「体育館裏でタバコを吸う不良」と、SNSにこぼれ落ちる言葉について

photo:film night | self portrait by Adam Foster | Codefor

体育館裏でタバコを吸う不良が昔から不思議だった。隠れるなら、ちゃんと隠れればいいのに。

いちおう、体育館の裏という目立たない場所ではあるけれど、一度見つかった場所と同じ場所で喫煙を繰り返したり、吸い殻をそのままにしたり、タバコ臭い息で授業に出たり、およそ隠ぺいとはほど遠かった。

僕はいわゆる「中学の時イケてない」部類に入っていた。全校集会で彼らのことが問題になる度、ちゃんと証拠を消せばいいのにな、と思っていた。頭悪いな、とすら思った。

隠したいならちゃんと見つからないように策を練ればいい。そうではなく、反抗心を示したいなら隠れて吸わないで堂々と廊下で吸ったりすればいい。見つからないか、見せるかの二択なのに、と、理詰めで考えて不思議がった。

でも最近になって、彼らの行動が理解できるようになった。

といっても36歳の僕が体育館裏で隠れてタバコを吸いだしたわけではない。Twitterやfacebookなど、ソーシャルネットワーク(SNS)でのことだ。

辛かったり心が弱ってる時、逆に何かに怒っている時、SNSにポロリと言葉を書きたくなる。知っている人が読むかもしれないし。知らない人だってそれを目にする。

実生活で人に言わない弱音や本音なら、心にしまっておけばいい。どうしても言いたいなら、実生活で誰かに言えばいい。でもどちらでもなく、流れる川にポチャンと石を投げるように、ネットに言葉をこぼしてしまう。誰が見るか、何が起きるか、わからない。でも、何かを期待して。

見つからないか、見せるかの二択じゃなかった。見つけてほしい、という選択肢もあったのだ。

体育館裏でタバコを吸う不良も、喫煙が目的なのではなく、「隠れて喫煙して誰かにみつかる」までが一つのプロセスだったのだな、と今になって腑に落ちた。

自分からアクションを起こさず、誰かから差し伸べられる手を待つ。でも何もしないと誰もこないから、ちょっとだけ目立つなにかをする。

頭悪いな、とまで思っていたことが、自分にそのまま返ってきた。

それで、だからこうしよう、という前向きな結論にはならなくて、結局、このブログも流れる川に投げる石のようなものだな、と、ここまで書いて気がついた。なんだかな。

まぁでも、川に投げちゃおう。

どぼーん。

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5件のコメント

  1. 最後、何投げたの!? どぼーんって!! デカい石をトリャーと?そんな元気があるなら大丈夫か、とか、いや、もう、この人のセンス好きだわー。…って何コクってんの私(笑) RT @inomsk 「体育館裏でタバコを吸う不良」と http://t.co/x072o8E3

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