最近のCMで一番気を吐いているのは真矢みきだと思う。
どんなオファーでも断ってないんじゃないかという、あの思い切りの良さ。「あきらめないで~!あなたの肌!」「迷ってないで~!キシリクリスタ~ル!」この勢いでもっといろいろオファーが来たらいいと思う。
・ためらわないで~!高須クリニッ~ク!
・溜めこまないで~!コーラッ~ク!
・飲み過ぎないで~!ソルマッ~ク!
・見くびらないで~!のどぬーるスプレ~!
・駆け込まないで~!東京メトロ~!
・逃げちゃだめよ~!パチンコエヴァンゲリオ~ン!
なんでもできそう。タカラジェンヌに死角なしだ。
中二階のオフィスへエスカレーターで戻る途中のサラリーマンがめぐらす超ミクロ的考察。靴紐が左右同時期に切れるのはなぜか。牛乳の容器が瓶からカートンに変わったときの素敵な衝撃。ミシン目を発明した人間への熱狂的賛辞等々、これまで誰も書こうとしなかった愉快ですごーく細かい小説。
昼休みを終えた男が、中二階のオフィスにつながっているエスカレーターに向かう場面から始まるのですが、読めども読めどもいつまで経ってもエスカレーターに乗りません。エスカレーターの前でトラブルに巻き込まれているわけではなく、ずっと回想シーン。海外ドラマ『24』はドラマ内の24時間がリアルタイム進行するけれど、この小説は何十秒かの時間を200ページにわたる時空間に引き伸ばしてしまっているのだ。
昼休みが始まるのはチャイムがなった瞬間なのか終わった瞬間か、昼休み前にオフィスで交わす30秒ぐらいの会話をスマートに終わらせるには?、オフィスのドアノブを見て父親がネクタイをノブにかけていたのを思い出す、子供の頃ハイウェイを走る車からリンゴの芯を投げたっけ、このエスカレーターに乗って降りるまでに誰か乗ってきたら電流が流れて僕は死んでしまうことにしよう、そうそうオフィスを出る前にトイレに寄ったのだけど…と、延々と脱線、脱線、また脱線の思考に巻き込まれる。
で、それでイライラするかと思うと全然そんなことはなく、もう面白くて面白くてしかたない。オフィスあるあるネタから、「トイレで隣に他人がいるときに用をたせない」というようなエッセイ、ホチキス・シャンプー・牛乳パックなどの日用品への細かな観察による賛辞まで、作者の脳内がここぞと御開帳される。それは止まらぬジェットコースター。しかしとても小さなコースター。速度はぶっちぎり。
タイトルにつけた「アメリカ人って日本人だ」は、先日行われた「プロフェッショナル・エッセイスト(!?)の作り方」にて、訳者の岸本佐知子さんがこの本を振り返って発した言葉。アメリカ人でもこんなくだらない事やあるあるネタを考えるんだ、こんな話アリなんだと思ったそうです。訳すのに3年かかったとのこと。無理もないなぁ。すごいおもしろかったです。
昔、所ジョージが「海水浴は全身に海水を浴びる。日光浴は全身に日光を浴びる。ということは森林浴は全身に森林を浴びる。それは痛い」と言っていた。確かにそうだと思う。
これと似た話になってしまうのだけど。
遭難者捜索は遭難者を探す。家出人捜索は家出人を探す。ということは、家宅捜索は家宅を探すことになってしまうんじゃないか。いなくなった家を探す。それが本当の家宅捜索。
仕事から帰ってみると、家がない。今朝までは確かにあった。玄関に鍵もかけた。しかしいま、目の前からは家が消えている。
家宅捜索の令状が出るのを待って、地元消防団の協力による大規模な捜索が始まる。最寄り駅を中心に徐々に範囲を広げていく。空からはヘリも家宅の捜索にあたっているが、マスコミのヘリも入り乱れどれが捜索用のヘリか地上からはよく見えない。やがて日が暮れ、今日の捜索が打ち切られる。冬の日は短い。
五日後、存在は絶望的との判断が捜索本部でくだされる。数日でも捜索の延長を、と食い下がろうとするが、疲弊した顔の捜索隊を見て現実を受け止める。
家宅の思い出を振り切るため、実家に帰ることに決める。新幹線からの車窓を眺めながら、あの家宅の面影を探す。自分の中で、家宅の面影がぼんやりしていることに気づき、もっと家宅の姿を焼き付けておくんだったと後悔する。なんだか車窓までぼやけて見えると思ったら、いつのまにか涙が流れていた。
そんな家宅捜索。
戦後最大規模の鼓笛隊が襲い来る夜を、義母とすごすことになった園子の一家。避難もせず、防音スタジオも持たないが、果たして無事にのりきることができるのか―(「鼓笛隊の襲来」)。眩いほどに不安定で鮮やかな世界をみせつける、三崎マジック全9編。『となり町戦争』の著者、1年4ヶ月ぶり待望の新刊。
日常の中の非日常を描く小説というのは多けれど、この作品の特徴はその「非日常」が作中で既に受け入れられている状態から始まっていることにある。
なんて書いてみたけど、もう、各編、最初の出だしの設定がおかしくてしょうがないのだ。台風と鼓笛隊がすりかわっている表題作をはじめ、覆面を被って会社に来ることが合法化された「覆面社員」、校庭の真ん中に一軒家が建っている「校庭」、背中にボタンがある女性との恋愛「突起型選択装置[ボタン]」、本物の象がすべり台として公園に勾留される(しかも象がしゃべる!)「象さんすべり台のある公園」などなど、もうコントすれすれ。体にボタンがついているオッサンだったら、バカリズムのコントにあるしなぁ。
