サンドウィッチマンが地引き網中継で発揮する「対・地元力」

いまテレビで、一番「生放送のハプニング」を楽しめるコーナーはなにか?

答えはフジ『バイキング』月曜日、サンドウィッチマンの「日本全国地引き網クッキング」である。

「サンドウィッチマンが全国の浜辺に行き、地引き網で捕れた魚をそのまま浜辺で料理して食べる」文字に起こすとなんでもない、地方中継のゆるいコーナーみたいだが、その通りにはまったく進まない。

まず浜辺には地元の人が大勢集まっている。地元のPRをしたい人たち、遠足に来ている幼稚園児、飽きて砂浜に寝そべっている子供、ちょっと離れたところで太鼓を叩きながら踊る集団。あげく、天候不良で目当ての魚が捕れない、料理の先生がマイペースすぎて時間内に完成しないなどメチャクチャ。それはもうてんやわんやで、「塊魂」のステージみたいになっている。

そこにサンドウィッチマンである。地元の人に「これ食べてみてください!」と魚醤を舐めさせられ「しょっぺぇ!」と吐き出す伊達、子供に”宮澤さん”と呼ばれ「全員にジャンピングニーをしてやりました」と富澤。鳴り続く和太鼓に「すげぇじゃまです」と伊達がキレたかと思えば、コメントを噛み倒した神主に「さすがカミの使いですね」と富澤が上手いことを言う。

「地方の素人」が大挙して押し寄せている完全アウェイで、完全に仕切ろうとせず、もみくちゃに流されながらも、素人をいじり倒して笑いを持っていく。

『バイキング』が始まるまで、サンドウィッチマンにはあまりロケのイメージがなかった。それなのに、サンドウィッチマンはどうしてこんなにメチャメチャな現場を回せるのか。

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サンドウィッチマンの名前が売れたのは、M-1グランプリ2007。いまや伝説となった、敗者復活からの優勝劇だった。

漫才で日本一になった彼らだったが、実は彼らのホームは漫才ではなく、コントにある。

M-1グランプリ2007決勝で披露した「街頭アンケート」「ピザ屋」共に、元々はコントのネタ。ライブで「ピザ屋」をやるときは富澤が小道具のピザの箱を無造作に片手にぶら下げて登場する。初のテレビ出演になった2005年の『エンタの神様』でも披露したのはコントでの「街頭アンケート」。『キングオブコント2009』では優勝した東京03と激戦を繰り広げた末に2位となったほどだ。

サンドウィッチマンの基礎はコントにある。コントで確実に笑いを積み上げてきたからこそ、漫才の形でも勝負でき、花開く結果となったのだ。

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『バイキング』の地引き網中継でも、サンドウィッチマンが積み上げてきたものが花開いている。

サンドウィッチマンは地元宮城の東北放送に『サンドのぼんやり〜ぬTV』という冠番組を持っている。

『ぼんやり〜ぬTV』の基本はロケ。宮城県内の様々な場所にサンドウィッチマンと東北放送の名久井アナの3人が訪れる。プロの手ほどきをうけて何かを作る『タモリ倶楽部』的展開もあれば、街をブラブラして「ぼんやり〜ぬ遺産」を探す『モヤさま』的な企画もある。

全国ではロケのイメージのないサンドウィッチマンは、ホームの宮城県で素人との絡みを多くこなしているのだ。

ちなみに2011年3月11日、この『ぼんやり〜ぬTV』のロケで気仙沼を訪れているときに、サンドウィッチマンは東日本大震災に遭遇する。その後「東北魂義援金」の設立など、復興支援の活動のために、さらにサンドウィッチマンは東北を駆けまわっている。

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「日本全国地引き網クッキング」のもう一つの目玉は、番組終了間際の10数秒。

初回(4/7)、スタジオMCの坂上忍が、最後にもう一回呼んでみよう、とサンドウィッチマンを呼んでみると、引きのカメラで山のような人だかりが映しだされ、パッと見中央のサンドウィッチマンが見えない状態になっている。ザワザワする中、一拍置いて、富澤が叫ぶ。

「3ね〜ん、Bぐみ〜!」

大爆笑のまま中継は終了。この流れは毎回繰り返されるようになり、2回目(4/14)は「やっぱりイナバだ、100人乗っても〜!」、3回目(4/21)は「白鶴〜!」の掛け声に全員が「まる!」のポーズを繰り出した。

