【本】『想像ラジオ』 生者の中の死者から、死者の中の生者へ

『想像ラジオ』は「DJアーク」の軽快な一人しゃべりで始まる。メールを読み、曲を流し、自分は今なんだか知らないけど高い木の上に引っかかっている、とDJアーク。

読み進めると、彼が津波で命を落としていることがわかってくる。

彼はしゃべり続ける。エピソードを。
彼は呼びかける。「想像すれば、聞こえるはず」と。

「想像ラジオ」は想像力が電波であり、マイクであり、スタジオでもある不思議なラジオ。

本を読んでいると、登場人物の声は頭の中で再生される。知ってる曲名が書かれていると頭の中で鳴り出すし、知ってる場所が書いてあれば景色が浮かぶ。

『想像ラジオ』は、文章が頭の中に作り出すイメージを「ラジオ」という形で表現する。読者の頭の中でDJアークがしゃべり、「デイ・ドリーム・ビリーバー」を流す。声色も、音量も、モンキーズかタイマーズかも、頭の中次第だ。

文章がラジオになる。これは一つの発見であり、発明だと思う。頭の中ではいつでもラジオが流せるのだ。

この発明を最初に体感したのは、東日本大震災が起きた2年前だった。

「DJせいこう」

震災後、Twitterは情報のるつぼだった。

被害状況、支援のお願い、拡散希望、デマ、批判…「なんとかしなきゃ」と「なんにもできない」の狭間でもがいていた。

そこに現れたのが、「DJせいこう(@seikoitoDJ)」というアカウントだった。

いとうせいこうさんが始めた「DJせいこう」は、「想像すれば、聞こえるはずだ」を合い言葉に、曲名を書くことで曲を流し、リクエストを受け付け、「潮騒」や「喧騒」も流していた。想像で落ち着きを取り戻そうとした。

そして『想像ラジオ』では、「死者の声」を流している。

生者と死者の間の「一方通行」

死者が声を出せるわけはなく、死者の声は生者が想像するしかない。

僕ら生き残った者は、死者に対してどこか罪悪感がある。罪悪感は形を変え、自粛や「不謹慎だ!」という声を生む。死者の気持ちなんてわかるか、冒涜だ、という「不謹慎の声」もあるだろう。

でも、じゃぁ、誰が死者を抱きしめられるのか。生者しかいないじゃないか。例えその想いが見当違いでも、想像できるのは生者しかいないじゃないか。

生者が想像する死者の声、死者が生者に発する声を、ラジオという一方通行のメディアの形で表現する『想像ラジオ』。

この死者の声は生者(いとうせいこう)が書いている。生者が書いた死者の声を、僕ら読者の生者が頭の中で再生する。『想像ラジオ』は、生者と死者の意識の境目を曖昧にしていく

もうすぐ2年が経つ。頭の中で、ラジオが鳴りだす。じっと耳を傾ける。

DJアークが「小さな海沿いの町に育った」「今年で38歳になる妻子持ち」なのも、石巻生まれアラフォーの僕にはもろかぶりで、ずっと涙目で読んでた。

あれから2年。もう2年。まだ、2年。

想像ラジオ いとうせいこう | 河出書房新社
いとうせいこう『想像ラジオ』から流れてくる曲はたとえばこんな曲。 – Togetter

志村、後ろ後ろ! 奥泉光・いとうせいこう『世界文学は面白い。 文芸漫談で地球一周』

奥泉光といとうせいこうが北沢タウンホールで定期的に行っている『文芸漫談』の書籍化第二シリーズ。1回に一冊「薄いブンガクの本」を題材に二人がセンターマイクを挟んで語るという形式(イベントではその後奥泉光のフルートといとうせいこうの朗読があるらしい)

前作『文芸漫談』ほど枕は長くなく、途中の脱線も少ない(あと漫談に茶々ばかり入れていた脚注がなくなったのは個人的にうれしい)。カフカ『変身』や夏目漱石『坊ちゃん」、ポー『モルグ街の殺人』など、冒頭からラストにいたるまで粗筋を引用しながら、不条理な展開を笑い、小説技法に唸り、作家の心中を推し量る。未読の人には興味をひくプレゼンテーションになり、既読の人には再確認ができる。

