『いつかX橋で』 いつの時代も悲しく終わる「若気の至り」

仙台駅の北側に、通称「X(エックス)橋」と呼ばれる橋がありました。

「ありました」と過去形なのは、2014年7月に架け替え工事のために撤去されたため(「X橋」見納め 9日深夜、クレーンで撤去 | 河北新報オンラインニュース)。

「X橋」の本来の名称は宮城野橋。JRの線路をまたぐ跨線橋で、両端が二股に分かれていたことから「X橋」と呼ばれるようになった。仙台に住んでいた頃、X橋の存在は知っていたんだけど、あまり使うことがなかった(夜にこの辺を歩いていてカツアゲにあいそうになったことも原因の一つ)。撤去のニュースを教えてもらって初めて、X橋の歴史がとても古いことを知った。誕生したのは1921年。先の戦争より、もっと前のこと。

熊谷達也『いつかX橋で』は、題名にX橋が入っているとおり、仙台が舞台。B29による空襲で仙台の街が業火に包まれるところから始まる。

空襲ですべてを失った祐輔は、仙台駅北の通称X橋で特攻くずれの彰太と出会う。堅実に生きようと靴磨きを始める元優等生と、愚連隊の旗頭となり不良街道まっしぐらな正反対の二人。お互い反発しつつも、復興の街で再スタートを共にする。そして、いつかX橋の上に大きな虹を架けようと誓い合う。不遇な時代に選ばれてしまった人間に、何が希望となり得るのか―心震える感動長編。
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序盤は戦中〜戦後の生々しい街の様子が描かれるものの、祐輔と彰太が生活を共にするようになってからは「青春もの」として展開する。祐輔の恋愛や、彰太の活劇など、ここが戦後だということをたまに忘れそうになる。

この展開に「戦争ものだと思ったのに」と嘆く声もありそう。でも、どんな時代にも若者がいて、青春ってあったはずなんですよね。それがたとえ戦後でも。自分をデカく見せるものの、本当は小さいことに気づいていて、でもなんとか気づかないふりをしてるような、そんな「若気の至り」がどんな時代にもあったと思うんです。

記録の中ではみんな真面目な顔をしているけど、笑うときも、胸焦がす恋も、テンション高いときも、大なり小なりあったはず。泣いたり怒ったりに注目しがちだけど、ちらりとでも明るい表情が出たところにもスポットをあててみたい。『いつかX橋で』の「若気の至り」には、そんな灯りを感じるのです。

物語の終盤にかけては、割とお約束というか、「フラグ」が立っているような展開もあり、ちょっと物足りなさも感じるところも。「若気の至り」はいつの時代も悲しく終わり、時が経ってからやっと語られるもの。戦前から戦後、現代までの移り変わりに全て立ち会ったX橋も、そんなドラマをたくさん見てきたのかもしれません。