vs わからず屋!交渉の達人が教える「非合理的な人」6タイプ完全攻略

世の中、ぜんぶ理詰めではいかないんですよね…。

瀧本哲史さんの『武器としての交渉思考』を読みました。

「交渉」を勘違いしていた

「交渉」と聞くと、相手を言い負かして要求を飲ませる、とか、押し切られて言いなりになるとか、ツラーいイメージが浮かぶ。できればやらずに済ませたい。

投資家として、数々の交渉を行ってきた瀧本さんは言う。

交渉は「合意を作り出す手段である」と。

できる限り情報を集め、話し合い、いい感じのところを探り、場合によっては思っていた以上の結果を得る。

それが「交渉」であると。

逆に言えば、主張を押し通したり、言い負かしたりっていうのは、交渉じゃないんだなぁ。

話が通じる相手ばかりじゃない

本書では、交渉で最大の効果を出すための、具体的な手法を教えてくれる。

「バトナ」「ゾーパ」「アンカリング」など、必殺技っぽい名前がついてる。ハッタリとか、心理的なものじゃない。説明が論理的だし、例題も多くて、スッと頭に入る。

どんな技かは読んでもらうとして、面白いのは、これらの技は相手が「合理的な人」「話が通じる人」を想定しているところ。

ちゃんと説明しても、相手が「わからず屋」だと交渉にならない。技も全然効かない。

そんな「非合理的な人」「話が通じない人」を、瀧本さんは6タイプに分類する。

これが、あーいるいる!って分類になってる。仕事じゃなくても、日常生活でも会ったことがある気がする。これ、もう交渉に限らないと思う。

是非ともご紹介したい、というわけで、その6タイプの傾向と対策をまとめました。

「非合理的な人」6タイプの傾向と対策

一覧にするとこうなります。

1.「価値理解と共感」を求める人
2.「ラポール」を重視する人
3.「自律的決定」にこだわる人
4.「重要感」を重んじる人
5.「ランク主義」の人
6.「動物的な反応」をする人

