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【オススメ本】 Archive
伊集院光『のはなし』
初エッセイ集だったとは。
伊集院光の魅力が詰まった一冊。こんなエッセイ集を、今まで誰も、読んだことも見たこともないはず。連載5年、構想4年、修正1年。伝説のエッセイ、ついに刊行! 爆笑!感動!鳥肌!の全82話。
携帯会社のメールマガジンに数年に渡り書いたコラム750編(!)から厳選された80編。そんなに書く前にちょっとずつ本にすればいいのに!長さも3~4ページ程度で程よく、次から次へと読んでしまう。
それにしても現在や過去の「恥」をあますとこなく公にしてしまうMっ気たるや。エロ本を買いに行こうとして遭難しかけたり、フリーマーケットで客相手に向きになったり、気まずい家族との思い出や少年時代の背伸びを余すところなく笑いに変え、たまにドキリとするようなトラウマに触れるときもあるけど、気がつくとまた何食わぬ顔して母の財布から小銭をくすねていたりする。そのオープンさと記憶力って、実はとてもすごい能力だと思う。
尺の都合なのか編集の方針なのか、ラジオで聴かせるブラックな面はかなり薄まっている。しかし、その分読みやすく、話も濃縮されているため、万人向けに仕上がっている。テレビで見る「なんだか雑学に詳しいデブ」という印象だけ持っている方にぜひオススメしたい。この才能に触れないなんてもったいないですわ。
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山田ズーニー『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
こんな例でこの本は始まる。
「何を言うか」よりも、「だれが言うか」が雄弁なときがある。例えば同じニュースでも、どのメディアが言うかで、ぐっと印象は変わる。
ついに宇宙とコンタクト(日本経済新聞)
ついに宇宙とコンタクト(東京スポーツ)
自分と相手が「通じる」ためのコミュニケーション論。とは言え、単なる技術論にあらず。自分の想いを伝えて、相手に受け止めてもらって、共感と信頼を得るまでの、著者の考え抜かれた想いがギュッと詰まっている。もうこの時点で著者から読者へ言葉が通じまくりなのだ。
冒頭の例は「メディア力」と表現されている。どんな言葉でもそれを言う人によって捕らえ方が変わる。「メディア力」を持っている人ほど話が通じやすい。では「メディア力」上げるにはどうしたらいいのか?
ここで作者は小手先の交渉テクニックを持ち出したりはしない。話を通じさせるには、まず通じさせる自分の意見をはっきり持つこと。自分の意見をはっきり持つためにはまず考えること。そう、この本では「考える方法」に主眼を置かれて書かれているのである。
なぜ正論が通じないのか、全く言葉が通じない時に振り返るべき点はなにか、共感が生む効果とは…などなど、人と通じ合うための「根っこ」が余すところなく語られている。
NHKのテキストにもなった『話すチカラをつくる本―この一冊で想いが通じる!』もこの本がベース。『話すチカラ~』もエッセンスを取り出して読みやすいけれど、より作者の想いが綴られている本書の方が僕は好きです。
いたるところに気づきがあって、読み終わったあともこの気づきを忘れたくないと切に思う。うわべではない核心の話をしてくれる、まさに人とつながるための教科書。著者は言う、案ずる無かれ、みんな最初は初対面だったのだ、と。
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石持浅海『君の望む死に方』
『扉は閉ざされたまま』の碓氷優佳リターンズ。開かない扉を前に推理合戦を繰り広げた前作に続き、またしても超絶シチュエーションですよ。
私は君に殺されることにしたよ
しかも殺人犯にはしない──。
死を告知された男が選んだ自らの最期。
周到な計画は、一人の女性の出現によって齟齬(そご)をきたしはじめた
膵臓ガンで余命6ヶ月──
〈生きているうちにしか出来ないことは何か〉
死を告知されたソル電機の創業社長日向貞則(ひなたさだのり)は社員の梶間晴征に、自分を殺させる最期を選んだ。彼には自分を殺す動機がある。
殺人を遂行させた後、殺人犯とさせない形で──。
幹部候補を対象にした、保養所での“お見合い研修”に梶間以下、4人の若手社員を招集。日向の思惑通り、舞台と仕掛けは調(ととの)った。あとは、梶間が動いてくれるのを待つだけだった。だが、ゲストとして招いた一人の女性の出現が、「計画」に微妙な齟齬(そご)をきたしはじめた……。
殺されたい社長と殺したい社員の一人称が交互に語られる。社員は「殺したい」意思を隠しながら殺す機会を伺い、社長は「殺されたい」意思を隠しながら状況を操作する。その心理戦がスリリングで、残りページはすぐに減っていく。
社長が研修所のあちこちに凶器を仕掛けているのも面白い。玄関には花瓶が、キッチンにはアイスピックが、喫煙室には灰皿が、談話室には重たい社史があり、廊下の壁掛け時計の下にわざと椅子が置いてあったりする。また、外部犯の可能性を残すために治安の悪い地方の研修所を選び、物音が隣室に聞こえないように居室は一つ飛びに参加者に割り当てられている。もう、もはや「罠」というより「誘惑」である。
状況設定だけでも面白いのに、第三者によってこの「誘惑」が一つ一つ壊されていくため、心理戦はさらに加速する。いつのまにか椅子は動かされ、花瓶には花が生けられ、お見合い研修ゆえに女子の思わぬ行動も…。刻々と変わる状況、どう対処すれば殺し-殺されるのか?
