驚きすぎて思わず声が出る。
ミステリを読み続けるとそんな瞬間が少なくなるものだけど、この本については5回は「えっ」って言っちゃったと思う。「はぁ!?」「嘘だぁ」「なんでよ」とか。あなたも絶対口にする。
本書は短編5編からなる短編集。それぞれの短編で時代が違ってるのが特徴。古くは1937年から、新しいのは2001年まで。
すべて密室殺人を取り扱っていて、警察が頭を抱えているところに「密室蒐集家」という紳士が現れて事件を解決する。
紳士が現れて、ってさらっと書いちゃったけど、なんだそれって感じですな。紳士て。あれ、でも全部時代が違うんじゃなかったっけ。
そう、この「密室蒐集家」の存在こそ、いや、”存在のなさ”こそ、この密室殺人だらけの短編集を高純度の面白さにしているのだ。
探偵側のドラマの不在
普通こういうのって、シリーズ化された探偵役がいて、助手役もいたりする。休暇のはずがたまたま事件に巻き込まれて、携帯が圏外だ!どうしよう!とかやったりする。
そういうのが一切ない。
「密室蒐集家が来ました」って通されて、どうも密室蒐集家ですなんて自己紹介もそこそこに、事件の内容を聞いて、すぐに「わかりました」って犯人の名前言っちゃう。
もう密室蒐集家、すぐわかっちゃう。無駄なやりとり全然ない。お食事中失礼します、とか、そんな前置きもない。探偵役のお話が全然ない。
これでなにが面白くなるかというと、密室殺人の不思議さと、犯人の意外性がより際立つ効果がある。
それぞれの事件はホントに不思議なものばかり。
深夜の女学校から消えた殺人者、部屋の鍵を飲み込んでる死体、鍵のかかった部屋から落下した刺殺体、などなど。
どうなってんだこれ、という状況なのに、密室蒐集家は「わかりました」と、しかも、ものすごい意外な犯人を宣告する。そして一つずつ謎を明かす。
この 密室→宣告 が速すぎてついていけない。「はぁっ!?」と目を丸くするばかり。これだけでわかる!?ってなる。
探偵側のドラマを排除することで、贅肉をそぎ落とした、高純度な本格ミステリを産むことに成功してるのだ。
“推理パズル”にならない工夫
でもそれってただの推理パズルじゃないの、問題と答えじゃないの、コナン君でやってた、みたいなご意見もあるかと思います。
いやいやどうして、推理パズルじゃないんですよ。小説だからできることがあるんですよ。
読者をだます、という”技”なんですよ。
詳しくは言えないけど、読者をあざむく罠があちこちにある。巧みに隠されてる。思いこんで読んできたことが裏切られる。これが「意外な犯人」に上手につながってる。
これは推理パズルではできない。密室殺人の面白さだけじゃない、この「罠」を加えてこその面白さ。これが5編とも成功してるとあれば、もう奇跡としか言えない。なんじゃこりゃ。
ミステリ読みほど技巧に酔いしれると思います。密室の歴史にまたひとつ、大きな石板が刺さりましたよ。