1つ1つ見ていきます。

1.「価値理解と共感」を求める人

外国人とか、職人さんとか、持ってる価値観が全然違う人の場合。

価値観なんてそんなに簡単に変わらないので、変えてやろうと思わないのが大事。むしろ、そっちに合わせちゃう。

この人共感しようとしているな、というのは相手にも通じる。自分の価値観に合わせようとしてくれる人の話は、ちゃんと聞こうと思うそうです。

2.「ラポール」を重視する人

ラポール、とは、フランス語で「橋をかける」。自分と相手の間に信頼関係を作ること。よそものとは話をしたくない、というタイプ。

信頼関係なんてすぐにはできないので、どうしても時間がかかる。

共通点を見つけたり、振る舞いを真似たり、スモールギフトを贈ったり…。地道な努力で「橋をかける」しかない。

3.「自律的決定」にこだわる人

なんでも自分で決めたがる人。人に指図されて決めるのが大嫌いなタイプ。

こういう人には、無理に説得しようしない。その人が判断できる「情報」だけ伝えて、任せる。

相手がメリット・デメリットをちゃんと見極められる人なら、情報をオープンにしたほうが信頼を得られる。

逆に、デメリットがあると逃げ腰になる人なら、メリットの情報を中心にして伝えたほうがいい。

4.「重要感」を重んじる人

自分を軽く扱ってほしくない人。なめられてる、とか、上から目線で見られてるとか気にするタイプ。

これは、とにかく敬意を持って相手に接することに尽きる。

口先だけではバレる。態度や表情、メールの反応速度など、「非言語のメッセージ」が重要になる。

5.「ランク主義」の人

出身大学や肩書きにこだわる人。名刺交換をジャンケンのように感じてるタイプ。

自分のランクはどうしようもない場合、高いランクの人間をメンバーにい引き入れる、という手がある。あの人も関わってるなら…と思わせてしまう。

もしくは、ランクを越えて「見所のあるやつ」と思わせる。でかい夢を語り、ランクが高い相手を「パトロン」の立場にしてしまう。

6.「動物的な反応」をする人

怒鳴る、泣く、苛立つ。こちらに覚えがないのに、なんか荒れているタイプ。

相手の感情が荒れる何かが起きていることがある。朝に夫婦喧嘩をした、昨日恋人と別れた、この会議の前に上司に怒られた、などなど…。

相手も人間なので、こればかりは対処のしようがない。刺激しないようにしながら、うまくスルーすること。

泥臭さと「相手を知る」こと

6タイプの対処を見渡すと、なんかこう、泥臭い感じがある。

「交渉」という言葉が持つ知的なイメージとは、離れている感じ。

接待とか、根回しとか、今どきそういうの何だかな…と思うようなことが、対応策として語られる。

結局これって「相手を知る」ってことに尽きるんですよね。

「合理的な人」対策でも語られてるんですけど、交渉はとにかく情報が命。相手が何を欲しがっているか、相手はこちらをどう思っているか、選択肢はなにか、情報を多く得た方が優位になる。

「非合理的な人」相手でも、非合理的なりにどんな思考回路になっているか、そのレールにいかにうまく乗るか大事なんだなぁ。

泥臭いことは嫌い…と思っていたんですが、考え直しました。

ホント、価値ある一冊です。折に触れ読み返すと思います。オススメです。

「ちゃんとしてない」からこそ雑談ができる『弱いロボット』

ロボットをイメージしてみてください。

あ、そんな巨大なやつじゃなくていいです。ガンダムとかは忘れてください。

ロボットって、自立して、人の言うことを聞いて、役に立つやつじゃないですか。工場で部品を作ったり、二足歩行で歩いたり、犬もどきだったり。

その真逆、「ちゃんとしてない」ロボットを作った人がこの本の著者の岡田さん。その「ちゃんとしていない」ロボットは、人間と雑談が「ちゃんと」できるんですよ。

岡田さんは元々は音声の研究をしていた人。コンピュータに人間の言葉をわかってもらう「音声認識」の分野の研究をしていた。

iPhoneのSiriを使うとわかるけど、今の音声認識はけっこう精度がいい。言ったことをちゃんとわかってくれる。でも「伝えたいこと」を「ハキハキと」しゃべらないといけない。「えーと、兄さんに、あのー、メールをですね、えー、したい」と話しても、「えー」まで含めて解釈しちゃってうまくいかない。「エート兄さん」になっちゃう。

そもそも人間って、会話する時そんなにずっとハキハキしてない。言いよどむし、順番はめちゃくちゃだし、省略も多い。それでも人間ってちゃんと会話が成立する。不思議。岡田さんはこの「なにげないおしゃべり」すなわり「雑談」を研究することにしよう!と決める。

ロボットは「雑談」ができるか?

コンピュータ同士で雑談ができないかなぁ、と考えていくと、「雑談」の意外な深みを知ることになる。目的のないおしゃべりは、コンピュータが得意とする「予測」ができないのだ。

雑談をするときって、「こんなことがあったよー」と報告が目的のときもあるけど、「寒い~死ぬ~」ぐらいの言葉からドンドン話がおかしな方向に向かっていくことがある。こんな時、相手に「こう答えてほしい」という想いはない。ただ言葉を投げて反応を楽しむ。

おしゃべりとは「相手を支え、相手に委ね、共に場を作る」ことだと岡田さんは気づく。

雑談は、相手に言葉を委ねて、返ってきた言葉を支える。そこにおしゃべりの「場」が生まれる。ボケツッコミ、口喧嘩は言わずもがな、意味不明なピングー語だって会話になりうる。逆に、電車の中で携帯電話で話している人は、片方のボールしか聞こえないのでなんだか落ち着かない。それは「場」がわからないから。

