クソリプにムッとするのは「冗長率が低い」から

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コミュニケーション教育に、過度な期待をしてはならない。その程度のものだ。その程度のものであること重要だ(P.32)

平田オリザ『わかりあえないことから』を読んだ。副題は「コミュニケーション能力とは何か」。

「自分の主張をはっきりと伝える」と「空気を読んで黙ってる」、どちらもコミュニケーション能力とされている。しゃべったらいいのか黙ったらいいのかわからない。ダブルバインドである、というところから始まる。

「コミュニケーション能力」は一般的には「しゃべり」の能力とされているけど、ダンスだって表現だし、黙っているという表現だってある。理科が苦手、みたいな感じで、しゃべりが苦手、という子どもがいたって別にいい。コミュニケーション教育に、過度な期待をしてはならないのである。

でもコミュニケーションはできたほうがいいし、どうやってその力を身につけるの?となる。これが面白い。演劇的なアプローチ、「会話」と「対話」の違い、知らない人に話しかけられないのはなぜか、日本と海外で決定的に異なる点などなど、事例も含めて解説され腑に落ちるし、これは覚えておかないと! と興奮する。

印象に残っているのは「冗長率を操作する」の項。

平田はアンドロイドを使った演劇を行ってる。アンドロイドが人間っぽく振る舞うには「ノイズ」が大事。

人間って、スラスラしゃべらずに、途中に「あぁ」とか「んー」とか「えーと」とか余計なものが挟まる。この余計なものが含まれる割合を「冗長率」と呼ぶ。

ここでクイズ。

家族との会話、会議での発言、プレゼンや会見、初対面の人との雑談。しゃべる場面はいろいろあれど、その中で「冗長率が多い」のはどんな時か?

正解は「対話をするとき」。

会話でもなく、発表でもない。価値観の違う相手と何かをすり合わせるときが一番多くなる。「えー、まぁおっしゃることはよくわかるんですが、その、例えばこんな見方もですね、あるのではと……」みたいな感じになる。徐々に相手の出方をうかがうから。

逆に、気心知れた人との会話は、背景を共有しているので短い(メシ、風呂、寝る)。プレゼンなどの発表の場では、冗長率が少ないほうが論理的に話しているように聞こえる。

確かに、冗長率の含有量を間違えるとおかしなことになるなぁ。

壇上で「え〜その〜」が多い人は聞いてて不安になる。家族に「確かにそうかもしれませんがしかしですね……」など言うと慇懃無礼になる。Twitterで知らない人から「鳴かないカエルもいますよ」と突然リプライが来るとムッとする。

日本の国語教育は「無駄なことは言わない」「論理的に話す」と冗長率を低くする方向で教えるが、話し上手になるために必要な力は「冗長率を操作できる能力」なのではないか、と平田は言う。

誰かに話しかけるとき、自分の冗長率がどうなっているか気になってしまうのだった。