「九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、まして雨の中となるとなおさらだ」

九マイルは遠すぎる

ミステリーでたびたび引き合いに出されるハリイ・ケメルマン『九マイルは遠すぎる』。英語にしてたった十一語の文章から、考えられる推論を重ねていき、終いにはとんでもない事件を引き当ててしまう。

まさに安楽椅子探偵の極みであり、推理というか妄想にも近くなるのだけど、このテーマはやはり面白く、数々の作家が挑戦しております。思い出す限りちょいと集めてみました。
  

競作五十円玉二十枚の謎 (創元推理文庫)

  • 著者/訳者:若竹 七海 依井 貴裕 有栖川 有栖 笠原 卓 法月 綸太郎
  • 出版社:東京創元社( 2000-11 )
  • 文庫:409 ページ
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アンソロジー『競作五十円玉二十枚の謎』
池袋の書店を土曜日ごとに訪れて、五十円玉二十枚を千円札に両替して走り去る中年男

なぜ書店で両替するのか?なぜそんなに五十円玉がたまるのか?なぜ毎週千円に両替するのか?若竹七海が書店でアルバイトをしていた時の実体験が元となり、プロアマ13人が自分なりの解決を考え抜いて短編に仕上げているという、なんとも贅沢&異色な1冊。この時不参加だった北村薫が後に『ニッポン硬貨の謎』を上梓しております。そして法月綸太郎の解決がずるすぎる。
 

麦酒の家の冒険 (講談社文庫)

西澤保彦『麦酒の家の冒険』
迷い込んだ山荘には一台のベッドと冷蔵庫しかなかった。冷蔵庫を開けてみるとヱビスのロング缶96本と凍ったジョッキ13個が。
著者自らあとがきで「九マイルは遠すぎる」を意識したと書いている本作は、タックシリーズの2作目。タック・タカチ・ボアン先輩・ウサコが冷蔵庫のビールを勝手に飲みながら延々と推理。ベッドしかない山荘に、なんでこんなにたくさんのビールとジョッキがあるのか?状況が突飛すぎるゆえ、仮説もとんでもなくなって、だれることなく面白さ持続。シリーズの中でも好きな作品。
 

遠まわりする雛

米澤穂信『遠まわりする雛』収録 「心当たりのあるものは」
「十月三十一日、駅前の巧文堂で買い物をした心あたりのあるものは、至急、職員室柴崎のところまで来なさい」
つい最近読んだので。きっかけは校内放送、放課後に1回だけ行われた生徒への呼び出しから導き出される犯罪の臭いとは。「古典部」シリーズの折木奉太郎と千反田えるの語りだけで構成される本作は、推理作家協会賞候補にもなっていたりする。
 

退職刑事 (1) (創元推理文庫)

都筑道夫『退職刑事』収録 「ジャケット背広スーツ」
ジャケットと背広とスーツを持って駅を走る男
現役刑事の息子がぶつかった事件を、退職刑事の父親が聞くだけで解決してしまう安楽探偵椅子ものの白眉。殺人事件の容疑者が見たというこのジャケット男は、いったい何を意味するのか?割と経緯が複雑だったかで、どういう結末だったか忘れてしまった(笑)読み返すかなぁ。

他にも島田荘司『UFO大通り』(「傘を折る女」)とか、蒼井上鷹『九杯目には早すぎる』とか、まだまだありますな。有栖川有栖あたりにもあったような気がするんだよなぁ。

 

ラットマン (光文社文庫)

前々作『片眼の猿』、前作『ソロモンの犬』→感想と来て本作『ラットマン』。猿・犬・ネズミて、干支か、とツッコミたくなるところだけどもまぁまぁまぁ読んでくださいよ。道尾秀介の最新作にて、これまでの最高傑作であります。

姫川はアマチュアバンドのギタリストだ。高校時代に同級生3人とともに結成、デビューを目指すでもなく、解散するでもなく、細々と続けて14年になり、メンバーのほとんどは30歳を超え、姫川の恋人・ひかりが叩いていたドラムだけが、彼女の妹・桂に交代した。そこには僅かな軋みが存在していた。姫川は父と姉を幼い頃に亡くしており、二人が亡くなったときの奇妙な経緯は、心に暗い影を落としていた。
ある冬の日曜日、練習中にスタジオで起こった事件が、姫川の過去の記憶を呼び覚ます。――事件が解決したとき、彼らの前にはどんな風景が待っているのか。

タイトルの「ラットマン」とは、見方によって人の顔に見えたりネズミの顔に見えたりする”多義図形”の名称(→こちらの下のほうで現物が見られます)。あんなに叙述トリックを仕掛け続けた作者が、「人はありのままのものを見ているわけではない」という警句を改めてタイトルにすえてるわけですよ。

姫川の過去の事件と現在の事件を絶妙に組み合わせ、二層三層に「ラットマン」を仕掛けてくるそのミステリとしての出来に舌を巻きっぱなし。それでいて、登場人物たちの「青春の終わり」を描き出すそのストーリーテリングの絶妙さ。読了後の余韻にひたり、読み返してまた唸り。

