「リンク、シェア、フラット」3つの預言 『インターネット的』

2013-02-20 16.05.26

タイトルは『インターネット的』だけど、インターネットのことは、書いてない。

本書は、著者・糸井重里が「ほぼ日刊イトイ新聞」を運営する中で感じてきた「インターネット的」な考えかたについて書かれたもの。

出版されたのは2001年なんだけど、全然古くない。というか、今のネットに通じることがバシッと書かれてる!

読み終わって「…預言の書…か…」と思わずつぶやいた。

糸井さんがインターネットに触れたのが1997年。「ほぼ日」を始めたのが翌年の1998年。まだ、ブログもTwitterもFacebookも全然ない、Googleってのが最近すごいね、のころ。

ちなみに僕がホームページを始めたのも1997年。もう15年くらいやってる。15年…!キリンの寿命や…!(byスパローズ)

インターネットを使うようになって、糸井さんが感じたのは、インターネット自体よりも「インターネット的であること」の可能性。人とつながれる、考えたことを熟成せずに出せる。情報社会が大きく変わる予感がする。

インターネットそのものが何か生み出すわけではなく、それをどう使うか。回転寿司で言うなら、お皿がどういう仕組みで回ってるかじゃなくて、お皿になにを乗せるか。

人と人がリンクされてつながる。それぞれが持つ情報や技術をシェアする。立場も人種も超えてフラットな話し合いができる。これはすごいぞ、と。

繰り返しますけど、この本が出たのは2001年。ソーシャルネットワーク(SNS)なんて考えかたもないころです。まさにいまも「リンク、シェア、フラット」の3つがネットでのキーワードであり、アラブの春に代表されるように世界を動かすことになっている。

驚くのはこれだけじゃなくて、この「リンク、シェア、フラット」を使ったさらに先も考えられてること。

進んだ道を「正解」にしてしまう

長く広告の世界にいた糸井さんは「ターゲットを絞る」ことに違和感を感じ始める。

人って、例えば会社にいる時と家にいる時は役割が違う。会社では「課長」で家では「お父さん」だったり、学校では「教授」でも料理教室では「生徒」だったり、役割というのは場所ごとにクルクル変わる。変わらないのは「総理大臣」くらい。それって大変なことだよね、と。

だから「ターゲットを絞って」狙いを定め、大量のものを大量につくる、ということが成り立たなくなってくるんじゃないか?インターネット的な世の中では、もっと個人が分散して、多様化していくんじゃないか、と予想する。

この予想はビンゴで、その後「ニッチ」「ロングテール」とか言葉ができて、最近では3Dプリンタで個人で小売ができる時代「メーカーズ」とかにつながってる。

「ほぼ日」もニッチの方向で物販を展開する。ほぼ日手帳をはじめ、土鍋、タオル、腹巻などなど、多く作れないけど欲しいもの、を企画して作って売って成長する。

考えるだけじゃなくて、インターネットという場所で「インターネット的」な考えかたを試して、それがその通りになっていく。

「消費のクリエイティブ」

多様化、の考えを進めていった糸井さんが行き着いたのは「消費のクリエイティブ」という言葉。

仮に、いきなりどーんとお金持ちになったとする。100億とかもらっちゃう。好きに使っていい、と言われても、何に使ったらいいかわからない。僕は。普通に牛丼とか食べにいっちゃいそう。

お金持ちの豪邸って、高価な絵やら壺やら宝石やら、ザクザク買われて置いてある。でもそれって、ほんとに欲しかったものなのかな。どうやってお金を使ったらいいかわからなくて、なんでもいいから高いもの買って、「こんなのが買えた!」と思いたいだけなんじゃないかな。

かつて糸井さんが書いたコピーに「ほしいものが ほしいわ」というものがある。消費者は自分がなにがほしいのか、実はよくわかってない。

若者の車離れ、とか言われるけど、離れた代わりに他のモノを買ってるはず。「車を持ってる」といったステータスとしての買い物がされなくなって、買う人たちが多様化してくいま、売る側は「ほしいもの」を作ることが大事なことになっている。

これが「消費のクリエイティブ」。

だいぶインターネットから離れたけど、「インターネット的」な考えかたはまだまだ大事にする必要があると思う。

ほんと、もう、これはね、預言の書ですよ。「当たってる!」だけにとどまらず「これからもこうかも…!」と思わせられます。

※ご参考
ほぼ日刊イトイ新聞 – インターネット的。
「ほぼ日刊イトイ新聞」で本書について糸井重里が語るコンテンツ。2001年のもの。