興味がないから質問がない

150721sithumon

なにか質問はありますか?と聞かれると、いつもちょっと考えたふりをしてから「特に」と言ってしまう。なにを聞いていいのかわからなくて、インタビューとか取材でも事前にドキドキしながら考える。

というわけで、コミュニケーション関連の本を最近読んでいる。斉藤孝『質問力』を再読しました。内容、すっかり忘れてた。いかん。ユダヤの格言では本を読んでも身にならない人のことを「書物を積んだロバ」っていうらしいですよ。ロバですって。ローバー美々ですって(大股開きニュースでおなじみ)。

『質問力』には、具体的なテクニックが具体的な例と共に解説されている。例に挙げるメンバーが濃い。谷川俊太郎、黒柳徹子、村上龍、河合隼雄、伊丹十三、ダニエル・キイス、ジェームズ・リプトンなどなど。高度すぎて真似できない……と思うけど、最高レベルはこれくらいすごい、という天井を見せてくれている。

で、ひと通り読んで、一番グッと鷲掴みにされたポイントが、実は本編じゃなくて解説。斎藤兆史が解説していて、質問とは教えを乞う行為ではなく、「他人と自分の考えがどこでどのようにずれているのか確認するための作業」と述べたあと。

したがって、質問を発するためには、まずその前提として自分なりの考えがなくてはいけない。質問ができないということは、相手の考えに対置すべき自分の考えがないことを意味する。学習段階の低い児童によく見られる、「何が分からないのかが分からない」状態にあるということだ。(P.232)

疑問を持つのは相手と自分の考えが違うからだし、共感をするのは相手と自分の考えが似ているからだ。相手と自分の間の差分が、質問を生むのだ。

「自分の考え」はそのまま「自分の興味」に置き換えてもいい。相手に興味があって、考えがあれば、「これって?」とか「ですよね」とか、聞いたり沿ったりできる。興味ゼロの相手では「誰?」から始めないといけない。

わー、そうか。興味が無いのか。自分以外の「外側」にもっと興味や好奇心を向けないと質問は出ないのか。テクニックよりもなによりも本質的な部分だった。相手がいるコミュニケーションの話ではなくて、自分の生き方の話になってくるのだった。