次回、4/28の地引き網中継は鹿児島から。いったい最後はどんな掛け声になるのか、いまから楽しみで仕方がない。

「インド式日本史」を考える

書店をぶらぶらしていたら、『英語は「インド式」で学べ!』という本が目に入った。

ちょっと前、「インド式算数」が流行った。2桁の掛け算を簡単にするのに、なんかこう、いろいろやるやつだった(覚えていない)。算数だけかと思ったら、英語もインド式があるのか。

他の教科もインド式があるのかな。インド式生物とか。インド式漢文とか。インド式地理とか。

どんどん行き過ぎて、「インド式日本史」が出てきたら、どんな感じになるんだろう。

・聖徳太子は一度に10種類のスパイスを嗅ぎ分けたという。

・毛利元就「一杯のカレーは簡単に完食できるが、三杯のカレーは簡単には完食できない」

・今川軍から塩留めに苦しむ武田信玄の元に、越後の上杉謙信はターメリックを送った。

・豊臣秀吉は兵農分離を進めるため、百姓身分の者のカレー鍋所有を禁じた(カレー狩り)

・本能寺に火を放った明智光秀は、沸騰するまで強火にし、その後は弱火にして煮込み、火を消したあとは粗熱が取れるまで放置したという。

インド式というよりカレー日本史になってしまった。

カレーといえば、最近の「カレー飯」のCMが好き。あんな支離滅裂な夢を見たら、寝汗でビショビショになると思う。

ほのめかす供述

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「へー、取調室って、テレビで観たのよりキレイなのね」
「さぁ、旦那をどうしたのか教えてもらうか」
「あら、探してほしいのはこっちよ」
「どうだか」
「もう1週間も連絡が取れなくって、心配で心配で、腰もちょっとくびれちゃったわ」
「どうだか」
「ところで刑事さん」
「なんだ」
「ここの窓から見えるあの山、あそこには底なし沼があるんですって。何を入れてもすっぽり飲み込んでしまうって話よ。その噂を聞きつけた産廃業者が夜な夜なトラックで乗り付けて、産業廃棄物を毎晩捨ててるんですって。どんなゴミでも綺麗さっぱりなくなるらしいわよ。いやよねぇ。そんなところに、人なんか落ちたら、ひとたまりもないわよねぇ……」
「おい!」
「あら」
「いま、ほのめかしただろ!」
「なんのことかしら?」
「旦那を殺してその底なし沼に沈めたことをほのめかしただろ!」
「いやだわぁ刑事さん、誤解ですわよ」
「ならいいが」
「ところで刑事さん」
「なんだ」
「この時期旅行に行くなら京都がいいわよぉ。暑くもないし、寒くもないし。連休は混んじゃうから、波が引いたその後に行くのがいいわよね。あたしこう見えても古いお寺とか大好きなの。ゴミゴミした喧騒から離れてね、竹林のザワザワしか聞こえないような参道を通ってね、時が止まったみたいよぉ。あの人も一緒に行ければ、いや、行けたらよかったのにね……」
「おい!」
「あら」
「いま、ほのめかしただろ!」
「なんのことかしら?」
「語尾を過去形で言い直すことで暗に相手が死んでいることをほのめかしただろ!」
「いやだわぁ刑事さん、誤解ですわよ」
「ならいいが」
「ところで刑事さん」
「なんだ」
「あなた、8歳になる娘さんがいるんですって?ここに来る前に婦警さんに聞いたわぁ。かわいくてたまらないわよねぇ。傷ひとつつけたくないわよねぇ。大事な一人娘ですもんねぇ。夜道を歩くときはくれぐれも気をつけたほうがいいわよぉ」
「おい!ほのめかしただろ!」」
「なんのことかしら?」
「娘のことを心配すると見せかけて娘に危険が迫っていることをほのめかしただろ!」
「いやだわぁ刑事さん、誤解ですわよ」
「ならいいが」
「ところで刑事さん」
「なんだ」
「うちの旦那はね、馬鹿なの。もうホント馬鹿。あたしが髪を切っても気がつかないし、記念日は毎年忘れちゃうし、指輪のサイズだって間違えるし、LINEに既読がついてるのに読んでないってウソつくし、着てる服だってダサいし、毎晩毎晩飲んで帰ってきてご飯食べてくれないし、うちのダンナ、ホントに馬鹿なの……」
「おい!ほのめかしただろ!」」
「なんのことかしら?」
「旦那の愚痴と見せかけて結局胸の内では旦那のことを愛しているってほのめかしただろ!」
「いやだわぁ刑事さん、誤解ですわよ」
「ならいいが」
「ところで刑事さん」
「なんだ」
「この年で専業主婦だとね、再就職なんかも難しいの。だからあたし、資格取ろうと思って。ほら、AKBのなんとかっ子も勉強してた調剤薬局事務?あんなアイドルも受かるんだから簡単かと思ったら、難しいのねぇ。もう全然勉強してない。昨夜も漫画読んで寝ちゃった。受かる気がしないわぁ……」
「おい!ほのめかしただろ!」
「なんのことかしら?」
「勉強してないしてないと言って周りを油断させておきながら実際はちゃんと勉強してて高得点を取る感じをほのめかしただろ!」
「いやだわぁ刑事さん、誤解ですわよ」
「ならいいが」
「ところで刑事さん」
「なんだ」
「昨日からノドが痛いの。朝起きたらやっぱり治ってなくて、風邪っぽいの。でも気合で治そうと思って今日は来たの。明日もちゃんと来ないとねぇ……」
「おい!ほのめかしただろ!」
「なんのことかしら?」
「前々日から徐々に体調不良であることをチラつかせてアイツなんだか最近具合悪いなぁと思わせておいて休みたい日に仮病を使ってバイトや会社を休む感じをほのめかしただろ!」
「いやだわぁ刑事さん、誤解ですわよ」
「ならいいが」
「ところで刑事さん」
「なんだ」
「あたし、この取り調べが終わったら再婚するの……」
「おい!ほのめかしただろ!」
「なんのことかしら?」
「やっとのことで厳しい取り調べを終え帰路についたところで再婚相手から着信があってウキウキで会う約束を取り付けて電話を切った直後にダンプが突っ込んできて死んでしまうフラグをほのめかしただろ!」
「いやだわぁ刑事さん」
「なんだ」
「旦那がいたら、いま好きな人と再婚なんてできないもんねぇ……」
「おい!」
「あら」
「ほのめかしただろ……!」
「いやだわぁ」