はっきりと態度に出さずに、いかに人心を誘導するか。その構成上、都合が良すぎる展開もあるけれど、将棋を打っているような思考の読みあいが面白い。『扉が閉ざされたまま』も犯人側視点で腹の探りあいが楽しめたけど、今回は視点が2人分なのでサスペンスがより持続するのも特筆すべきところ。
被害者と殺人者と探偵役の、無言の三つ巴。このラストは、絶対誰かと語りたくなる。諸手を挙げておすすめ!
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『九マイルは遠すぎる』テーマをまとめてみる
「九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、まして雨の中となるとなおさらだ」
ミステリーでたびたび引き合いに出されるハリイ・ケメルマン『九マイルは遠すぎる』。英語にしてたった十一語の文章から、考えられる推論を重ねていき、終いにはとんでもない事件を引き当ててしまう。
まさに安楽椅子探偵の極みであり、推理というか妄想にも近くなるのだけど、このテーマはやはり面白く、数々の作家が挑戦しております。思い出す限りちょいと集めてみました。
■アンソロジー『競作五十円玉二十枚の謎』
池袋の書店を土曜日ごとに訪れて、五十円玉二十枚を千円札に両替して走り去る中年男
なぜ書店で両替するのか?なぜそんなに五十円玉がたまるのか?なぜ毎週千円に両替するのか?若竹七海が書店でアルバイトをしていた時の実体験が元となり、プロアマ13人が自分なりの解決を考え抜いて短編に仕上げているという、なんとも贅沢&異色な1冊。この時不参加だった北村薫が後に『ニッポン硬貨の謎』を上梓しております。そして法月綸太郎の解決がずるすぎる。
■西澤保彦『麦酒の家の冒険』
迷い込んだ山荘には一台のベッドと冷蔵庫しかなかった。冷蔵庫を開けてみるとヱビスのロング缶96本と凍ったジョッキ13個が。
著者自らあとがきで「九マイルは遠すぎる」を意識したと書いている本作は、タックシリーズの2作目。タック・タカチ・ボアン先輩・ウサコが冷蔵庫のビールを勝手に飲みながら延々と推理。ベッドしかない山荘に、なんでこんなにたくさんのビールとジョッキがあるのか?状況が突飛すぎるゆえ、仮説もとんでもなくなって、だれることなく面白さ持続。シリーズの中でも好きな作品。
■米澤穂信『遠まわりする雛』収録 「心当たりのあるものは」
「十月三十一日、駅前の巧文堂で買い物をした心あたりのあるものは、至急、職員室柴崎のところまで来なさい」
つい最近読んだので。きっかけは校内放送、放課後に1回だけ行われた生徒への呼び出しから導き出される犯罪の臭いとは。「古典部」シリーズの折木奉太郎と千反田えるの語りだけで構成される本作は、推理作家協会賞候補にもなっていたりする。
■都筑道夫『退職刑事』収録 「ジャケット背広スーツ」
ジャケットと背広とスーツを持って駅を走る男
現役刑事の息子がぶつかった事件を、退職刑事の父親が聞くだけで解決してしまう安楽探偵椅子ものの白眉。殺人事件の容疑者が見たというこのジャケット男は、いったい何を意味するのか?割と経緯が複雑だったかで、どういう結末だったか忘れてしまった(笑)読み返すかなぁ。
他にも島田荘司『UFO大通り』(「傘を折る女」)とか、蒼井上鷹『九杯目には早すぎる』とか、まだまだありますな。有栖川有栖あたりにもあったような気がするんだよなぁ。
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道尾秀介『ラットマン』
前々作『片目の猿』、前作『ソロモンの犬』と来て本作『ラットマン』。猿・犬・ネズミて、干支か、とツッコミたくなるところだけどもまぁまぁまぁ読んでくださいよ。道尾秀介の最新作にて、これまでの最高傑作であります。
姫川はアマチュアバンドのギタリストだ。高校時代に同級生3人とともに結成、デビューを目指すでもなく、解散するでもなく、細々と続けて14年になり、メンバーのほとんどは30歳を超え、姫川の恋人・ひかりが叩いていたドラムだけが、彼女の妹・桂に交代した。そこには僅かな軋みが存在していた。姫川は父と姉を幼い頃に亡くしており、二人が亡くなったときの奇妙な経緯は、心に暗い影を落としていた。
ある冬の日曜日、練習中にスタジオで起こった事件が、姫川の過去の記憶を呼び覚ます。――事件が解決したとき、彼らの前にはどんな風景が待っているのか。
タイトルの「ラットマン」とは、見方によって人の顔に見えたりネズミの顔に見えたりする”多義図形”の名称(→こちらの下のほうで現物が見られます)。あんなに叙述トリックを仕掛け続けた作者が、「人はありのままのものを見ているわけではない」という警句を改めてタイトルにすえてるわけですよ。
姫川の過去の事件と現在の事件を絶妙に組み合わせ、二層三層に「ラットマン」を仕掛けてくるそのミステリとしての出来に舌を巻きっぱなし。それでいて、登場人物たちの「青春の終わり」を描き出すそのストーリーテリングの絶妙さ。読了後の余韻にひたり、読み返してまた唸り。
過去も未来も、男も女も、真相も犯人も、目にしたありのままではない。グラグラ揺れる視点とやがて訪れる終わり。早くも2008年の収穫。道尾秀介、どこまで上り続けるのだろう。
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管理人:INO
