有料アプリは「ペットボトルの水」

コンビニで使う100円より、iPhoneアプリを買う85円のほうに、なんかためらいがある。

飲み物欲しいな、なんて時にコンビニや自販機で100円ちょっとのものだと、割とためらいなく買ってしまうじゃないですか。

でも85円のiPhoneアプリはなんか、こう、買えないんですよ。なんでだろ。

85円の価値があるかどうか、という判断もあるんだろうけど、買わないと内容がわからないのは例えば本だって同じ。

じゃぁ、目に見えないものだからかな?と考えてみたんですけど、例えば次の2つだとどうですか。

・5万円の家賃が引き落とされる
・5万円の物を買う

目に見えない家賃より、5万円の物のほうが「えいっ」って感じがある。目に見える・見えないの話じゃない。

思うにこれ、「ペットボトルの水」と同じなんじゃないかな。

ミネラルウォーターが世に出た時って、誰もが一度は「誰がお金だして水買うの?」と感じたと思う。水なんて蛇口をひねれば出てくるタダ同然のものだったわけで。

でも段々売れ始めて、浸透してきて、いつしか水をペットボトルで買うのって普通のことになってきた。

アプリも同じなんじゃないかと。

「無料のアプリもあるのに、わざわざお金だして買うの?」という状態なんじゃないだろか。スマホが普及して日も浅い。アプリを買う、がまだ「普通のこと」じゃない人もたくさんいる。

これだけスマホが普及すれば、そのうちアプリを買うことは「普通のこと」になる。ペットボトルの水のように。

そうしたら、アプリを作る側の人も元気になって、よりよいアプリが出たりして、また使う人が増えて、といい感じで回ったりするんじゃないかな。

そう考えると、未来にちょっとワクワクしませんか。

四つ葉のクローバーが見つかった時点で運は残っているのか

幸運のシンボルでお馴染みの四つ葉のクローバー。もし見つけることができたらラッキーなことが起こるとされている。

でも、四つ葉のクローバーってなかなか見つからない。四つ葉のクローバーを見つけること自体が相当のラッキーを使ってると思う。

この時点で相当のラッキーを使っているのに、さらにラッキーなことが続くのだろうか…?

同じ幸運のシンボルとして茶柱がある。茶柱が立つと吉とされる。

でも茶柱なんか立ったことない。茶柱が立つこと自体に相当運がつぎ込まれてる気がする。ここで運を使ってよいものか。ちょっとお茶の葉が立つくらいのことで。

だから「幸運の兆しが訪れない」とションボリするのはまだ早いと思う。

何も起きない日々には、四つ葉のクローバーが見つかるくらいの、茶柱が立つくらいの、同じぐらいラッキーなことがきっと待っている。何もないや、と思ってるところに、突然やってくる。

なんかそんな気がする。

年中無休って無理に言わなくていいんじゃないか

よく行くスーパーの営業時間の張り紙なんですけど、

これ、見るたびに気になるんですよ。

どこが気になるかというと、この部分↓

年中無休?

1年中休み無し、で「年中無休」のはずである。正月3ヶ日休むなら、それは年中無休ではないと思う。

それを言ったら火曜定休日のお店は「年中無休(火曜日は休業)」でよくなってしまうし。

だから年中無休とか無理して言わなくてもいいんじゃないかなぁ。

ずっとやってるのをアピールしたいんだろうけど、働きすぎですよ。無休て。無休がよくない。怖い。一周まわって怖い。

年内に休みが有るんだから「年内有休」でいいんですよ。

なにごともほどほどがいいです。ほどほどに。

「すいません」より「ありがとう」が多い日々を

photo:The kindness of strangers by Ed Yourdon

道をゆずってもらったり、ドアをおさえてもらったり、街で小さな親切をいただくことがある。

特に子連れの電車移動なんかでは困難なことがまだまだ多い。ベビーカーが場所取ったりするし。そんな時、子供と目があった人がニッコリ笑ってくれたりとか、小さな心遣いがとてもありがたい。

そんな小さな親切をいただいた時、「すいません」と言ってしまう癖がある。なんか恐縮してしまって謝ってしまう。すっと口から出ちゃう。

こんなことしてもらって申し訳ないな、とか、わざわざすまないな、とか、そんな思いが先に出て、「すいません」と言ってしまう。同じような癖を持つ人、結構いるんじゃないかなぁ。

で、改めて思うのだけれど、やっぱり「すいません」というより「ありがとうございます」と感謝の意を伝えたほうがお互い気持ちがいいんじゃないだろか。

「すいません」は自分を下げて相対的に相手を上げる。「ありがとう」はストレートに相手を上げる。やっぱりストレートに気持ちを伝えたほうがいい。

ありがたい、と思ったら、ありがたいと伝えたい。

すいません、より、ありがとう、が多い日々は、とてもハッピーなものになるんじゃないかと思うのだ。

「なんでそんなことしたんだ」問題

上司が部下に怒るときや、親が子供を叱るとき、「なんでそんなことしたんだ!」「どうしてそういうことするの!」と言ってしまう/言われてしまう時がある。

普通、「なんで」「どうして」は理由をきく言葉なわけだけど、怒る/叱るときの「なんで」「どうして」は特に理由を聞いてるわけじゃないときがある。「どうしてそういうことをするの(か理解できない)!」という、実は怒ってる人の独り言に近い。

でも、怒ってる人の「どうして」は、ちゃんと理由を聞いてる場合もある。これがめんどくさい。意味を取り違えるとますます怒ったりする。

たとえば、

母親「なんでそんなことしたの!」
子供「だって…」
母親「だってじゃない!」

とか、

上司「どうしてこんなことしたんだ!」
部下「申し訳ありません!」
上司「謝って済む話か!どうしてだと聞いてるんだ!」

みたいな感じである。前者は独り言パターン。後者は理由を聞きたいパターン。

自戒も込めてなんだけど、「どうしてそういうことをするの(か理解できない)!」という独り言パターンはいい結果にならない。だって独り言だもの。なるべく言わないようにしよう。理由を聞きたいときは話しやすいようにもう少し穏やかに聞こう。

あとなるべくなら怒られずに暮らしたい。ひっそり。