1月 262012
 

この前、NHK「クローズアップ現代」でゲーミフィケーションの話題をしていた。

ゲーミフィケーションってなに?っていうと、既存の仕組みに「ゲーム感覚」をうまく取り込んで目的達成を図る取り組み、って感じかな。紹介されていた例だと、社内の評価制度に「いい感じの仕事をした人に”バッチ”を贈り合う」仕組みを取り入れたり、タンパク質の構造を解明するために分子構造をうまく作ると高得点というゲームを作ったら世界中の人がプレイして3週間であっさい解明した、とかだったり。

ゲーム感覚すごいじゃん、って感じですが、その後に「今後の課題」として取り上げられていたのがこんな例。

イギリスでは犯罪抑止のために街中に無数の監視カメラが設置されている。ところがあまりに数が多いので、カメラの映像をチャックすることができない。そこである会社が「ネット経由でカメラを監視して、万引き犯を見つけた人に報酬を与える」というサービスを始めた。見つけたらボタン早押しで通報する仕組み。

提供元は店側から利用料を得て、一部を「監視員」に報酬として渡す。店側は万引きの減少が期待できる。「監視員」はゲーム感覚で通報して報酬を得る。

お金が儲かって犯罪も経る。全体としてはいい感じに見える。でも道徳的にちょっとどうなの、という議論がある。監視カメラに写っている普通の人のプライバシーの問題もあるし、ゲーム感覚で犯罪者を捕まえるのは是か非か。なんか直感的にダメなような気がするけどうまく説明できない。
 

この番組を見ていて、今読んでいる『これからの「正義」の話をしよう』を思い出した。

ちょっと前に話題になったサンデル先生の白熱教室のあれ。最近文庫化されました。当時興味があったけど触れてなかったので、この期に読んでいる次第。とても刺激的でおもしろい。
 

「正義」には3つのアプローチがある、と最初のほうでサンデル先生は言う。

幸福と、自由と、美徳。

全体的にみんな幸福になればいいじゃない、という正義。自由な言動を守るのが大事じゃない、という正義。人として徳のある行動をするべきじゃない、という正義。

どれも「正しいことをする」という根っこはあるけど、突き詰めるとどうしてもぶつかり合って切り離せない。そこをどう折り合いをつけるのか(あるいはつけないのか)を、過去の様々な哲学者たちの言説を紹介しながら巡っていく。
 

「監視員ゲーム」の話に戻ると、お金も儲かって犯罪も減っていいじゃない、というのが「幸福」のアプローチ。功利主義と呼ばれる。とにかく結果的に幸福度があがればよし。でも損をする人は切り捨てるし、そもそも「幸福度」ってどうやって図るの?

ゲーム感覚だとしてもそれでお金を得るのは自由、でも罪のない人が監視されるのは自由じゃない。その人の行動はその人によって選ばれるべき、という「自由」のアプローチ。自由という響きはいいけど、行き過ぎると何やってもいいじゃん関係ないし、みたいなことになる。

監視やゲームの対象となるのことは人間の尊厳に反する、という美徳のアプローチ。人として美しいこと正しいことを追求する。でも美徳とは何か、を定義するのが難しい。
 

混ざり合う幸福/自由/美徳。どれが欠けてもどれが行きすぎても歪みが生じる。いくつもの事例(ホントに悩ましい出来事ばかり!)を混じえて、様々な哲学を当てはめ紹介していく。難しいけど、こちらもすごい考える。

世の中、結論は出ないけど結論を出さないといけないことが次々現れる。日々のニュースを見ていてもそんなことばかり。

「正義とはなにか」は紀元前アリストテレスの頃から考えられていることで、一つの結論が出ているわけではない。でも、いくつもの考え方を学んで、「自分の正義」を形作るのは大いに意味があると思う。
 

まさに、これから「これからの『正義』の話をしよう」の話をしよう、である。
 

あと、ちゃんと最後まで読もうと思う。
 

5月 062011
 

職場や家庭での人間関係というのは永遠のテーマなわけですが、それが「実はすべて自分が原因で引き起こしているのです」と言われたら、どう思います?

