「ちゃんとしてない」からこそ雑談ができる『弱いロボット』

ロボットをイメージしてみてください。

あ、そんな巨大なやつじゃなくていいです。ガンダムとかは忘れてください。

ロボットって、自立して、人の言うことを聞いて、役に立つやつじゃないですか。工場で部品を作ったり、二足歩行で歩いたり、犬もどきだったり。

その真逆、「ちゃんとしてない」ロボットを作った人がこの本の著者の岡田さん。その「ちゃんとしていない」ロボットは、人間と雑談が「ちゃんと」できるんですよ。

岡田さんは元々は音声の研究をしていた人。コンピュータに人間の言葉をわかってもらう「音声認識」の分野の研究をしていた。

iPhoneのSiriを使うとわかるけど、今の音声認識はけっこう精度がいい。言ったことをちゃんとわかってくれる。でも「伝えたいこと」を「ハキハキと」しゃべらないといけない。「えーと、兄さんに、あのー、メールをですね、えー、したい」と話しても、「えー」まで含めて解釈しちゃってうまくいかない。「エート兄さん」になっちゃう。

そもそも人間って、会話する時そんなにずっとハキハキしてない。言いよどむし、順番はめちゃくちゃだし、省略も多い。それでも人間ってちゃんと会話が成立する。不思議。岡田さんはこの「なにげないおしゃべり」すなわり「雑談」を研究することにしよう!と決める。

ロボットは「雑談」ができるか?

コンピュータ同士で雑談ができないかなぁ、と考えていくと、「雑談」の意外な深みを知ることになる。目的のないおしゃべりは、コンピュータが得意とする「予測」ができないのだ。

雑談をするときって、「こんなことがあったよー」と報告が目的のときもあるけど、「寒い~死ぬ~」ぐらいの言葉からドンドン話がおかしな方向に向かっていくことがある。こんな時、相手に「こう答えてほしい」という想いはない。ただ言葉を投げて反応を楽しむ。

おしゃべりとは「相手を支え、相手に委ね、共に場を作る」ことだと岡田さんは気づく。

雑談は、相手に言葉を委ねて、返ってきた言葉を支える。そこにおしゃべりの「場」が生まれる。ボケツッコミ、口喧嘩は言わずもがな、意味不明なピングー語だって会話になりうる。逆に、電車の中で携帯電話で話している人は、片方のボールしか聞こえないのでなんだか落ち着かない。それは「場」がわからないから。

2013-05-07 16.26.09

さてこの「雑談」をロボットにさせるにはどうするか。

ここで岡田さん、普通の「ロボット像」と真逆の道を行く。

冒頭に書いたけど、ロボットのイメージって「ちゃんとしてる」。雑談ロボットはある意味「ちゃんとしていない」。反応は遅いし、たまにピント外れの答えを返すし、しまいには「む~」とわけのわからない言葉を出す。展示会に出すと「何の役に立つの?」と来場者に言われる始末。

でもこのロボット、ちゃんと「雑談」になるんですよ。なんでかって、相手(人間)が勝手にロボットが何を言ってるか想像しちゃうから。

雑談ロボットを老人ホームに持っていくと、おばあちゃんたちに可愛がられる。幼稚園に持っていくと子供たちがお世話を始める。これって、例えば完璧に言葉を返すアンドロイドだったとしたら、起こらない現象な気がするんですよね。「ちゃんとしていない」からこそだと思う。

倒れるかもしれないけど一歩踏み出してみる

「ちゃんとしていない」から、相手に委ねているから、そこにコミュニケーションが生まれる。

コミュニケーション力が大事!と叫ばれる昨今、一見コミュニケーションを放棄したような振る舞いが、逆に人とつながりを見せている。これなんでだろう。

さっきのおばあちゃんや子供たちに共通するのは、相手の「弱さ」を助けようとしているところだと思うんですよね。コミュニケーションって1人ではできなくて、相手がいて初めてできるもの。支えあって場を作る、共同作業なんですよ。

モジモジしたり、言い淀んだり、頼りなくたって、言葉が「場」にポンと出してみる。何が起こるかわからないけど、何かを期待して。歩くときにいちいち「倒れるかも」なんて心配しないように、その一歩を踏み出してみればいい。それをちゃんと受け止めればいい。

本書には雑談ロボット以外にも、「ゴミ箱ロボット」が登場する。自分でゴミを拾うんじゃなくて、ゴミの近くまで行って、通りすがりの人にペコリとお辞儀してゴミを入れてもらうという、他力本願なロボット。これも「ちゃんとしていない」からこそ「支えあう」存在。

踏み出すこと、支えること、両方あってのコミュニケーションだと、「む~む~」言うロボットに気付かされる一冊です。

そういえば、こうやってブログを書くことも、言葉を「場」にポイっと出していることになりますね。

何が起こるかわからないけど、何かを期待して。