これが「漫談」という形式で成立するのはすごいなぁ。難しいことを人に分かりやすく説明する、というのは頭がよくないとできない。ちなみにタイトルにある「志村、後ろ後ろ!」は主人公の危機に読者は気がついているもののどうしようもできないという、”物語の客観性”を表している比喩。こんな感じで、難しくなりがちな文芸評論が二人の「読み」から「トーク」への昇華によって手に届きやすくなっている。

今回取り上げられてる9冊はどれも薄くてさっと読める本。同じく世界文学を独自の視点とツッコミで解説する伊藤聡『生きる技術は名作に学べ』と比べてみるのも面白いかも。
 

2005年:今年読んだ本ベスト10

2005年も残すところあと数時間。今年読んだ本は87冊でした。どうしても毎年100冊まで届かないなぁ。今回はその87冊から心のベスト10冊を挙げていきます。順位はなしで。あくまで「今年読んだ」なので、出版はもっと前のものもあります。

扉は閉ざされたまま
石持浅海『扉は閉ざされたまま』


本ミスでも1位に投票しました。「扉を破らない密室モノ」という、普段ならボケで笑うしかないようなシチュエーションを、よくぞここまでスリリングな本格に仕上げたものだと感服。犯人側から描く倒叙形式で、じりじりと探偵役に追い詰められてく。犯人vs探偵が純粋な敵対関係でないところもいい。動機がやはり受け入れがたいが『セリヌンティウスの舟』まで読み続けると慣れてきますなぁ。

魔王
伊坂幸太郎『魔王』

今年、『魔王』『死神の精度』『砂漠』と3作出した伊坂幸太郎。『魔王』のテンションの高さには参った。不思議な能力を持った兄弟が来るファシズムと静かに闘う様子は、これが架空の話とは思えないほどの緊張を読者にもたらす。伊坂の中では異色かもしれないが、この読後感はいろんな人に体験してほしい。

容疑者Xの献身
東野圭吾『容疑者Xの献身』

このミス、本ミス、文春と三冠達成。数学者の一途な思いが作り出した完璧なトリック。「恋愛感情」と「トリック」が劇的に密接なつくり。トリックについては全然気づかなかったので、かなり驚いた。数学者の友人でもある、探偵役の物理学者・湯川の揺れる心情にも注目。最近は指紋が付かない表紙に変わったらしいですよ。

交換殺人には向かない夜

東川篤哉『交換殺人には向かない夜』

東川篤哉を初めて読んだ年でした。小ネタも好きだし、その小ネタがさらに伏線になっているという贅沢構成。『館島』のバカ館もいいけど、本作の平行線が一本に収束する衝撃のラストを推したい。こんな話をよく行き当たりばったりで書いたもんだ!

痙攣的

鳥飼否宇『痙攣的』

鳥飼否宇も今年初。その奇想っぷりに嵌まると癖になる濃さ。『逆説探偵』も『昆虫探偵』も好きだけど、もう『痙攣的』でぶっとんだ。途中まで普通に(普通でもないけど)してたじゃない!もうアホ!アホ!(ほめ言葉)。

雨恋

松尾由美『雨恋』

「大森望氏も涙!」の帯が印象的。幽霊との淡い恋物語ですが、そこに絡めたルールが「彼女が死んだ真相が明らかになるほど姿が見える」というすごいジレンマなもの。以外と入念な外堀で本格度も高いような。ラストも泣ける。そりゃぁ大森望も泣くよぉ。

幽霊人命救助隊

高野和明『幽霊人命救助隊』

そういえばこれも読んだの今年入ってからだ。幽霊が自殺者を止める、その手段を「大声で説得」にする発端から、幽霊-人間を繋げるアイデアがとても秀逸!笑って泣いてのジェットコースター。隠れたおススメ本。

お笑い 男の星座2 私情最強編

浅草キッド『お笑い 男の星座2 私情最強編』

『本業』も熱かったけど、やはりお笑い界を書いているときが一番乗っている気がする水道橋博士。思いを語りグイグイ引き込み、韻やくすぐりも交えて、もはや暗唱したくなるような文章。前書きの出版界への警鐘も必読。

