先週、人間ドックに行ってきたんですよ。
健康診断用の施設で受けてきたんですけど、そこ、隣が生保のビルで、一階が仏壇のショールームでした。なんとかならなかったのか。人間ドック終わって、辺りを見回して、「そういうことかー」とかなるのか。ならなかった。よかった。よかったですよ。ほんとうに。
立地に問題はあったけれども、人間ドックって、実はそんなに嫌じゃない。
検査を受けて、次の検査に行って、受けて、次に向かって、というがなんか楽しい。関門を次々クリアしていく感じ。採血クリア!とか、バリウム突破!とか。早く全部クリアしたくなる。
こういうスタンプラリー形式が楽しいのってなんだろう。小さな事でも、たとえ少しでも、自力で前へ進んだと実感することが幸福感につながるのかな。
毎日にスタンプを押すように暮らせば、毎日がまた変わっていくかもしれない。
これで思い出すのは博多大吉の「年齢学序説」。内容は以前書いた感想をご覧いただくとして、やっぱりこの言葉が好きなので、再びここを引用してしまおう。
個人的には、人生はスタンプラリーだと思っている。人は誰しも「記憶」という台紙を持ち、そこに「思い出」というスタンプを押しながら、それぞれの「寿命」という有効期限内を生きているのだ。
どうせ押すというならば、できるだけ色鮮やかなスタンプを押したいと思うのが人間である。だからこそ、我々には「向上心」という名の「欲望」が装備されているのではないだろうか?無論、その出来映えには個人差がある。懸命に努力してもスタンプがズレたり、予想外のアクシデントで上下が逆になったり、一瞬の判断ミスで色が滲んだりすることも、人生においては多々あるだろう。
しかし、決して忘れてはいけないのは、それでも「押している」ということだ。そこに「優劣」は断じてない。そこにあるのは、その出来栄えに本人が満足しているかどうか、ただその一点だけなのだ。 (P.150)
白黒の毎日に、ポスン、ポスンとカラフルなスタンプを押していきたい。
判で押すだけの日々と暗くなることもあるかもだけど、たくさん押して、押して、遠目から見たらキレイな模様になってるかもしれない。
そう信じて。ポスン、ポスン。