未来はそんな悪くないよ『うつ病の常識はほんとうか』

2002年、気分障害や不安障害を持つ人が国別にどれくらいいるか、WHOが調査を行った。

結果、人口に対する有病者の率が1位になったのはアメリカ。次いで2位になったのは、意外なことにニュージーランド。日本はどちらかといえば少ないグループに入っている。

人間よりも羊が多いニュージーランドのような国で、なんでうつ病や不安障害が多いのか?羊が多すぎるのか?

実は上位2つの国には「ある共通点」があるのだと、著者の精神科医・冨高さんは指摘する。

「日本の自殺者数は減少傾向にある」

日本はバブル崩壊後から自殺者が増えている、真面目な人ほどうつ病になりやすい、抗うつ剤は最大量投与しないと効果が出ない……。

なんとなくどこかで聞いたことがある話で、そういうもんなのだろうな、と思っていた。でも、冨高さんさん曰く、これらの定説は「実はしっかり検証されていない」とのこと。ホント!?

例えば日本の自殺者数。

日本の自殺者数は、長らく3万人を超えている。1900年には1万人前後だった。3倍!

世の中やっぱり不幸になってる!三丁目の夕日の世界にも戻るんや!と飛びつく前に、冷静になってほしいのは、1900年の日本の人口は4000人だった、というデータ。単純に人が少ないのだ。

自殺者が増えているかどうかちゃんと比較するためには、人口あたりの自殺者数を見ないといけない。あと、10歳未満は自殺しないし、対して40代〜60代は自殺リスクが高い。人口構造もちゃんと考えないといけない。

そうして比較した結果が載ってる。現代の自殺率は高度成長期のころと同じくらいで、長期的にみると自殺者数は減ってるのだ。むしろ、1960年代、東京オリンピック直前くらいが断トツに多い(ちなみに断トツに低いのはバブル景気のころ)

「常識」に捕らわれず、ちゃんと調べれば真実が手に入る。この本で使われてる自殺率のデータだって、ネットで公表されてるものだそうだ。

ネガティビィティ・バイアスの罠

自殺率が減ってるとか、そんないい話、メディアで言ったらいいんじゃないの?と思う。

でも、マスメディアから流れるのは暗いニュースばかり。なんだか世の中真っ暗な感じに思えてくる。

人間は良い情報よりも悪い情報に関心が向きやすく、記憶にも残りやすい。

これは心理学で「ネガティビィティ・バイアス」と呼ばれる傾向とのこと。厳しい自然界で生存競争を生き残るために身についたものらしい。確かにジャングルでのほほんとしてられない。危険なこと覚えてないと死ぬ。

悪い情報に関心が向きやすい、ということは、関心を向けてもらってナンボのマスメディアとしては、悪い情報を流したほうが注目される。週刊誌の中吊り広告とかエラいことになってる。

情報の受け手は、その悪い情報をまともに受けてるとたまらんことになる。ストレスを横に流せなくなってくる。

自殺の報道があると自殺者が増えるデータもある。ちなみにWHOでは自殺予防のため報道が守るべきことを決めてるけど、日本は全然守られてない。

「未来はそんな悪くないよ」

ところで、最初に話してた、アメリカとニュージーランドの共通点。それは「先進国の中でこの2カ国だけが、処方薬のCMを解禁している」こと。ルルみたいな風邪薬のレベルじゃなくて、お医者さんでもらう本気の薬のCM。

つまり、毎日テレビでうつ病や不安障害の薬のCMが流れている。人前で話すときストレスを感じませんか?2週間憂鬱が続いていませんか?そんなあなたは……。

こんなことずっと言われてたら、ちょっと凹んだ時にすぐ「これって…」って思っちゃう。現に患者が増えてることがデータに現れてる。

情報がごった煮な世の中、大切なのは「気分」だと思う。

悪いニュースに深刻になりすぎないこと。世の中そんなに真っ暗じゃないこと。自殺するなんてもったいないこと。そんなメッセージで気分を上向きにしていかないと、バランスが取れない。

「未来はそんな悪くないよ」と誰かもセンターで歌ってた。もっと心にいいニュースを。栄養を取ったほうが健康にいい。

人間の欲望は検索できない『なぜ本屋に行くとアイデアが生まれるのか』

ネットが普及して、わからないことは検索すれば調べられるようになった。欲しい本はAmazonから届けてもらえるようになった。

でも著者の嶋さんは、毎日本屋に行く。目的がなくても、欲しい本がなくても、たった5分でも。

それはなぜか。本屋は「無駄」で「想定外」な情報を得られる場所だから、と嶋さんは言う。

人間の欲望は検索することができない

嶋さんは「博報堂ケトル」の社長。広告を業としている。常に新しい企画やアイデアを必要とする職業で、みんなが「欲しいな」と思うものを提案しないといけない。

その上で、嶋さんのキーフレーズは、

「人間はすべての欲望を言語化できていない」

ということ。

プレゼントなにが欲しい?と突然聞かれても、う〜んと考えてしまう経験ってある。商品を見て「こういうの欲しかった!」と思うことってある。具体的な「欲しいモノ」 はあったとしても、思ってもなかった「欲しかったモノ」というのもあったりする。