文芸漫談―笑うブンガク入門

いとうせいこう・奥泉光・渡部直己『文芸漫談』


文学界最高のボケ・ツッコミコンビ。この調子で本当に舞台に立っているんだからすごい。やりとりに笑っているうちに文学の読みどころがわかってくるという、最高のネタ本であり教科書。いとうせいこうと奥泉光を来年はもっと読みたい。

箱―Getting Out Of The Box

The Arbinger Institute『箱―Getting Out Of The Box』

「自己欺瞞」のメカニズムを「箱」という概念を通して説明。人間関係について目からウロコ、と各方面で話題らしく、amazonのユーズド価格が大変なことに。図書館で読みました。わかったような気になっているけど、もう一回読んでおいてもいいかも。

海馬―脳は疲れない

池谷裕二・糸井重里『海馬―脳は疲れない』

脳についての新しい知識がとても新鮮。そして二人の絶妙な対談。うまく頭を使うことがいい生活になるはずよねぇ、としみじみ。30歳になった今年、この本の「30歳から頭はよくなる」という言葉を楽しみに、来年を過ごしたい。

11冊になっちゃった。来年はもっと読みたいですなぁ。新春一発目は『砂漠』の予定。よいお年を!

いとうせいこう『ボタニカル・ライフ―植物生活』

ボタニカル・ライフ―植物生活
いとう せいこう
新潮社 (2004/02)
売り上げランキング: 49,749

狭さこそ知恵、貧しさこそ誇り。庭のない都会暮らしで植物を愛でる自称「ベランダー」のいとうせいこうの植物生活エッセイ。第15回講談社エッセイ賞受賞作。

広い庭を扱うガーデニングを横目に見ながら、狭いベランダを駆使して植物を育てる自らを「ベランダー」と呼ぶ。ベランダーの一人称は「俺」であり、強い子になれと鉢を西日に送り出したり、枯れた植物をなかなか認めようとしなかったり、トイレにレモンポトスを伸ばし放題にしたり、煙草を吸いながら蓮の泥をかきだしたりなど、「園芸家」という日向なイメージから遠くいて、もはや園芸ヤンキー、孤高の不良ぶりです。

それでも植物の愛がそこかしこから伝わってくる。無償の愛、というより、嫉妬や羨望であり、彼らの命の手綱を握っておきながら、彼らは生命は自分の手の届かないところにいることを感じて憧れる。その様子は強がりでいじらしい。植物を愛でるとは、なんと切なく愛おしい様なのか!

深まる冬に向けて春の緑が待ち遠しくなる一冊。落ちているアロエさえ拾い、植木市に色めき立ち、諦めかけてた鉢から若葉が覗いたのを発見するや狂喜する、ハードボイルド・ベランダー。これはもはや、植物に対するツンデレと言っても過言ではない。

いとうせいこう・奥泉光・渡部直己『文芸漫談』

いとうせいこうと奥泉光が実際に舞台の上で行った文学漫談の活字化。副題に「笑うブンガク入門」とある通り、文学のエッセンスを漫談形式で時にわかりやすく、時にややこしく、時に奥泉光の大ボケで語っていくのが面白い面白い。文学というのはこういうことを考えて論じるんだ、という、「文学」に触ったことがない自分には多くの示唆に富んだ本。これはいい。

いとうせいこうは属性的にはツッコミなんだけど、勢い頭がキレるだけに全てのものにツッコムため、相手がみうらじゅんやシティボーイズ等の「大ボケ」でないと空回りして見えてしまうのだけど、奥泉光の「ボケる時は大きくボケるけど、語るときはしっかり語り、最後にちょっと踏み外す」というスタンスとの距離感がベストマッチ。保育園で泣きすぎ。セカチューを嫌いすぎ。

こうなると残念なのが脚注の渡部直巳で、本文にツッコミを入れたりボケたりと、脚注なのに読者の方を向かずに舞台の方ばかり見ているので、ホントに「入門」として接することになった者としては用語とかもっと注を入れて欲しかったところ。トリオ漫談はポジションが難しい。

「小説」「書く」「読む」「語り手」「物語」「泣く」「ユーモア」…キーワードを繋ぎ俯瞰し構造化しながら紐解いていく。読み終わると、なんか小説を書きたくなってしまうという副作用も生じる一冊。だって二人はこう言うのだ。

「世界を二重化して見ることが、元気の素なんだ」