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さてこの「雑談」をロボットにさせるにはどうするか。

ここで岡田さん、普通の「ロボット像」と真逆の道を行く。

冒頭に書いたけど、ロボットのイメージって「ちゃんとしてる」。雑談ロボットはある意味「ちゃんとしていない」。反応は遅いし、たまにピント外れの答えを返すし、しまいには「む~」とわけのわからない言葉を出す。展示会に出すと「何の役に立つの?」と来場者に言われる始末。

でもこのロボット、ちゃんと「雑談」になるんですよ。なんでかって、相手(人間)が勝手にロボットが何を言ってるか想像しちゃうから。

雑談ロボットを老人ホームに持っていくと、おばあちゃんたちに可愛がられる。幼稚園に持っていくと子供たちがお世話を始める。これって、例えば完璧に言葉を返すアンドロイドだったとしたら、起こらない現象な気がするんですよね。「ちゃんとしていない」からこそだと思う。

倒れるかもしれないけど一歩踏み出してみる

「ちゃんとしていない」から、相手に委ねているから、そこにコミュニケーションが生まれる。

コミュニケーション力が大事!と叫ばれる昨今、一見コミュニケーションを放棄したような振る舞いが、逆に人とつながりを見せている。これなんでだろう。

さっきのおばあちゃんや子供たちに共通するのは、相手の「弱さ」を助けようとしているところだと思うんですよね。コミュニケーションって1人ではできなくて、相手がいて初めてできるもの。支えあって場を作る、共同作業なんですよ。

モジモジしたり、言い淀んだり、頼りなくたって、言葉が「場」にポンと出してみる。何が起こるかわからないけど、何かを期待して。歩くときにいちいち「倒れるかも」なんて心配しないように、その一歩を踏み出してみればいい。それをちゃんと受け止めればいい。

本書には雑談ロボット以外にも、「ゴミ箱ロボット」が登場する。自分でゴミを拾うんじゃなくて、ゴミの近くまで行って、通りすがりの人にペコリとお辞儀してゴミを入れてもらうという、他力本願なロボット。これも「ちゃんとしていない」からこそ「支えあう」存在。

踏み出すこと、支えること、両方あってのコミュニケーションだと、「む~む~」言うロボットに気付かされる一冊です。

そういえば、こうやってブログを書くことも、言葉を「場」にポイっと出していることになりますね。

何が起こるかわからないけど、何かを期待して。

「伝え方が9割」の残りの1割は「通じない」

あの人とデートがしたい。でも「デートしてください」と頼んでも、なんだか断られそう。重いかな。じゃぁこう言い換えてみよう。

「驚くほど旨いパスタの店があるのだけど、行かない?」

頼まれた方もなんか行ってもいいような気がしてくる。それは相手にもメリットがありつつ、こちらのメリットも叶えているから。

同じ内容でも「伝え方」を工夫するだけで、相手に届くことがある。

そしてその「伝え方」には、あるパターンが存在する。

著者の佐々木さんは数々の賞を取ったコピーライター。「相手に届く言葉」の秘伝をギュッと濃縮した1冊。

その内容は「頼みごとをする時」と「強いコトバを作る時」の大きく2つにケースにわかれている。

「ノー」を「イエス」に変える技

「頼みごとをする時」は、普通に頼んだら失敗しそうなところを、伝え方の工夫でYESに変えてしまう。デートの例もこれ。基本は「相手のメリットと一致するお願いをつくる」こと。自分のメリットばかり押し通しても相手は困っちゃう。自分も嬉しい、相手も嬉しい、そんな形に頼み方を変えてみればいい。

変えてみればいい、って言ったってどうするのー、という疑問には「7つの切り口」を用意している。デートの例だと「相手の好きなこと」という切り口。「選択の自由」「あなた限定」「チームワーク化」など、技の名前とその解説が続く。練習問題まである。

