5月 272010
 

無血主義を貫くテロ組織に所属する三人を描いた連作短編。彼らは腐敗した日本政治を転覆させるために活動するプロのテロリスト…なのだけど、上層部からやってくる任務がなんだかヘンテコなものばかり。例えばこんなの。

・このレモンをスーパーのレモン売り場に置いてこい。
・このプラスチックの粉をどっかの公園の砂場に混ぜて、このアライグマが入ったケージを上に置いてこい。
・ここの新聞紙を丸めて紙袋に入れて、どっかの電車の網棚に置いてこい。
・適当なコンビニを選んでそこでバイトしてこい。
・あの女子大生と付き合え。

なんだよこれ?と言いつつも、組織の末端である彼らには真の目的は伝えられない。命令は絶対なので忠実に実行する彼ら。レモンの任務ではスーパーの下見をして、レモンがバラ売りかパック売りかちゃんと調べる抜かりなさ(無血主義なのでレモンは某作品みたいに爆弾だったりしない)

で、その場ではなんだかわからないのだけど、絵解きをしてくれるメンバーが毎回「第四の人物」として登場。彼の手にかかると、意味のないと思われた行動が、実は外交に影響したり、警察不信を招いたり、国民を正体がわからぬ不安に陥れることがわかるのだ。

「風が吹けば桶屋が儲かる」方式で、本当に実現するかは甚だ心許ないけど、一見遊びに見える行動が実は練られた計画である、とクルリと絵が変わるのが面白い。同じ石持浅海作品だと『心臓と左手』(→過去の感想)に近い手触り。

狂牛病や毒ギョーザ事件、タミフルの騒動やガードレールの鉄片など、実際に日本国民がなんだか不安に陥ったニュースは数多い。その裏に彼らテロリストが暗躍していたとしたら…なんて想像もしてしまうほどです。

5月 252010
 

とても、粗筋を書くのが難しい。

少年(三歳児!)が「世界」を救うために「悪」と戦う、というようにアウトラインを書き出すと、とてもステレオタイプに見える。でも、そうじゃない。詳しく書こうと思えば書き出せると思うけど、なんだかそれは、僕の手でこの物語を縮小させてしまう気がしてしまう。

とても、感じたことを書くのが難しい。

読後感は決して、マイナス、ではない。でも、深い感動や、涙や、感嘆や、驚愕や、その他大きく感情の針が動きだすわけでなく、なんかぼんやりと反芻している。これはなんなのだろう。心に場面が浮かんでは、降り始めの雪のようにじんわり消えていく。

僕は高橋源一郎の熱心な読者ではなくて、何年も前に『さようなら、ギャングたち』を一度読んだきり。記憶はおぼろげ。だから他の高橋源一郎作品と比べてどう、という言葉は持ち合わせていない。

ただ、一つ、言えるとしたら、子供を持つ親になっているいま、言えるとしたら、この本はずっと僕の本棚に置いてあることになると思う。

繰り返し取り出しては、ランちゃん、キイちゃんに会うことになるだろうと思う。

長い付き合いになる予感だけ、今はしている。

※参考リンク
高橋源一郎 (inomsk) on Twitter:5/1~13まで、毎日午前0時に高橋源一郎本人が『「悪」と戦う』のメイキングを執筆していました。

5月 232010
 

自由奔放な妹・七葉に比べて自分は平凡だと思っている女の子・津川麻子。そんな彼女も、中学、高校、大学、就職を通して4つのスコーレ(学校)と出会い、少女から女性へと変わっていく。そして、彼女が遅まきながらやっと気づいた自分のいちばん大切なものとは…。ひとりの女性が悩み苦しみながらも成長する姿を淡く切なく美しく描きあげた傑作。

骨董品屋の長女・麻子の成長を、全体を4章にわけてそれぞれ中学時代・高校時代・就職直後・就職して3年後、という年代設定にして、連作短編として仕上げている。あの子がこんなに立派になって…という仕組みになっていて、終盤には、おっちゃんは中学の頃からこの子知ってんねんでーとすっかり物語に入ってしまう。

自分は地味で誇るところがないというコンプレックスを抱え、六人家族で暮らす多感な思春期を過ぎ、就職し…という流れで、就職してからがもう白眉。入社後の戸惑、突然の現場への派遣、そこから徐々に人間関係を築いて、仕事も覚え…と、その中で過去に自分に起きた出来事が今の仕事につながって…と、いろんなものがリンクしていく。人生はその場しのぎではなくて、過去の自分が未来の自分を作っていく。