デイリーポータルZ直伝!すべらない記事を作る方法

デイリーポータルZ編集長・林さんの本、『世界のエリートは大事にしないが、普通の人にはそこそこ役立つビジネス書』(略称:ビジネス書)を読みました。

ご覧のとおり、遠目で見ると「ビジネス書」だけしか見えません。マンガで背景の本棚に入っている百科事典に「百科事典」と書いているような、本物と思わせておいてニセモノのあの感じ。

本の中身も、ビジネス書にみせかけて「最小限の努力で仕事ができる(ようにみえる)77の裏ワザ」という、ニセモノ感たっぷりの内容。

例えば……

  • なんでもない言葉を「かっこいいビジネス用語」に変換する
  • プレゼンは笑っている人だけを見る
  • お詫びメールの末尾に「iPhoneから送信」と手打ちして出先から急いで出した感じを出す。

などなど、”ビジネス”に正面からぶつからずに、裏口に三河屋のサブちゃんが入る木戸を作るような、小さな技がたくさん書いてあります。「かっこいいビジネス用語集」なんて8ページも載ってます。「名前だけでも覚えて帰ってください」は「ブランディング」です。

こんな感じで、同じ林さん著書の『死ぬかと思った』みたいに、小ネタ満載の本なのだろうな……と思ったんですが、第2章ぐらいから「デイリーポータルZ」製作の秘訣が惜しげも無く公開されているんです。

毎日高い打率を誇るお笑い系読み物サイト「デイリーポータルZ」が、そのクオリティを保ちながらどうやって続けられているのか。

これが、企画をやる人や、職業ライター、ブロガーまで必見の内容!自分のためにもちょっとまとめました。

笑いを全面に出さない

「デイリーポータルZ」の読み物は、笑いを全面に出さずに、実験や調査という体になっている。なぜか。

すべったときの保険になるから、だそうだ。

企画意図どおりに行かなかったときも「ダメでした」で終わらせることができる。無理にオチをつけたり、体を張って笑いと取ろうとしなくていい。そもそも笑わそうと思っていないから、すべりようがない。

