「伝え方が9割」の残りの1割は「通じない」

あの人とデートがしたい。でも「デートしてください」と頼んでも、なんだか断られそう。重いかな。じゃぁこう言い換えてみよう。

「驚くほど旨いパスタの店があるのだけど、行かない?」

頼まれた方もなんか行ってもいいような気がしてくる。それは相手にもメリットがありつつ、こちらのメリットも叶えているから。

同じ内容でも「伝え方」を工夫するだけで、相手に届くことがある。

そしてその「伝え方」には、あるパターンが存在する。

著者の佐々木さんは数々の賞を取ったコピーライター。「相手に届く言葉」の秘伝をギュッと濃縮した1冊。

その内容は「頼みごとをする時」と「強いコトバを作る時」の大きく2つにケースにわかれている。

「ノー」を「イエス」に変える技

「頼みごとをする時」は、普通に頼んだら失敗しそうなところを、伝え方の工夫でYESに変えてしまう。デートの例もこれ。基本は「相手のメリットと一致するお願いをつくる」こと。自分のメリットばかり押し通しても相手は困っちゃう。自分も嬉しい、相手も嬉しい、そんな形に頼み方を変えてみればいい。

変えてみればいい、って言ったってどうするのー、という疑問には「7つの切り口」を用意している。デートの例だと「相手の好きなこと」という切り口。「選択の自由」「あなた限定」「チームワーク化」など、技の名前とその解説が続く。練習問題まである。

キャッチコピーや名台詞など、「強いコトバを作る時」にはまた別の「5つの方法」がある。ギャップを演出したり、リピートして強調したり、古今東西さまざまなコピー/名台詞を例に出して、どんどんパターンにあてはめていくのだ。ブログのタイトルなんかにも使えますね。

残り1割を「通じる」ものに

どんな言葉でも、相手に聞いてもらわないと意味が無い。聞いてもらわないとゼロ。聞いてもらえば9割成功。

『伝え方が9割』は「まず聞いてもらう」ために伝え方で相手を捕まえる、まさに「キャッチ」コピーを作るのに特化した内容になっている。だから、長文などの文章術とはちょっと違う。

伝え方が9割で、「じゃぁ残りの1割は?」と考えると、それはもちろん伝えたい中身のこと。

せっかく聞く気になったのに、中身ができてないハリボテを見せられても、相手も困っちゃう。次の機会にまた捕まえようとしても「またハリボテかな」と逃げられる可能性が高くなる。

この中身を大事にして「通じる」ことを考えている本が、山田ズーニー『あなたの話はなぜ通じないのか』僕のレビュー)だと思う。

ズーニーさんは長らく進研ゼミで小論文を担当していた人。つまりハリボテでは通じない場に身を置いていた人。とにかく人と人とが通じ合うことに対する熱量がハンパない。

この本でも基礎のキソから丁寧に「通じる」ための技術を教えてくれる。メディア力、論拠、正論が通じない理由…目からウロコが何枚も落ちます。僕も時々読み返しています。

どちらも必要な「表現」

『伝え方が9割』と『あなたの話はなぜ「通じない」のか』、どちらが良い、というわけではないのです。

お店に例えれば、看板や店構えを工夫してまず店を知ってもらうことと、その店の常連になってもらうことって、方法が別だと思うんです。両方必要なものだと思うんです。

振り向いてもらう技術と、通じ合う技術。2つ併せ持ってこそ、自分を相手に知ってもらえる。

表し、現す。「表現」の奥深さを知る2冊です。

山田ズーニー『あなたの話はなぜ「通じない」のか』

こんな例でこの本は始まる。

「何を言うか」よりも、「だれが言うか」が雄弁なときがある。例えば同じニュースでも、どのメディアが言うかで、ぐっと印象は変わる。
ついに宇宙とコンタクト(日本経済新聞)
ついに宇宙とコンタクト(東京スポーツ)

自分と相手が「通じる」ためのコミュニケーション論。とは言え、単なる技術論にあらず。自分の想いを伝えて、相手に受け止めてもらって、共感と信頼を得るまでの、著者の考え抜かれた想いがギュッと詰まっている。もうこの時点で著者から読者へ言葉が通じまくりなのだ。

冒頭の例は「メディア力」と表現されている。どんな言葉でもそれを言う人によって捕らえ方が変わる。「メディア力」を持っている人ほど話が通じやすい。では「メディア力」上げるにはどうしたらいいのか?