いやいやいや。

だってあの部長がさー、とか、うちのカミさんはね…、とかなりますよね。そりゃそうなんです。そうなんですけど、この本は「自分に原因があることに気づく」から出発して、人間関係トラブルを一気に解決に導く本なんです。全米ビジネス書ベストセラー、という触れ込みで、日本でも10万部を突破したらしい。Amazonのレビューも188件中130件が5つ星。なんかすごそう。

カバーの折り返しにはこんな言葉が書いてある。

知っておくべきこと
◇自分への裏切りは、自己欺瞞へ、さらには箱へとつながっていく。
◇箱の中にいると、業績向上に気持ちを集中することができなくなる。
◇自分が人にどのような影響を及ぼすか、成功できるかどうかは、すべて箱の外に出ているか否かにかかっている。
◇他の人々に抵抗するのをやめたとき、箱の外に出ることができる。

これだけ見てもなんだかよくわからない。とりわけ「箱」というキーワードが重要そうな感じ。タイトルにも出てるし。そしてそこから脱出するって書いてある。しかも「箱」の中には自分が入っているらしい。
 

中身は小説次立てになっている。

とある会社の管理職が幹部と1体1の研修をうけることになる。この管理職は一ヶ月前に転職してきた、家庭を顧みない仕事バリバリの人。成果もあげつつあり、なんの研修かよくわからないけど大丈夫っしょ、と行ってみると、幹部からは開口一番「君には問題がある」と宣告される。はぁ!?

その研修こそ「箱」という考え方について学ぶもの。そこから全編通して管理職の心を解きほぐしながら、読者も「箱」についてかんがえる。
 

人は自分を裏切った途端、「箱」の中に入ってしまう、とその幹部は言う。

「あれをやらなきゃな」と思いつつ、疲れていたから、面倒だから、自分がやんなくてもいいから、…と結局やらないまま、なんてことよくありますが、そうやって「やらなきゃな」という自分の思いを裏切ってしまったとき、人は「箱」に入ってしまう。

自分が正しいもん、と「箱」に入ってしまったので、「箱」の中からは外の世界は敵ばかりに見える。こんな疲れてるのは誰のせいだ、これはそもそもあいつがやるべきじゃないか、そうだそうだ、と防御の構えになってしまう。注意されても「だって!」と反論する。

そうこうしているうちに相手も「箱」の中に入ったりして、お互いがお互いを責め合って、事態はまったく進まなくなってしまう。「箱」の中に入る、イコール、仕事にも家庭にもよろしくない結果を産んでしまうのだ。

じゃぁ「箱」の外に出るにはどうしたらいいの?となるけどこれが難しい。本書でもかなり丁寧に慎重に言葉を選んで解説している。キーワードは「相手を人間として尊重すること」

んなこと言っても相手が「箱」の中にいたらどうやって出すの?そんなにずっと「箱」の外にいられるもんなの?「箱」の外に出るってことは自分を正当化しないんだから結局損じゃないの?

様々な疑問・反論を、例を出して問答しながら一つ一つほぐしていく。例が豊富なので、読者もどうしても自分の胸に手を当てて考えてしまうようにできている。「おとなタバコ養成講座」でお馴染み、寄藤文平のイラストもわかりやすい。
 

本書はコミュニケーション本という位置付けになるのだろうけど、小手先のテクニックではなく、もっと根っこの、もっと心の深ーいところの部分をグラグラ揺らしてくる。人生観が変わった、という人が出るのも納得するくらい、なんかここには大事なことが書いてある気がする。

気がする、って書いちゃったのは、まだこの本の言ってることがちゃんと頭と体に入ってないと思うから。「箱」の概念は掴めたようでスルリと逃げてしまう。再読して、血となり肉となって、初めてわかることも多々あるだろう。

人と暮らす以上、人間関係は避けられないもの。素晴らしい未来にみんなで行くために、「箱」から飛び出していけたらな、と願う。オススメ本です。

11月 162010
 

アホな上司、大企業の不祥事、政治家の信じられない失策、なんで管理統制の取れた社会で信じられないミスが起こるのか?