毎日「笑いを取るぞ!」と意気込むと疲れちゃう。続けるためにもゆるさが必要なのである。

無理をしない、興奮を大事にする

とにかく無理したり、努力したり、背伸びしたりということをしない。そもそも努力するなら『ビジネス書』なんてタイトルの本は書かない。

デイリーポータルZはページビュー(PV)を気にしないそう。PVを気にすると、書きたくないものを釣りタイトルで書いたりしちゃうことになるから。それはしたくない。

書き手に対しても、取材が苦手なら取材がいらない記事を書けばいいし、途中で話が変わっちゃってもいいし、オチがなくてもいい。企画の提案も基本的に反対しない。

これは書き手の「興奮」を大事にしているから。

「書きたい!」「伝えたい!」と書き手が興奮している時は、自然と文体にもその興奮が出てくる。うまくいってもいかなくても、そのリアルを伝えればいい。「興奮」があれば記事は熱を持つので、世間で話題になってないことでも「おもしろそう」と思われる。顔出しを推奨しているのもより興奮が伝わるためとのこと。

逆に、ウケそうな記事でも書き手が乗り気ではない時はやめるのだそうだ。無理はしないのである。

常に機嫌よくいる

林さん曰く、アイデアを考えるときの最大の要素は「常に機嫌よくいる」こと。

アイデアを出したり、なにかを面白がろうとしても、機嫌がよくないと「それどころじゃない」とできなくなっちゃう。

機嫌よくい続ける方法も徹底してる。TwitterやFacebookで愚痴ばかり言っている人は外す(仕事のしがらみなどで外せない人は非表示に)、いい評判だけ見る(特に知り合いだらけのFacebook)、不安を煽るメディアは最初から見ないなど、インプットを制限する。ネットに不満や批判を書き込まないなど、ネガティブなアウトプットもしない。

こうすることで、自分の機嫌を保てるだけでなく、「あの人はいつも機嫌がよさそう」と思われ、話しかけられやすくなる。話しかけられやすくなると、ビジネス上でも手を組みましょうと言ってくれる人が現れる。

情けは人のためならず、ならぬ、上機嫌は自分のためならず、である。

実は本当に『ビジネス書』なのではないか

他にも、アイデアの素材を集める方法、お菓子を食べながら会議をする理由、インターネット上の処世術など、ネット黎明期から活動している林さんならではのメソッドがたくさん。

巻末には名作「ペリーがパワポで開国提案書を持ってきたら」「カフカ『変身』をネット通販風に書く」も収録されています。

小ネタ集だと思ってたら、コンテンツ産業にはホントに使える『ビジネス書』なんのではないかなぁ、と頷くことしきり。すぐ手の届くところに置いて仕事に励みたいと思います(「ほめ方にバリエーションをつける」というメソッドも載っています)

ちなみに、帯の後ろにはよくある「読者の声」みたいなものが載っているんですが…

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あくまで「お待ちしています!」であり、「※すべてイメージです」とのことです。手を抜かないなぁ。

タモリにとって「勇気」とはなにか〜『タモリ学』と『嫌われる勇気』

『タモリ学』を読み終わりました。

愛読しているブログ・てれびのスキマさんの著書。「タモリにとって「タモリ」とはなにか?」を旗印に、タモリの発言や関係者の証言を「偽善」「意味」「他者」「希望」などのキーワードに沿って並べて語っていく。

情報源は、過去の出演番組や雑誌のインタビューや対談、関連する芸能人の著書からブログまで多岐にわたる。本人や関係者へのインタビューは一切無い。既に散りばめられている材料を元にタモリ像を立ち上げていく様子は考古学のよう。

そして読み終わってすぐの感想は、「これ、『嫌われる勇気』じゃないか!」だった。

『嫌われる勇気』は、フロイト、ユングに並ぶ心理学の巨匠、アルフレッド・アドラーの思想(アドラー心理学)を物語形式を用いてまとめた本。

アドラー心理学は別名「個人心理学」とも呼ばれ、「どうすれば人は幸せに生きることができるか」という問いに向き合う。

その問いに、アドラーが用意した”答え”と、タモリの生き方が、『タモリ学』を読めば読むほど一致しているのに気づくのだ。

タモリの生き様は、幸せや自由を得ることを約束されたものなのか?

これは早すぎた「タモリの法則」なのだろうか?

