「ねばならない」という呪縛

森博嗣『「やりがいのある仕事」という幻想』を読みました。森博嗣が語る仕事論。

助教授として勤務するかたわら、『すべてがFになる』で小説家デビュー。小説からエッセイまで250冊以上の本を書き、50歳を前に大学を退職。現在の仕事量は一日一時間。

そんな森博嗣が語る仕事論である。割も身も蓋もないだろうなぁ、と思ったら、やっぱりそうだった。でも、大事なことも書いてある。人間の価値と仕事とは、無関係である、ということ。

人間の価値は仕事とは無関係

仕事は生活(=金銭を得る)ための手段であって、「仕事をしてるから偉い」「稼いでるからすごい」というのはおかしい、と森博嗣は語る。

「仕事が大変だ」「仕事がツラいんだぞ」というのは、大人が子供に対して”大人は偉い”というのをキープするために使うワードであり、大人のいやらしさだ、とまで断言する。逆に「仕事が生きがい」「仕事が楽しい」という人もいるけど、それならどうして土日休んでいるのか。楽しんじゃないのか。

仕事をしなくて生活できるんなら、別に働く理由などない。働いていなくたって人間の価値は変わらない。

こんな感じで「仕事」について持たれている「常識」を、玉ねぎの皮をむくように一枚一枚はいでいく。仕事=人生ではないと、2つの間をすっぱり斬り裂く。

そうして皮を一枚一枚はいでいくと、最後には芯が残る。その芯がなにかというと、それは自分自身に他ならない。

なにぶんこの世は情報が多いだけに、自分の思うこと(自分の意見だと思っていること)がグラグラ揺れがち。でも、そんな声に揺れず、惑わず、流されず、自分がやりたいこと、好きなこと、「正しい」と思うことを信じる。仕事が大事なんじゃない。自分が大事。

それができれば苦労はしない、身も蓋もない、と感じる人も多いだろうけど、「人間の価値は仕事とは無関係」という言葉は、就活で悩む学生さんを安心させるんじゃないかな。

「~ねばならない」に縛られて

読み通してみて、仕事について知らず知らずに「~ねばならない」と考えていることが多いなぁ、と思わされる。

たぶんこの「~ねばならない」は、仕事に限らずいろんなところに浸透している。

立派な大人にならないといけない。安定した企業に入らないといけない。働く女性は家事も育児もやりとげないといけない。○○歳になったんだからそろそろ落ち着かないといけない……。

「ねばならない」があると、そこに悩みが生まれる。できない。でも、やらねばならない。

逆に言うと、「ねばならない」を持たなければ、悩みは生まれない。

自由奔放な子供がまさにそんな感じ。まぁ大人はそこまで無礼講ではないけれど、悩んでいるときは「ねばならない」のメガネがかかっていないか、ちょっと確認してみるといい。

頭の中がグルグルしてもう何も手につかないとき、「ねばならない」の壁に囲まれてないか、空から自分を見下ろせるようになれたらいい。

「おー、囲まれとる囲まれとる」と気がつけたらしめたもので、壁を壊すなり上から乗り越えるなりできたらいい。壁沿いに歩いても出口は見つからない。

ウェットな世の中に疲れた時、ドライな森博嗣の言葉に乾かしてもらう、そんな一冊です。