キャッチコピーや名台詞など、「強いコトバを作る時」にはまた別の「5つの方法」がある。ギャップを演出したり、リピートして強調したり、古今東西さまざまなコピー/名台詞を例に出して、どんどんパターンにあてはめていくのだ。ブログのタイトルなんかにも使えますね。

残り1割を「通じる」ものに

どんな言葉でも、相手に聞いてもらわないと意味が無い。聞いてもらわないとゼロ。聞いてもらえば9割成功。

『伝え方が9割』は「まず聞いてもらう」ために伝え方で相手を捕まえる、まさに「キャッチ」コピーを作るのに特化した内容になっている。だから、長文などの文章術とはちょっと違う。

伝え方が9割で、「じゃぁ残りの1割は?」と考えると、それはもちろん伝えたい中身のこと。

せっかく聞く気になったのに、中身ができてないハリボテを見せられても、相手も困っちゃう。次の機会にまた捕まえようとしても「またハリボテかな」と逃げられる可能性が高くなる。

この中身を大事にして「通じる」ことを考えている本が、山田ズーニー『あなたの話はなぜ通じないのか』僕のレビュー)だと思う。

ズーニーさんは長らく進研ゼミで小論文を担当していた人。つまりハリボテでは通じない場に身を置いていた人。とにかく人と人とが通じ合うことに対する熱量がハンパない。

この本でも基礎のキソから丁寧に「通じる」ための技術を教えてくれる。メディア力、論拠、正論が通じない理由…目からウロコが何枚も落ちます。僕も時々読み返しています。

どちらも必要な「表現」

『伝え方が9割』と『あなたの話はなぜ「通じない」のか』、どちらが良い、というわけではないのです。

お店に例えれば、看板や店構えを工夫してまず店を知ってもらうことと、その店の常連になってもらうことって、方法が別だと思うんです。両方必要なものだと思うんです。

振り向いてもらう技術と、通じ合う技術。2つ併せ持ってこそ、自分を相手に知ってもらえる。

表し、現す。「表現」の奥深さを知る2冊です。

『虐殺器官』信じる者は足元をすくわれる

9.11の以降、世界のあらゆるものはIDで管理されていた。食物も、銃も、人間も。

そんな近未来を描く『虐殺器官』のなかでは、先進国は厳重な認証体制を創りあげているものの、後進国で内戦や虐殺が絶えず起こっている。不思議なことに、有能な指導者によって明るい未来へ進もうとしていた国までも、坂を転がるように虐殺への道をたどっていくのだ。

アメリカの情報軍に所属するシェパード大尉は、そんな後進国の虐殺の裏にジョン・ポールなるアメリカ人が潜んでいることを知る。

とはいえ、虐殺を指揮しているのは権力者であって、ジョン・ポールはどう関わっているのかよくわからない。でも虐殺が起きた国には必ずいて、捕まえようとするとするりと逃亡してしまう。IDを追跡されているのにかかわらず。

ジョン・ポールの目的はなんなのか?いったいなにが虐殺を引き起こしているのか?シェパードはジョン・ポールが姿を表したというチェコに飛ぶが…。

2013-04-25 12.18.59-3

圧巻。圧倒。圧死。

すべての行動に認証が必要になった世界や、ハイテクを駆使した戦闘シーン、繰り返される虐殺……刺激的な描写もあれど、主人公シェパードは戦闘用に感情を麻痺させているので、淡々とすべての話は語られる。

