信じてるわけじゃない。疑ってないだけ。

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車を運転していると、「こちらの動きを読んだ上で行動している車」に出会うことがある。

例えば、交差点で右折しようとする。減速し、右へハンドルを切って、ゆっくりとアクセルを踏む。すると前方から直進してくる車がいて、こちらが右に曲がりきると同時に後ろをかすめて走り去っていく。ほぼスピードをゆるめずに。

もしも右折の最中に犬が飛び出してきて、僕がキャンッ!とブレーキを踏んで止まったとしたら、直進してくる車は確実にガーン!とぶつかっている。

信じないでほしい、と思う。僕が無事に曲がりきると信じないでほしい。なにが起こるかわからないんだから、そんなところで僕を信頼しないでほしい。しゃっくりが出てハンドル操作を誤るかもしれない。僕にしか見えない少女に驚いてブレーキを踏むかもしれない。そこに女の子が!親方!空から女の子が!

と、考えていて、ふと思った。別に相手は僕を信じているわけではない。

見ず知らずの相手に全幅の信頼をおいて、「大丈夫、あいつはやってくれる。やってくれるさ」と思って直進してくるわけではない。だって知らないもの。誰やねんって話で。

結局、信じる信じないではなく、疑うことを放棄しているんだと思う。起きうる可能性を検討していないのだと思う。想像を諦めているのだと思う。平たく言うと、考えてない。ノープラン。

この「信じられてると思っている」と「考えないで任せている」の不幸な出会いは、ひょっとしたら仕事上でも起きうるかもしれない。

「あいつにでもやらせておけばいいんじゃね」という適当さを見抜けずに、「信じて任された仕事なんだからちゃんとやらなくちゃ……」と気に病んでいる人もいるかもしれない。

「大丈夫大丈夫、完成するから」という丸投げに、「2500億円かかる……どうしよう……」と真っ青な人もいるかもしれない。

ちなみにうちの息子4歳は、「いっしょにレゴでロボットつくろう!」と誘ってきておきながら、パパが作り始めるとどっかに行ってしまいます。信じて任せているのか、適当なのか。まぁ作るんですけど。ロボット。

↓気になってる本。あの競技場、なんであんなことになってんだろ。