その「欲しかったモノ」は、思ってもないモノなので、言葉にできない。言葉にできないモノは、検索することができない。

つまり、人間の欲望は検索することができないのだ。

そこで嶋さんは、欲望を探しに出かける。本屋の平積み棚に。

本屋にもAKBにも「センター」がある

本屋には多種多様な本が揃っている。目的無しに入っても、思わぬ本を見つけて買ってしまったり、複数の情報を掛け合わせて新しいアイデアが生まれる。

検索が知りたい情報をストレートに調べるのとは逆で、本屋では「無駄」で「偶然」で「想定外」な情報に会えるのだ。

たくさん本屋があるなら図書館でもいいじゃない?と思うけど、本屋にこだわる理由は「毎日アップデートされること」

新刊書が入荷する、売れて歯抜けになった書棚を管理する、売れてる本・売りたい本を平積みにする……本屋に並ぶ本は毎日その姿を変える。

AKBが例えに出されていて「センターが変わると全体の印象が変わる」そうだ。確かに。

一見無駄な情報をストックしておいて、後で掛け合わせる手法は外山滋比古『思考の整理学』にも出てきた気がする。情報カードを一冊の本に置き換えちゃうんだなぁ。しかもそのカード(本)はすでに無数にあって、毎日アップデートされる。こりゃ発想の種に使わない手はないですよね。

「書棚は世界でなければならない」

嶋さんは下北沢に「B&B」という書店を開いている。ビール販売やトークイベントも行ってる本屋さん。

最終章に「B&B」共同経営者の内沼さんとの対談がある。理想の書店像だけじゃなくて、実際に経営してみての話もあるのが興味深い。並べる本の選び方、文脈のある書棚の作り方、本より利益率がいいビール……。

見出しの「書棚は世界でなければならない」は対談で出てきた内沼さんの言葉。狭い空間に、生から死まで、世界の端から端までが詰まっている。書棚を巡ることは一つの旅になる。

本が星座を作り、書棚が宇宙になる。かっこいいなぁ。巻末には「一度は行きたい名書店」のリストもある。この紹介文もまた気になる本屋ばかり。

ネット書店が出てきたからこそ、リアル書店に出来ることがあると思わせてくれる一冊。さぁ書を捨てず、街に出よう!

岸本佐知子『なんらかの事情』 自分がフィクションになる妄想エッセイ

前作『ねにもつタイプ』から6年も経っていたとは!

翻訳家・岸本佐知子さんのエッセイ集。ただの日常エッセイではない、静かなのに鬼気迫る、妄想が現実をジワジワ侵食する、一度読んだら頭の片隅にぶらさがって離れない文章たち。

台所にたまった瓶を整理しようと、テーブルに瓶を全部出してみる。これを全部整理すると思ったら気持ちが盛り上がり、その日は満足して瓶をしまう。次の日、また瓶を出し、処分しようするが、行かないで!やめて!と瓶たちの声が聞こえ、一番どっしりしたウニの空き瓶に説得されてまた瓶をしまう。

誰かのエピソードだと思ったら、その人が本当に存在するのか怪しくなってくる。古いカーナビが道を「海です」と言い出すのを聞いてるうちに、車が海に入っていく。子供のころ友達に存在しない本の話のあらすじを説明され、読みたくてたまらなくなる……。

いわゆる普通の「エッセイ」って、日常のできごとを書き手の視点で描くものが主流。でも岸本さんのそれはとてもインドア。部屋の中、というか、脳の中で奇怪な塔が積み上がっていく。

昔のことを思い出しているうちにドンドン思考がねじ曲がっていく。終いには怪奇小説のような、SFのような、不思議な地点に行ってしまう。自分がお話の中に入ってしまう。

これは果たして「エッセイ」なのか。もはや奇想短編集なんじゃないか。

笑気を吸って悪寒を覚える、奇妙な、奇妙な、エッセイ集。オススメです。

岸本さんが翻訳された『中二階』。昼休みに食事にでかけた男が「オフィスに帰るエスカレターに乗って、降りる」までにした考え事だけで1冊の本になってる、これまたオモシロ奇妙な本。訳すのに3年かかったらしい。(僕の感想文→ 「アメリカ人って日本人だ」 ニコルソン・ベーカー『中二階』| イノミス

