【本】『安心社会から信頼社会へ』1999年の「ノマドと社畜」

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世の中信じられない。

政治とか、会社とか、将来とか、なんか信じられなくなってきている。信じて任せていた仕組みが、次々壊れてきている。

でもそれは「信頼」していたんじゃなくて「安心」していたのです、というのが本書。

仕組みを信じていたんじゃなくて、仕組みに入ることで信じる・信じないを考えないようにしていた。これからは「信頼」を大事にする仕組みに変わっていく。著者の山岸さんは言う。

驚くなかれ、この本が書かれたのは1999年。リーマンショックも、年金問題も、政権交代も起きてない頃に書かれているのだ。

山岸さんは社会心理学を専攻する大学教授。社会について机上で話しているのではなくて、「信頼」について人を相手に実験を行っているのがこの本の面白いところ。

例えばアメリカと日本の「信頼」について。なんとなく、日本は集団を大事にして、アメリカはドライで個人主義なイメージを持ちがち。

ここで実験。3人の参加者に1人用の小部屋に入ってもらい、簡単な作業をしてもらう。作業の結果に応じて点数が入り、最終的に3人の合計点数に応じて報酬が払われる。報酬は山分け。

と同時に、グループからこっそり離れて1人で作業をするオプションも用意する。こちらは自分で得た報酬は自分のもの。でもグループで得られる報酬の半額になる。

参加者は1回の作業ごとにグループ作業か1人作業かを選ぶことができる。グループだと1人で頑張っても報酬は山分け。1人だと頑張ったぶん報酬はもらえるけど半額。さぁどうなる。

結果発表。作業20回のうち、1人作業を選んだ回数はアメリカ人で平均1回程度。しかし日本人は平均8回も1人を選んでいた。日本人の方が「個人主義」なのである。イメージと逆の結果。

もちろん、この実験だけじゃなくて他にもいろいろやってるんだけど、その結果から見えてくるのは、日本人は集団の利益のために行動するというより、集団からはみ出ることに「恥」や「罰」を感じるために、集団の形をとりやすいということ。離れてもいいなら1人でいたいということ。

集団で行動するのは、後ろ向きな理由であり、安心をするためらしいのだ。なんか思い当たる節があるなぁ。

1999年の「社畜」と「ノマド」

さらに、日本人の集団の中の「信頼」について実験を重ねるうちに、2つのタイプがいることがわかってくる。

1つは「人を見たら泥棒と思え」のタイプ。集団の中の関係性に敏感で、誰がどういう行動に出るか目を配っている。集団の外の人に対する信頼は低い。

もう1つのタイプは逆で、人に対する信頼度が高いタイプ。人と人との関係性よりも、その人の人間性を知ろうとする。集団の外にも心を開く。

これって、今風の言葉で言うところの「社畜」と「ノマド」じゃないかと思うんですよ。

集団から離れるのが怖い。集団の中の関係に目を光らせ、安心できるか常に考えている。会社の中でパワーゲームに巻き込まれたり、見えない圧力を感じて残業したりする。

片や、集団から離れても人付き合いに問題がない。人を信頼するけど、人となりを見る目があるので、イコールお人好しというわけではない。でも1人なので痛い目をみることもある。

今から15年近く前、それも実験をした結果で「社畜」タイプと「ノマド」タイプが見えていた、というのがとても興味深い。

そして終身雇用などの「安心社会」が崩壊していくにつれ、「信頼社会」が重要になってくると指摘している。まさに、まさに、な話なのである。

「信頼社会」のカギはすでにある

じゃぁどうやって「信頼社会」を作るの、という話になってくる。

不確実な部分を減らせば、信頼できる部分が増えていく。本書では答えの一つとして、政治などの透明性が説かれている。

そこから15年の歳月を経た今、「信頼社会」のカギはネットにあるんじゃないかと思う。

個人が発信できる仕組みを持ったいま、あらゆることの「裏」が漏れ聞こえてくるようになった。実際に「アラブの春」といった革命が起きた国もある。

ネットにより「ウソがつけなくなる」=「正直でいることが得になる」社会に変わっていき、「信頼」が物事を決める価値になっていく。

ネットは万能ではなくて、炎上やデマなどマイナスの側面もある。でも上手に使うことができれば、こんなに強力な道具もないと思うのだ。

いま国会ではネット選挙の解禁に向けて動いている。透明性が増して、より信頼ができる社会がくるかもしれない。

きてほしいと願うばかりである。