Twitterをやってると、悪いニュースがよく流れてくる。暗い話題だったり、誰かが腹を立てていたりする。
今まで知ることがなかったニュースでも、ネットのおかけで知ることができるようになった。でも、わざわざ悪いニュースを探り当てて腹を立ててまた探って…って、なんかこう、気持ちの健康に良くないなぁ。
そんなことを考えていて、ふと気がついた。そういえば、腹の立つニュースはよく流れてくるけど、腹の立つ動画ってあまり流れてこない。
拡散されてする動画って、カワイイ猫だったり、凄技の達人だったり、TEDなどの教養だったり、純粋に「おもしろい」ものが多い。
この違いはなんだろう。ニュース=文章と動画で、拡散される要素が違うのかな?うーん。
「悪いニュース」と「拡散」は相性がいい
…と、文章vs動画でつらつら考えてたんですけど、たぶん、答えはここじゃない。
「いいニュースを文章で読ませるのは、動画より時間がかかるから」なんじゃないだろうか。
悪いニュース(炎上・ゴシップなど) → おもしろい動画 (1分くらい) → いいニュース(丁寧な取材・作り込んだネタ)の順に、コンテンツを消費するのに時間がかかる。
SNSで拡散する行為は、瞬発力を伴う。これは!と一瞬の感情の高ぶりでリツイートやシェアされることが多い。となると、消費する時間が短く、一瞬の感情(=ムカつく!)が湧きやすい悪いニュースと拡散は相性がよい。
一瞬の感情が湧きやすいのは悪いニュースに限らない。例えば震災のときは、なんとかせねば!という感情が動きやすかったから、助けを呼ぶ声が拡散されやすかった。
ブログなど長文を読むのは単純に時間がかかる。その上で、しみじみ読ませたり、最後まで引き込んだり、というのは、文才やネタ選びのセンスが必要になる。感情の湧きかたもゆっくりだ。いろいろ兼ね備えて、拡散にいたるまでのクオリティを持つもの、となると数が少なくなる。
もっとおもしろいモノが広まればいいのにな、と思うけど、ネガティビィティ・バイアスも伴って、悪いニュースが広まりやすいのかな。
なんかちょっと悲しくなると同時に、がんばれいいニュース!と拳が固くなる。
毒をまくより薬をまきたい。石をまくより種をまいて、花を咲かせたい。
photo credit: Sakurako Kitsa via photopin cc