「いま、ここ」を真剣に生きる=「これでいいのだ」

『嫌われる勇気』のアドラー心理学は、「トラウマを否定する」ことから始まる。

過去に何が起きていようと、その出来事をどう捉えるかは自分次第。厳しいことを言えば、目の前の困難から逃げるためにトラウマという言葉を利用している(これを「人生の嘘」と呼ぶ)。

変わらない過去や、不確かな未来には執着しない。大切なのは「いま、ここ」であり、その刹那を真剣に生きることを求める。

タモリはどうか。

タモリは、テレビの本番をジャズのアドリブに例え「現場に立ち会っている」生の感じを好む。また、「いいとも!」長続きの秘訣として「反省をしない」と語る。終わったことはしょうがない。「毎日が上出来」と切り替える。

加えて、未来にも希望を持たない。「目標なんて持っちゃいけません」「人間、行き当たりばったりがいちばん」と語る。

タモリには、過去も未来も存在しない。現場の「いま、ここ」を、現状を肯定する。

その生き方は、上京後に居候し、親交を深めた赤塚不二夫の言葉に宿る。

「これでいいのだ」

承認欲求を否定する = 「意味なんてどうだっていい」

アドラー心理学では、承認欲求を否定する。

「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と断言し、これを解消するために、対人関係に生じるあれこれを「自分の課題」か「他者の課題」の2つに分離させる。

自分がやったことに対して、他人がどう思うかは「他者の課題」であり、こちらがヤキモキしようがそれは「自分の課題」ではない。

承認欲求についても同様で、他人が下す承認はあくまで「他者の課題」に基いて下されたもので、「自分の課題」ではない。

人は他人の期待を満たすために生きているのではない。他者の課題には介入せず、自分の信じる最善の道を選ぶことを勧める。

タモリはどうか。

元々タモリの芸は宴会芸であり、舞台で広く見せよう磨いたものではない。「四ヶ国語マージャン」などのネタも、上京後に赤塚不二夫や筒井康隆の「ムチャぶり」にアドリブで応えて生まれたものが多い。

無意味でムチャクチャなものを好み、お笑いの「お約束」には乗らない。MANZAIブームが起きたときも、反骨心から「ウケないのが気持ちいい」とマニアックなモノマネを舞台にかける。

冠婚葬祭も好まず、偽善を嫌う。マニアックで変態。他人に迎合せず、自分の価値判断に従う。

タモリは「自分の課題」にのみ真剣になっているのだ。

タモリにとって「勇気」とはなにか

『嫌われる勇気』では、書名にもある「勇気」という言葉がキーワードになる。

「勇気」といっても、勇ましく何かに立ち向かうという猛々しいイメージではない。やるかやらないかという場面でやるを選ぶ、その決断力を「勇気」という言葉で表現する。

書名の「嫌われる勇気」も、「自由とは、他者から嫌われることである」というアドラーの思想から生まれている。

全ての人から好かれることは不可能であり、承認を求めず自分の道を選ぶことは、誰かに嫌われることを意味する。自由を得るためには、嫌われることを恐れない「勇気」が必要であると。

では、タモリにとって「勇気」とはなにか。

「流されること」ではないかと思うだ。

大学のジャズ研では先輩の口添えで司会を始める、サラリーマン時代に会った山下洋輔に上京を薦められる、上京後赤塚不二夫に出会ってテレビに出るようになり、横澤彪に口説かれて「いいとも!」を始める。

タモリの仕事のほとんどは誰かが持ってきたもの。嫌だと断ればそれまで。その流れに乗るか乗らないか、流されるか流されないかの場面で「流される」を選ぶ。

それがタモリの「勇気」であり、人生に自由を得る手段だったのではないだろうか。

理論編と実践編

他にも「共同体感覚」「自己受容」など、タモリ=アドラーを結ぶキーワードが『タモリ学』『嫌われる勇気』には驚くほどたくさんある。

『嫌われる勇気』を読んで、「こんなことできる人間なんていないよ」と思った人は、ぜひ『タモリ学』を読んでみてほしい。

『タモリ学』を読んで、「この生き方の源泉はなんだろう」と思った人は、ぜひ『嫌われる勇気』を読んでみてほしい。

一見、交わることのない2冊だけど、まさに『嫌われる勇気』:理論編、『タモリ学』:実践編とも言える組み合わせになっているのだ。