいがするのだ。

多種多様な人間が描かれてるので、絶対誰かにドンピシャはまったりすると思う。読み終わってもしばらく登場人物の名前を覚えてる。そんな小説なかなかない。

ミステリとしての「64」

こんだけドラマが多くて、これだけでも警察小説として一級品なんですけど、ミステリとしても珠玉の出来なんです。

読んでるとなーんか小骨がひっかかる感じがあるんです。三上が気がかりをひとつひとつ明かしていくんだけど、まだ裏になにかありそうな感じ。ずっと重低音でベースが鳴り続けているような不穏な空気。

これが怒涛の終盤で一気に発散する。あの”小骨”が実は巧妙な伏線だったことがはじめて分かる。霧が一気に晴れる。そこに登場人物たちの顔が絡む。

これで心がたかぶらずしてどうする、と、もうこちら、正座で訴えております。読んでほしい。読んでほしいなー。絶対損しませんって。持つと重いけど。それ以上に、心に重くのしかかるから。

オールタイム・ベスト級の逸品です。自身を持ってオススメ。ぜひぜひ。

横山秀夫『震度0』

閉ざされた空間での心理戦。たどる結末は、震度ゼロの衝撃。

阪神大震災のさなか、700km離れたN県警本部の警務課長の不破義人が失踪した。県警の事情に精通し、人望も厚い不破がなぜ姿を消したのか? 本部長の椎野勝巳をはじめ、椎野と敵対するキャリア組の冬木警務部長、準キャリアの堀川警備部長、叩き上げの藤巻刑事部長など、県警幹部の利害と思惑が錯綜する。ホステス殺し、交通違反のもみ消し、四年前の選挙違反事件なども絡まり、解決の糸口がなかなか掴めない……。

6人の警察幹部の視点をザッピングしながら、警務課長をめぐる心理戦が展開される。有力情報を秘密にしたり、命令にこっそりそむいたり、実は全然違うこと考えてたりと、視点をグルグル変えることで6人の権力争いが立体的に見えてくる。

舞台は警察署内部と官舎しかなく、演劇っぽい感じでもある。読者は外部から箱庭の中の大騒ぎを眺めてる状況で、かつ次々と新しい情報が来るものだからずっと目が離せない。うまいなぁ。官舎ではそれぞれの幹部の奥さんも登場して、奥さん同士の心理戦もあるのだ(警察幹部よりドロドロしてる!)

もう一つのポイントとして、この事件は阪神大震災の日に起こったという設定になっている。テレビで震災の激しさを見ながらも、目の前の権力争いにやっきになる幹部達。その対比に、箱庭の戯れの感が増す。

あんなにいろいろグルグルやったのに、十分衝撃な結末も用意されて、大満足の一冊。WOWOWで映像化もされていて、原作よりよかったという声も。これも観たいなぁ。

横山秀夫『ルパンの消息』

警視庁にもたされた一本のタレこみ――15年前に自殺として処理された女性教師の墜落死は、当時の教え子3人による殺人事件だという。時効まで24時間。事件解明に総力を挙げる捜査陣は、その教え子を取調室に連行する。15年前、ツッパリだった彼らは期末テストを学校から盗み出す計画を立てていた。その計画の名は、ルパン作戦――

時効寸前の事件に全力であたる警察サイドと、取調室で語られる15年前の高校生活が交互に描かれるのですが、警察サイドはいつもの横山秀夫の骨っぽいやりとりで安心できるとして、収穫なのが15年前のヤンキーの青春群像の生き生きしているやりとり。おもしろくせつなくで、こういうのも巧いのねー。

15年前の供述と現在が近づいていく終盤は加速するサスペンスに目が離せない展開。三億円事件まで絡めた全体像はかなり大味なものになっているけど、横山秀夫の処女作だということを差し引いてもこれは面白い。今の作風にはあまり見られない「遊び」を見られる貴重な作品だと思う。