このカラクリを「なぜなら上司は大体みんな無能だから」とザックリ説明できちゃう法則がある。その名も『ピーターの法則』。ちょっと面白かったのでまとめてみました。
 

 

ピーターの法則ってなに?

1969年に教育学者のローレンス・J・ピーターが発見したのが『ピーターの法則』(そのまんま)この『ピーターの法則』、平たく言うとこういうこと。

「人は昇進を続けると、いつか能力の限界まで到達して、”無能”になってしまう」

たとえば、ある工場に有能な工員がいたとして、その人はすごい熱心でノウハウもあって、いろんな機械をすぐ直しちゃうとする。周囲の信頼も厚く、上司の受けもよかったので、班長に出世する。でも班長の仕事は部品の発注とかスケジュールの調整とかで機械は直接いじらない。つまらないので現場にちょっかいかけたり無茶苦茶なスケジュール立てて「できるってー」とか言ったりする。

もちろん班長に昇進しても仕事ができる人もいる。でも同じ理屈で有能な班長が有能な工場長になるとは限らない。有能な工場長が有能な支部長になるとは限らない…

こんな感じで、組織のなかで有能な人はどんどん昇進していくんだけど、いつか”無能”になってしまうところまで到達して、そこでピタッと昇進が止まる(またはポジション的にはあまり変わらんけど役職名がコロコロ変わったりする)

なので、いつしか上司のポストは”無能”な人で埋まってしまう。実際に仕事をしているのは「”無能”レベルに達していない人」がやってることになる。

…ちょっと”無能”って言葉が過激だけど、確かに、有能なプログラマは有能なマネージャーになるとは限らないし、有能な国会議員が有能な総理になるとは限らないしなぁ。最近そんなの良く見るなぁ。

でも、それでもすっごい有能な人もいるんじゃない?
 

昇進の仕組みと”スーパー有能”な人の末路

組織で昇進する条件に「組織の規律を守ってる」というのがある。組織の仲間を増やすわけなので(あと”無能”な上司が昇進を決めるので)うちの組織に良く従ってんなーヨシヨシ、という人が昇進しやすくなる。

逆に、すっごい有能な人は組織のルールを超えて能力を発揮してしまう。従来のやり方を否定したり、自己流のやり方で成果をあげたりするんだけど、組織からみると「はみ出し者」なのでなかなか昇進しない。そのうち転職とかで組織を飛び出してしまうか、腐って自滅してしまう。

…とのこと。

「というわけで上司はみーんな”無能”だよー」と言われると、なーんだやっぱり!という心当たりもあるし、ちょっと気持ちが楽になる。組織のみんながみんな有能で完璧な訳ではないのである。♪フンフーン

…いや待てよ、じゃぁ真面目に働いてると、僕らもいつか”無能”レベルになってしまうのか…? 
 

「創造的無能」のすすめ

昇進すると”無能”レベルになってしまうのなら昇進を断ればいいじゃん、と思いがち。

でも、昇進をバシッと断ると組織の中で「はみ出し者」になるので、今まで通りの仕事ができないかもしれない。昇進を断ったことが女房に知れると愛想をつかされるかもしれない。バシッというのもいろいろマイナスになる可能性がある。

というわけで、本の中でピーターさんは「創造的無能」という方法を伝授する。

「創造的無能」の実例として紹介されてるのがこんなの。

・園芸職人として一流だけど伝票をよくなくす(わざと)
・有能な工場長だけど仕事部屋がグチャグチャ(わざと)
・管理能力に優れた部長だけど、よく社長専用のスペースに車を駐車する(わざと)

つまり、「仕事はできるけど、昇進を持ちかけられないように、本筋とは無関係なところで無能を演じる」のが「創造的無能」なのだ!

…なのだ!

…せこい!あまりにもせこい!

「こんなにがんばってるのに、なんで出世できないんだろうなぁ」なんて言いながら、ボロボロの服で出社したりするだ。コントか!

