ちょうどいい「悔しさ」と、人生の遊びかた。

リアル脱出ゲーム『潜水艦ポセイドン号からの脱出』(→公式)に参加してきました。

結果は見事脱出成功!さっそく詳細を…と書きたいところなんですが、『潜水艦〜』はこれから全国ツアーなので、レポはNGなのです。ご了承を。

レポじゃなくて、ゲームについての話を少し。

いいゲームには、ちょうどいい「悔しさ」がある


photo credit: Jean-François Chénier via photopin cc

リアル脱出ゲームで脱出できなかった時って、本当に悔しい。謎解きを聞きながら、もうちょっとだった!と悔しがってしまう。

この「悔しい」って、いいゲームには必ずあるなぁ、と思ったのです。

もう少しだったとか、あとちょっとだったとか、もう1回!とか、ゲームをやってて悔しい!と思う時って、「できてる自分」が想像できてるんですよね。

そりゃ無理だわとか、できるわけないよとか、諦めてしまうようだと「悔しい」にならない。できてる自分が想像できない。別にできなくてもよくなっちゃう。

ボードゲームでも、テレビゲームでも、スマホでも、人気があるゲームにはちょうどいいところに「悔しい」が置いてある。今度はできるかも、と何回もやってしまうのだ。

「悔しい」がちょうどよくないなら、「できた」を変えれば


photo credit: DarkB4Dawn via photopin cc

でも、世の中そんなにできたゲームばかりじゃなくて、「クソゲー」とか「無理ゲー」ってのもある。そんなゲームはやっぱり「悔しい」がいいところに置かれてない。

でも、「悔しい」はコントロールできる。

悔しい時は、「できた自分」が想像できてる。この「できた」は、自分で作ったハードルだから、変えることができる。80点とろうと思ってたけど、60点で良しとするとか。

「悔しい」が変なところにあるんなら、「できた」を変えてしまえばいいのだ。

どんなクソゲーでも、無理ゲーでも、遊び方を変えてしまえばいい。「悔しい」を起こすようにすればいい。

そういえば、人生はゲームって、誰かが歌ってた。

自分が楽しいように遊び方を変えたら、人生も楽しくなるのかもしれない。

明日はなにをして遊ぼうかな。

↑クソゲーを面白くしてしまうといったら、この番組ですよね。