それでいて、スリルが離れることはない。ジョン・ポールの行方、”見えない”追っ手、虐殺の手段。謎はどんどん増えていき、結末にいくにつれどんどん畳まれる。

謎は畳まれた時に「そうだったのか!」というカタルシスを生む。

でも『虐殺器官』はそこで終わらない。

謎が畳まれ、本を閉じた後に、カタルシスというか、本当の「さむけ」がやってくる。

来るかわからない近未来や、遠くの国の戦争のことを語りながら、刃はクルクルとこちらに飛んできて、現代の、いまの僕の足元にザクリと突き刺さるのだ。

一読し、この奇妙な形の警句を知った時、思わず辺りを見回すことになる。目にするもの、口にするもの、すべての見方が変わる。

圧巻の世界観に飲まれ、息詰まる戦闘に圧倒され、現実に押しつぶされる。

少なくとも、僕はそうだった。あなたはどうだろうか。

アンパンマンにモザイク!?『イラン人は面白すぎる!』

イスラム教には「ラマダン」という断食の期間がある。

ラマダンの間は、夜明けから日暮れまで飲食が禁止。80年代のホメイニ政権下では特に厳しく、テレビのグルメ番組も禁止になってしまった。

アニメも例外ではなく、当時イランで放送されていた「アンパンマン」は、なんとアンパンマンの顔にモザイクがかけられてしまった。

ちなみにバイキンマンは食べ物じゃないので顔出しOK。モザイク顔がパンチを繰り出すという、どっちが悪者だかさっぱりわからないことになってしまったという。

こんな「イランすべらない話」が満載の『イラン人は面白すぎる!』、書いたのはお笑いコンビ「デスペラード」のイラン人芸人サラミ。

首都テヘランで幼少期を過ごし、10歳で来日したサラミさん。デスペラードではボケ担当だけど、イランに対しての「ツッコミ」絶妙でとてもおかしい。こんなエピソードとかある。

・イラン人は唯一新・アラーを信仰しているが、あまりに頼りにしてるため、遅刻の言い訳も喧嘩の原因もプロポーズも「アラーの導き」のせいにしてしまう。

・イランのヤンキーは断食の期間中、隠れてケチャップを吸う。

・巡礼の期間はメッカに300万人が集まる。神殿に300万人が殺到して毎年200人くらい圧死する。また、石柱に石を投げる行事では毎年1000人くらいが準備運動不足のため脱臼する。

・イスラムの女性はチャドルという黒い布を全身にまとう。そのため、母親を取り違えた迷子が後を絶たない。

・イスラム教は男女が一緒にいてはいけない。なので出会いの機会がない。そこで、ある男がネットで結婚相手を募集したところ、顔写真入りのメールが殺到!大成功かと思ったら、顔写真はみんなチャドルをかぶってて全然わからなかった。

こんな調子で次々披露されるイランエピソード。誰かに話したくてたまらない!

イスラム教は飲食や恋愛などに多くのタブーがある。そこを「テキトー」に切り抜けようとしてるイラン人の姿。タブーとお笑いは相性が良いわけで、面白くならないわけがないのだった。

ふつうのイラン、アラブのイラン

そんなすべらない話ばかりではなく、むしろすべらない話を入り口に、中東の事情についても分かりやすく説明してくれる。

イスラム教スンニ派とシーア派の違い、実は他のアラブと仲が良くないイラン、イラン・イラク戦争、アメリカ、テロ、アラブの春…。

激動の中東情勢に揺れながら、「イラン=危険なテロリスト国家」とイメージされるのが悲しいサラミ。

日本にいるとイスラム方面はどうしても危険なイメージがつきまとう。でもちゃんと知ってるわけじゃない。前説(はじめに)でサラミさんは言う。

日本のニュースで報じられるイスラム教国、つまりイランを含めた中東・アラブ諸国の情報は、内戦、デモ、ヒゲを生やしたコワモテのオッサンの演説など、よい要素が何ひとつない。そんなメディアが流す奇怪な部分だけが膨張されるばかりで、ふつうの一般国民がどんな生活を送っているか、正しい知識を持っている人は少ないだろう。理解なき嫌悪は、すなわち差別である。

一般の人が暮らす「ふつうのイラン」を知り、揺れる「アラブのイラン」を知るために、最適な一冊だと思います。