しかし『廃墟建築士』の感想にも書いたけど、コントでは決して終わらない。「覆面社員」では覆面の自分と本当の自分との葛藤を、「象さんすべり台のある公園」では郷愁と象の悲しみを、「鼓笛隊の襲来」では伝統と家族の絆を、その世界に浸った状態でじんわりと描き出す。
(こちらからすれば)不条理な世界で、その世界になじんだ人々のさらにその先の心のゆらぎを想像する。先へ先へと拡がる空想に、目を離さずにはいられない。
節分が「豆をまく」から「恵方巻を食べる」という行事にシフトしようとしている。
豆まきには、まかれた豆を嫌がって鬼が逃げていく、という明確なビジュアルがある。恵方巻は黙って太巻きを食べるのみだ。うわっ、太巻き食べてる!と逃げる鬼の姿は浮かばない。いま、節分には「動」から「静」への変化が起きている。
と、ここまで書いてどうしても気になるのは、桃太郎は鬼ヶ島に向かうさい、鬼が嫌がる豆を持って行けばよかったのに、なぜキビ団子しか持たされなかったのか、という点だ。
豆をまけば鬼は逃げる。その隙をついた攻撃を行えばかなり有利な戦いができただろう。しかし実際はキビ団子欲しさに仲間になった動物たちが活躍する。これは全くのラッキーで、動物たちが桃太郎に逢わなければキビ団子を渡す機会はない。キビ団子は桃太郎自身が食べたか、ヤケになって鬼に投げつけて鬼に「で?」と言われる可能性だってある。
思うに、ここにはおばあさんによる桃太郎への遠回しな殺意があったのではないか。
鬼退治に有効な豆を渡さず、あえてキビ団子を渡す。あわよくば桃太郎は鬼にやられて死んでしまうかもしれないし、うっかり鬼を退治できてしまうかもしれない。居候の桃太郎か、悪さをする鬼たちか、どっちに転んでもどっちかを消すことができる。そして自分にはダメージがない。江戸川乱歩いうところの「蓋然性(プロバビリティ)の犯罪」というやつだ。
昔話とはいえ、その計算高さには戦慄せざるをえない。たぶん、おばあさんは桃太郎が出かけた後、含み笑いをしながら、恵方巻を食べていると思う。
明治三年。脱疽のため右足に続き左足を切断した名女形、沢村田之助の復帰舞台に江戸は沸いた。ところが、その公演中に主治医が惨殺され、さらには、狂画師・河鍋狂斎が描いた一枚の幽霊画が新たな殺人を引き起こす。戯作者河竹新七の弟子・峯は捜査に乗りだすが、事件の裏には歌舞伎界の根底をゆるがす呪われた秘密が隠されていた…。
北森鴻のデビュー作(第六回鮎川哲也賞)。芝居小屋を取り巻く連続殺人、一枚の幽霊画がその根底にあり…という筋だけど、時代物に馴染みがないのもあり、人物名を覚えるのにちょっと苦労してしまいました…。登場人物自体も多く、名前や屋号で呼ばれたりするので…。
登場人物の多さに起因するものではないのですが、全体的にいろいろサービスが盛り込まれていて、風通しが悪くなってしまっている印象。しかし、あとがきで作者本人も言うように、デビュー長編ということもあり、そこに若さや熱さを感じることができる。この作品で勝負をかけるという作者の意気込みと、作中で舞台に執念を燃やす沢村田之助がオーバーラップする。
平成22年1月25日、北森鴻さんは心不全で亡くなられましたた。48歳という若さで。民俗学、骨董、料理といったフィールドを本格ミステリとつなげる稀有な作家でした。僕は特に『メイン・ディッシュ』
が好きでした。蓮丈那智も、冬狐堂も、香菜里屋も、裏京都も、もう新作が出ないと思うと大変大変残念です。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
ホラー映画が苦手です。
ホラー映画に限らず、怖い話が苦手です。だって怖いじゃないですか。見たり読んだりした後に、生活の中にさっきの怖いのが入りこんでくるのがもう嫌なのだ。怖いのだ。就寝時の消灯、半開きのドア、洗髪中の背後、向かいのホーム、路地裏の角、こんなとこにいるはずもないのに。
というか、ホラー映画を作る人の中にも怖いのが苦手な人が絶対いると思う。
映画の最後に延々流れるエンドクレジット。一本の映画を作るのに、撮影・編集・美術・音声などなどたくさんの人が関わってるけど、みんながみんなホラー大好き!じゃないと思う。一人くらいは「俺、血とか全然ダメで…」という人がいるはずだ。
普段はベタなラブコメとかを愛しているしがない映画スタッフであったが、この不況下、人が足りないという理由でホラーの現場に駆り出されてしまう。「いや自分、こういうのはチョット…。」「じゃぁお前以外に誰ができるんだよ」「それはそうですけど…。」最終的に上司に押し切られ、例えばグチョグチョした音とか、小腸に似せた何かとかを作らないといけなくなってしまう。
ラブもコメディもない現場に苦悩する彼であったが、なんとか自分が怖がらずに済む手法を編み出して対応していく。怖くて試写も見れない彼。しかし、これまでと違うクオリティを持った出来映えに職人としての腕を買われ、どんどんオファーがきてしまい…。
なんかデトロイト・メタル・シティみたいな話になってきた。