過去も未来も、男も女も、真相も犯人も、目にしたありのままではない。グラグラ揺れる視点とやがて訪れる終わり。早くも2008年の収穫。道尾秀介、どこまで上り続けるのだろう。

 

ゴールデンスランバー

  • 著者/訳者:伊坂 幸太郎
  • 出版社:新潮社( 2007-11-29 )
  • ハードカバー:503 ページ
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書下ろし1000枚の本作はまさに「ベスト・オブ・伊坂幸太郎」といったおもむきですよ。政治の闇は『魔王』、親子の絆は『重力ピエロ 』、学生時代の友情が『砂漠』で、殺し屋といえば『グラスホッパー』。これら今まで発表した作品のエッセンスを1つに注ぎ込んだのが、この『ゴールデンスランバー』、と言うぐらいの伊坂全部盛りです。

仙台での凱旋パレード中、突如爆発が起こり、新首相が死亡した。同じ頃、元宅配ドライバーの青柳は、旧友に「大きな謀略に巻き込まれているから逃げろ」と促される。折しも現れた警官は、あっさりと拳銃を発砲した。どうやら、首相暗殺犯の濡れ衣を着せられているようだ。この巨大な陰謀から、果たして逃げ切ることはできるのか? 

逃亡アクションものとしてはまだアイデアを盛り込める余地がありそうで、行き当たりばったりな展開もありますが、この作品の中心は繰り返し使われる「信頼と習慣」という言葉にあるような気がします。普通の人が逃げなければいけない目になったとき、何をどう信じたらよいのか?見えない絆が生む奇跡に心やられます。

リンクも健在で、見落としてる伏線もまだあるような気がするなぁ。読み終わった方は第2章と第3章をもう一度読むことをオススメします。伊坂幸太郎の入門としても、ファンサービスとしても、十二分に耐えうる一冊。タイトルの元になった、ビートルズが聞きたくなってしかたがない。

 

道具屋殺人事件──神田紅梅亭寄席物帳 [ミステリー・リーグ]

まさに落語ミステリの”真打ち登場”。帯の文句に偽りなし。

高座の最中に血染めのナイフがあらわれる、後輩は殺人の疑いをかけられる、妻の知り合いは詐欺容疑……。次から次へと起こる騒動に、二つ目、寿笑亭福の助が巻き込まれながらも大活躍! 落語を演じて謎を解く、一挙両得の本格落語ミステリー!

これまで落語ミステリと言えば大倉崇浩『七度狐』や田中啓文『笑酔亭梅寿謎解噺』など数あれど、本作が新しいのは、落語を演じることイコール事件の解決になること。

3編ともクライマックスは舞台にあがる福の助の落語。福の助が従来の古典落語に新しい演出を加えるのだけど、この演出そのものが謎の真相を示唆することになるのである。この「新しい演出」=「謎解き」の絵がすばらしい。

落語のアイデアを思いつくだけでなく、それを事件と結びつけるプロットを作るなんてたいそう難しかろうに、3編ともクオリティが落ちないのもスゴイ。

粋な登場人物や名人のエピソードなど、作者の落語に対する愛もひしひしと伝わる筆致。しゃべりの果てにある美しき一石二鳥。また続編が楽しみなシリーズが一つ増えました。
 
 

ハナシをノベル!! 花見の巻

なんだか落語が聞きたいなぁと思ってたら、作家9名が新作落語を書き下ろした『ハナシをノベル!! 花見の巻』がつい最近出たらしく、すごい気になる。実演CD付きですって。我孫子武丸、浅暮三文、田中啓文、牧野修などなど。

 

サクリファイス (新潮文庫)

サクリファイス【sacrifice】— いけにえ、犠牲。

自転車のロードレースがこの作品の舞台。この本を読むまで知らなかったんですが、実はかなり奥が深い競技なんですな。自転車ロードレースは団体競技であり、「エース」と「アシスト」という役割が存在するとのこと。

アシストはエースが勝つための駒として働くのが仕事。エースの先を走ることでエースにかかる空気抵抗を減らしたり、集団から飛び出して全体のペースを乱したり、エースの自転車がパンクした時は自分の自転車の車輪を提供したりする。駆け引きの中に身を投じ、目まぐるしく変わる状況の中で活路を見出すスポーツなのだった。

この物語の主人公は「アシスト」の白石誓。勝つことに意味が見出せず、アシストとしての役割に徹するつもりであった白石。しかし、その実力やレースでの経験から、自分のために走ることを意識し始める。気になるのはチーム内のエース・石尾。彼は自分以外のエースを認めないとの評判が立っていた。彼に潰された選手もいたと言う…。

物語の半分以上を過ぎ、青春小説としてぐいぐい引き込まれてる最中、「惨劇」の章で起こる事件が読者も登場人物も揺さぶっていく。そこから二転三転し、ラストへの急展開。全てが鳥肌。

サクリファイス。いけにえ、犠牲。その言葉が本作でなす意味は、あまりに重い。

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