でもピーターさんは真顔でこう語る。

(創造的無能は)何百万という人々が無能レベルに達するのを防ぎます。その結果、欲求不満を抱えて非生産的状態に陥ったかもしれない何百万という人々が、残された生涯を幸福に、社会の有益な一員として過ごせるようになるでしょう。
(中略)
トータルでどんな結果がもたらされるか知りたいですか?ものすごい数の人間、ものすごい量の時間と創造力と熱意が、生産的な目的のために解き放たれるのです。

 

そうかもしれないなぁ

より効率的に、より正しく、より上へ。

書店に行ってビジネス本の棚を見ると、あまりのガツガツぶりにうんざりすることがある。あんなに仕事論があるのに、仕事で幸せになってる人を見ることは少ない。

やりたいことをやりたいレベルでできるなら、余計なストレスを抱えることもなく、幸せに働けるのかもしれない。

それがホントにできるかは別として、『ピーターの法則』はちょっと頭の隅っこに置いておくと、社会の不条理や自身の能力を、慌てずちょっと冷静に俯瞰できそうな、そんな気がします。

『ピーターの法則』の本の中では、より詳しく”無能”レベルの階層社会について述べられてるし、昇進による上昇志向がもたらす身体的不調、既に”無能”レベルに達してしまった人はどうしたらいいか、など、より丁寧に自説を論じています。

一見、冗談に見えるけども、周りを見渡すとそうかもしれん…と思えるこの法則。異端児のようで王道。おもしろいですよ。

2月 042010
 

 中二階のオフィスへエスカレーターで戻る途中のサラリーマンがめぐらす超ミクロ的考察。靴紐が左右同時期に切れるのはなぜか。牛乳の容器が瓶からカートンに変わったときの素敵な衝撃。ミシン目を発明した人間への熱狂的賛辞等々、これまで誰も書こうとしなかった愉快ですごーく細かい小説。

昼休みを終えた男が、中二階のオフィスにつながっているエスカレーターに向かう場面から始まるのですが、読めども読めどもいつまで経ってもエスカレーターに乗りません。エスカレーターの前でトラブルに巻き込まれているわけではなく、ずっと回想シーン。海外ドラマ『24』はドラマ内の24時間がリアルタイム進行するけれど、この小説は何十秒かの時間を200ページにわたる時空間に引き伸ばしてしまっているのだ。

昼休みが始まるのはチャイムがなった瞬間なのか終わった瞬間か、昼休み前にオフィスで交わす30秒ぐらいの会話をスマートに終わらせるには?、オフィスのドアノブを見て父親がネクタイをノブにかけていたのを思い出す、子供の頃ハイウェイを走る車からリンゴの芯を投げたっけ、このエスカレーターに乗って降りるまでに誰か乗ってきたら電流が流れて僕は死んでしまうことにしよう、そうそうオフィスを出る前にトイレに寄ったのだけど…と、延々と脱線、脱線、また脱線の思考に巻き込まれる。

で、それでイライラするかと思うと全然そんなことはなく、もう面白くて面白くてしかたない。オフィスあるあるネタから、「トイレで隣に他人がいるときに用をたせない」というようなエッセイ、ホチキス・シャンプー・牛乳パックなどの日用品への細かな観察による賛辞まで、作者の脳内がここぞと御開帳される。それは止まらぬジェットコースター。しかしとても小さなコースター。速度はぶっちぎり。

タイトルにつけた「アメリカ人って日本人だ」は、先日行われた「プロフェッショナル・エッセイスト(!?)の作り方」にて、訳者の岸本佐知子さんがこの本を振り返って発した言葉。アメリカ人でもこんなくだらない事やあるあるネタを考えるんだ、こんな話アリなんだと思ったそうです。訳すのに3年かかったとのこと。無理もないなぁ。すごいおもしろかったです。

5月 192006
 
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「ロボット」「園芸家12ヶ月」のチャペックが、愛犬・ダーシェンカのために書いた掌編&エッセイ&イラスト、そして写真。もう猫可愛がりどころか犬可愛がり。優しさに溢れていてラヴ全開。愛犬に語る絵本といった感じで、シンプルなタッチのイラストが雰囲気をさらにやわらかくしています。

またもうフォックステリアの子犬がめっちゃ可愛いですわ。上目使いで!あぁ!基本猫派なんですが、犬もいいなぁ。続編(ダーシェンカ―子犬の生活)にはパラパラ漫画がついてるって…!