ここで作者は小手先の交渉テクニックを持ち出したりはしない。話を通じさせるには、まず通じさせる自分の意見をはっきり持つこと。自分の意見をはっきり持つためにはまず考えること。そう、この本では「考える方法」に主眼を置かれて書かれているのである。

なぜ正論が通じないのか、全く言葉が通じない時に振り返るべき点はなにか、共感が生む効果とは…などなど、人と通じ合うための「根っこ」が余すところなく語られている。

NHKのテキストにもなった『話すチカラをつくる本―この一冊で想いが通じる!』もこの本がベース。『話すチカラ~』もエッセンスを取り出して読みやすいけれど、より作者の想いが綴られている本書の方が僕は好きです。

いたるところに気づきがあって、読み終わったあともこの気づきを忘れたくないと切に思う。うわべではない核心の話をしてくれる、まさに人とつながるための教科書。著者は言う、案ずる無かれ、みんな最初は初対面だったのだ、と。
 

山田ズーニー『理解という名の愛がほしい』『17歳は2回くる』

ほぼ日刊イトイ新聞 – おとなの小論文教室。の書籍化第二弾、第三弾。いっぺんに通読したので感想もまとめちゃいます。前作『おとなの小論文教室。』(⇒感想)からでは「自分を表現する力」をテーマの中心に据えていたが、『理解という名の愛がほしい』では「人とつながる力」が、『17歳は2回くる』では「自分の潜在能力を生かす力」がテーマとなっており、連載されたコラムからテーマにそったものが選択されまとめられている。

つくづく本気の人だ、と思う。自分がマイナス方向に向かったときの感触を客観視して、向き合って、痛みながら、感情の矛盾を解きほぐして、自分なりの「仮説」を立てる。その「仮説」はプラスに向かうため、生きるための言葉。「仮説」は自分の人生の中で実践し、人とつながろうとしていく。自ら人生のモルモットとなることを選び、生き様を自分の言葉で伝えることで、よりよく生きる方法を探ろうとしている。傷つき凹んでも止めることはない。本気の人なのだ。

表現者としてスランプになった時、人に哀しい嘘をつかれた時、通じなかったり不安になったり届かなかったりした時、思い出したいフレーズがたくさんあるのだけど、ガーッと読んじゃったせいか頭から抜けちゃってるなぁ…。もう自分で編集してベスト版をつくりたい。マイ・ベスト・ズーニー。

生きていれば、世界は回る。はだかの言葉でぶつかれば、きっと伝わる。「経験」と「問い」に裏づけされた、本気の人の言葉は人に届くのだ。

理解という名の愛がほしい~おとなの小論文教室。II
山田 ズーニー
河出書房新社 (2006/03/10)
17歳は2回くる おとなの小論文教室。(3)
山田 ズーニー
河出書房新社 (2006/05/18)

山田ズーニー『おとなの小論文教室。』

ほぼ日刊イトイ新聞 – おとなの小論文教室。の書籍化第一弾。長らく受験生の小論文を教えてきた著者が、自分を表現力したいおとなのためにちょっと背中を押すコラム26本。

3章に分かれていて、第1章で「問い」「要約」「世界観」など自己表現するためのヒントを提供し、第3章では「一人称がない」人々を巡って読者と考察していく。わかりやすい言葉でぐいぐい伝わってくるし、1本終わるごとに一回本を閉じて自分について考えたくなる。しかし、それにも増して、僕にとっての白眉は第2章『自分の才能って?』だった。

第2章では「自分のやりたいことはなにか?」「自分は何になりたいのか?」という問いに向き合い、「才能は自分の中にあるのではなく、他者/社会の中にある」と逆の着想を持ってくる。自分のやりたいことを自分で考えるのは、逆に「他者」とのつながりを断ち切るのではないかと。自分の中でぐるぐると考えず、ひらき、受け入れるのだと。「自分はどこにいきたいのか?」という思考の壁にちょろりとロープを足らすのだ。開放し外を見るという視界の逆転に、目からウロコが、と言うよりはよりゆっくりと、ジワジワと言葉が体の隅々にいきわたるような体験だった。

タイトルからすると、文章書きのハウツー本に見えるかもしれない。しかし、この本は自分を表現するという事の絶大なる効果を説き、かつ、読んでる側をその気にさせるに十分な力を持っている、「自分を生きる方法」のハウツー本なのだ。「やりたいことが見つからない」という人に特におススメしたい。伝えたい。話しがしたい。たとえ届かなくても、僕は僕の声を出すのだ。

【関連書籍】
『理解という名の愛がほしい??おとなの小論文教室。II』
『17歳は2回くる おとなの小論文教室。III』