岸本佐知子『なんらかの事情』 自分がフィクションになる妄想エッセイ

前作『ねにもつタイプ』から6年も経っていたとは!

翻訳家・岸本佐知子さんのエッセイ集。ただの日常エッセイではない、静かなのに鬼気迫る、妄想が現実をジワジワ侵食する、一度読んだら頭の片隅にぶらさがって離れない文章たち。

台所にたまった瓶を整理しようと、テーブルに瓶を全部出してみる。これを全部整理すると思ったら気持ちが盛り上がり、その日は満足して瓶をしまう。次の日、また瓶を出し、処分しようするが、行かないで!やめて!と瓶たちの声が聞こえ、一番どっしりしたウニの空き瓶に説得されてまた瓶をしまう。

誰かのエピソードだと思ったら、その人が本当に存在するのか怪しくなってくる。古いカーナビが道を「海です」と言い出すのを聞いてるうちに、車が海に入っていく。子供のころ友達に存在しない本の話のあらすじを説明され、読みたくてたまらなくなる……。

いわゆる普通の「エッセイ」って、日常のできごとを書き手の視点で描くものが主流。でも岸本さんのそれはとてもインドア。部屋の中、というか、脳の中で奇怪な塔が積み上がっていく。

昔のことを思い出しているうちにドンドン思考がねじ曲がっていく。終いには怪奇小説のような、SFのような、不思議な地点に行ってしまう。自分がお話の中に入ってしまう。

これは果たして「エッセイ」なのか。もはや奇想短編集なんじゃないか。

笑気を吸って悪寒を覚える、奇妙な、奇妙な、エッセイ集。オススメです。

岸本さんが翻訳された『中二階』。昼休みに食事にでかけた男が「オフィスに帰るエスカレターに乗って、降りる」までにした考え事だけで1冊の本になってる、これまたオモシロ奇妙な本。訳すのに3年かかったらしい。(僕の感想文→ 「アメリカ人って日本人だ」 ニコルソン・ベーカー『中二階』| イノミス