特に”何かに目覚める時”が鮮やかだなぁと感じました。初恋や職場での気づきと言った場面で、パァァと目の前の世界が変わる。自分の中の変化を自分で感じる瞬間が美しい。

たぶん女子向けの本に分類されるんだろうけど、娘をもつ親御さんにもオススメです。もう、主人公をハラハラしながら応援してしまう自分がいます。

この本はTwitterで書店員の方々によって結成された「秘密結社」が、大好きな本として全国の書店(その数約100店舗!)で大プッシュしているもの。ハッシュタグは#Schole。Twitterが生んだフェアでこの本に出会えたことを感謝します。お近くの書店でも平積みされてるかもしれませんよ。(メディアでの紹介→ツイッターで販売に火 「大好きな本」書店員プッシュ! 社会 福井のニュース:福井新聞

5月 142010
 

先日の角川文庫の太宰治の表紙が味写すぎる件について、よく調べてみたら、あの表紙は太宰治生誕100周年の梅佳代×祖父江慎のコラボカバーだったらしい。そういうことだったのか!
 →太宰 治生誕100周年フェア|角川書店(梅佳代×祖父江慎の対談あり)

これまた先日の天久聖一『味写入門』の感想では帯に「プロには無理」と書いてあるのだけど、味写を撮れるプロがそういえば、いたいた。梅佳代である。

梅佳代は何冊か写真集を出しているのだけど、小学生男子のおふざけばかり収まってる『男子』や、実の祖父を10年撮り続けてた『じいちゃんさま』も好きだけど、やっぱり最初の『うめめ』は衝撃だった。

なんでもない住宅地、駅、公園。なのに、ハプニングの一瞬がいくつもいくつも撮られている。「どうしてこうなった!?」と声をあげてしまうインパクト。大人が通勤してる横でアスファルトの上でひっくり返っている小学生、1つのコインロッカーに群がっているご親族、フライドポテトをこぼしてるのに遠くを見てる子供(表紙)、衝立の向こうから突然現れるノッポン(東京タワーのマスコット)…。

常にカメラを持ち歩かなければ撮れない写真なのはもちろんだけど、瞬間を見逃さない「目」と何かを引き寄せる「磁場」が三位一体揃わないとこんなのできないなぁ。

ニュースばかりが「報道」じゃない。日常の変なことを報じたっていいじゃないの。脱力しながら不思議な余韻。日常の横で、奇妙な扉が半ドアで開いてる感じです。

5月 122010
 

伊集院光のエッセイ『のはなし』の第二弾。あいうえお順に「アウトセーフ」の話から「んまーい!」の話まで全86話を収録。(※『のはなし』は文庫化されて『のはなしにぶんのいち』になってます)

相変わらず驚くのは、「自分の引き出し」の多さ。子供ころの思い出から仕事の話までの現在過去、アホな思いつきに下ネタ、思いつきに妄想まで、ホントに大量でかつ多種多様ですごい。引き出しというよりもはや自分データベース。出来事とその時の感情をセットにして、いったいどれだけ蓄積されているのやら。

しかし、決して”爆笑エッセイ”では終わらない。

伊集院は自分の言葉でいろいろ考える。幼少期の夕焼けを。理不尽に対するモヤモヤを。あの日あの時どうすればよかったかを。ぼやきや下ネタの間にフッとそれらが挟まって、何層もの伊集院が現れる。

この「多様な伊集院」については、まえがきに本人も書いている。テレビでは良い人、ラジオではダメな人、同じテレビでもNHKの伊集院と深夜の伊集院は違い、そして新たに「『のはなし』の伊集院光」も出てきてしまった。

どれも嘘はありません。

以前は「早くどれか一つにしたい」と思ったこともありましたが、今は「むしろ増やしてやろう」と思っています。小さいのがものすごくたくさんあったら、大きいのは一つしかないのと同じだから。

どの人にも必ず気に入る1話があると思います。ちなみに僕が一番覚えてるなのは「盗んだ金」の話。お金を盗むのはもちろんいけないことなんだけど、待っているのはまさかのノスタルジー。

相変わらずのおすすめです。