その「常識」の作者は誰か? 三崎亜記『ミサキア記のタダシガ記』

『となり町戦争』『廃墟建築士』『玉磨き』の三崎亜記さんのエッセイ集です。

「ダ・ヴィンチ」「本の旅人」に連載していた4年分のエッセイ&本人のTwitter抜粋(ツブヤ記)&書下ろしレポ(ケンブツ記)を収録。

「住んでる自治体がとなりの町と戦争を始める」「廃墟を建てることを専門とする建築家」「全国にバスジャックブームが起きる」など、三崎亜記作品は日常からちょっとずれた非日常、「半日常」とでも言うような設定が多い。それが面白いんですよね。

エッセイもその「日常」や「常識」を疑うものが多く、やっぱりああいうの書く人だなぁ、という印象です。

特に三崎さんは「若者の○○離れ」や「グローバル」「流行色」など、「決まってることに見せかけて、誰かが決めていること」に敏感。「みんな言ってる」の「みんな」って誰?先進国の「先に進む」って何が?と、ボンヤリしてると見過ごしがちなところに光をあてる。

ところで、このエッセイは2009年5月から2013年3月まで収録されている。つまり2011年3月、東日本大震災を途中に経ている。

ここで三崎さんの「決まってることに見せかけて、誰かが決めていること」に敏感なアンテナが反応する。隠蔽や風評、マスコミ不信など、現実に次々起こる出来事に黙っていられなくなる。

それはまるで、三崎作品の中に作者本人が閉じ込められてしまったかのように。

ちょっと硬い感じの感想になっちゃったけど、ゆるい提案や屁理屈(?)も織り込まれてます。特にTwitterは視点もオチも打率良く決まってます。もっと更新してほしいなぁ(2013年は3回しか更新していない

エッセイの挿絵がデイリーポータル Zでお馴染みのべつやくれいさんなのも楽しい。たまに内容と全然関係ない一コマ漫画になってる。べつやくファンも必見です。

そうそう、三崎亜記さんは今回の東京オリンピックの盛り上がり、どう見てるんだろうなぁ。日本中が盛り上がってるように報じるマスコミとか、きっと思うところあるんだろうなぁ。

斜め上ポジティブで乗り切れ!『ブラック会社限界対策委員会』

絵本「りんごかもしれない」の脱力するタッチと発想で、すっかり我が家の心をつかんだ、ヨシタケシンスケさん。

2009年に出たこの単行本は、映画「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」からのスピンオフ企画。

次々寄せられる会社の愚痴に、ヨシタケさんが絵入りで一問一答する形式。これまた、クスクス笑いが止まらない…!

登場する「会社の愚痴」は、映画のスピンオフ企画として公募したもの。「もう一ヶ月も休みがない」「酒癖の悪い上司からの飲みの誘いが断れない」といった”あるある”なものから、「前の席の同僚のモノマネがうるさい」「ゲイの上司に迫られて困っている」といった一癖あるものまで、全部で60個。

このお悩みに「委員会メンバー」がお答えする、という形式なんだけど、斜め上からの回答連発で楽しい。

Q.上司があきらかにズラで、気を使うんですけど。

A.巣から落ちたタマゴを頭であたためているやさしい人だと思うようにしましょう。

Q.たいした事じゃなくてもため息ばかりの上司にうんざりしています。常にネガティブって…

A.ひょっとしたら上司は恋をしているのかもしれません

Q.社員研修で富士山に登らされるのが、しんどい。

A.キライな上司が目の前で滑落するかもしれません。希望を捨てないで。

一事が万事こんな調子。これにゆるいイラストが添えられて効果倍増。ため息ばかりの上司のとこは、部下が飲みの席で「えーっ 言っちゃいなよ!ホラ!」とうつむく上司を肘でつついてたりする。あと、上司が滑落してたりとか。

無責任だけど、真面目に悩んでもしょうがないものは、しょうがないのだ。

斜め上のポジティブでも、ポジティブはポジティブ。ゆるく参りましょう。

こんなお悩み回答もありましたよ。

Q.社会に出て5年、自分があんまり成長していない気がするんですが、このままでいいんでしょうか?

A.先人の知恵、魔法の言葉があります。「大器晩成」(先行っといて〜。あとで追い抜くから〜)

僕も、30代前半のころ、横浜中華街で手相を見てもらったときに「50歳から」と言われた言葉を信じて今を生きています。

来い、大器晩成。

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