本当に「大丈夫」なのだろうか

自分は両親に恩返しができているのだろうか、と、ずっと考えている。

結婚して、子供(親にとっての孫)ができて、それでもずっと考えている。

親は子を想うあまり、気を使ったり、謙遜したり、あまのじゃくになったりする。だから、子にしてみると、本当に喜んでいるのか?といちいち疑ってしまう。疑うの良くないし失礼なことだけど、どうしても気になってしまう。

乱暴に分ければ、親から子へのリアクションは以下の4パターンになる。
 

(1)本当に大丈夫で、子に大丈夫と伝える。
(2)本当は大丈夫じゃないけど、子に大丈夫と伝える。
(3)本当は大丈夫だけど、子に大丈夫ではないと伝える。
(4)本当に大丈夫ではなくて、子に大丈夫ではないと伝える。
 

正直に言うと、僕は(2)のパターンに悩んでいる。一つの優しさの形なのだとは思う。思うのだけれど、それで安心してたら実は違っていた、という経験があるのだ。とてもショックだった。一度(2)や(3)のパターンを経験すると、もうどのパターンなのかわからなくなるのだ。

盆と正月の帰省や、母の日、父の日、敬老の日。節目節目でとても悩む。過ぎてからやっぱり違ったかもしれないと悔やむ。そうやって考えていること自体が孝行のひとつ、と言われたことがある。でも、もうむしろ「呪い」に近い。何をやってもダメな気がする。まして、実家は東日本大震災で被災してしまった。ますますわからなくなった。
 

一連の生活保護の騒動を遠巻きに見ながら、ここのところずっと悩んでいる。
 

僕の父は、母は、本当に大丈夫で、僕に大丈夫と言ってくれているのだろうか。
 

マットレスはマットだけどマット”レス”なのはなぜだ

Éole Airlines by Éole

 

なんだか知らないけど、よくいろんなトラブルに巻き込まれる人というのがいる。

僕の友人にもいるわけなんですけど、また小さなトラブルに巻き込まれてこんなTweetをしてました。

そんなこと言われたことない。なんでまたそんな人に会っちゃうんだろう。やけになって「何ヶ月かかってもマットレスを細切れに分解して普通ゴミに出す」とか言ってる。いやいやいや待て待て待て。

でも確かにマットなのにマット”レス”ってなんでだろ。自身の存在を否定している感じ。マグリットの「イメージの裏切り」(1929)みたい。


↑パイプの絵なんだけど「これはパイプではない」と書いてある。
 

芸術作品まで出してきて例えるほどのことでもなかったか。

素直に調べてみましたよ。マットレスの綴りはmattress。語源はアラビア語で「横たわる場所」を意味する「Matrah」らしい。つまり”レス”の部分はワイアレス(Wireless)のように不要を意味する”less”ではないみたいです。なるほどー。

というわけでマットレスはちゃんと粗大ゴミに出してね!
 

あまり関係ないけど、高校時代「asってaの複数形ですか?」と質問して英語教師を絶句させた人のことを思い出したりもした。何もわかってないこと極まりなかった。
 

電気羊はアップルパイを作る夢をみるか

Gray day on the factory (see large, please) by bernat…

 

娘五歳は「アップルパイを作る夢をみた」と話す。

最近料理に興味を持ち始めている娘五歳である。お菓子大好き。でっかいオーブンでやいたのとか言ってた。みんなで食べたのかな。楽しそうでなにより。

一方、パパは「部長から一方的に単身赴任を言い渡され激しく憤る」という夢をみていた。

なんだこの差は。

いいなぁ。パパもアップルパイ作る夢みたい。ビジネスライクな夢じゃなくてファンシーな夢をみたい。キスに撃たれて眠りたい(吉川晃司)

でも「アップルパイを作る夢」もビジネスな感じだったらどうしよう。
 

表面の傷などでそのままでは商品にならなくなったリンゴを扱うアップルパイ工場。傷んだリンゴが裁断され煮詰められていく生産ラインを目で追う。単身赴任で訪れて三ヶ月。ようやく工場の管理業務にも慣れ、人間関係も把握してきた。むしろこれからが本番とも言える。長引く不景気。追い討ちをかける電気料金値上げ。本社から叩かれ下請けからは突き上げられる日々。生産効率を上げるにも設備投資が追いつかない。昨日面接して採用したバイトが来ていない。また斎藤さんが来月のシフトのことで揉めている。検査で不合格になったアップルパイが晩飯の代わり…。
 

「パパ〜なんの夢みてたの〜?」
「アップルパイを…作る夢…」
「いいなぁ〜」
 

よくない。全然よくない。寝汗でビッショリだ。
 

死を招く青い光、死を遠ざける青い光

train spotting by Katie Tegtmeyer

 

最近、駅のホームの先端付近に青色LEDの照明が灯っていることがある。

なんかあそこだけムーディーな雰囲気だな、と思ってたんだけどちゃんと意味があるらしい。「飛び込み防止」なんだそうだ。

なんでも、青色LEDが放つ光には人間の気持ちを落ち着かせる効果があるとのこと。青色の光のもとで心を落ち着かせて思い直してもらう狙い。海外では街の照明を全て青色LEDにする実験を行ったところ、犯罪発生率が下がったなんて効果もあったとか。

特に毎日のように起きる人身事故に悩まされている首都圏の鉄道では、対応策はなんでも試してみようと導入しているみたい。ただのムーディーじゃなかった。右から左へ受け流すところだった。そのムーディーでもなかった。
 

でもあの青い光、どっかで見たことあるな…と思ったらコンビニだ。LEDじゃないけど、青くぼんやり光ってるやつ。夏場に店先でバチバチしてるやつ。飛んで火にいる夏の虫のやつ。
 

かたや死を思いとどまらせる青い光、かたや死を招く青い光…。
 

もし戦隊ヒーローの悪者的なやつがこの二つを入れ替えたらとんでもないことになる。ホームでは人身事故が多発し、コンビニに飛び込む人がいなくなる。大変だ。

あ、コンビニは落ち着いて買い物できるからいいのかも、と一瞬思ったけど虫を退治できてないのでやっぱり落ち着いていられない。大変だ。
 

ダメだ入れ替えちゃ。誰だそんなこと言い出したの。

人間ドックで思い出すスタンプラリー人生

REST HERE! by open-arms

 
先週、人間ドックに行ってきたんですよ。

健康診断用の施設で受けてきたんですけど、そこ、隣が生保のビルで、一階が仏壇のショールームでした。なんとかならなかったのか。人間ドック終わって、辺りを見回して、「そういうことかー」とかなるのか。ならなかった。よかった。よかったですよ。ほんとうに。

立地に問題はあったけれども、人間ドックって、実はそんなに嫌じゃない。

検査を受けて、次の検査に行って、受けて、次に向かって、というがなんか楽しい。関門を次々クリアしていく感じ。採血クリア!とか、バリウム突破!とか。早く全部クリアしたくなる。

こういうスタンプラリー形式が楽しいのってなんだろう。小さな事でも、たとえ少しでも、自力で前へ進んだと実感することが幸福感につながるのかな。

毎日にスタンプを押すように暮らせば、毎日がまた変わっていくかもしれない。
 

これで思い出すのは博多大吉の「年齢学序説」。内容は以前書いた感想をご覧いただくとして、やっぱりこの言葉が好きなので、再びここを引用してしまおう。

 個人的には、人生はスタンプラリーだと思っている。人は誰しも「記憶」という台紙を持ち、そこに「思い出」というスタンプを押しながら、それぞれの「寿命」という有効期限内を生きているのだ。

 どうせ押すというならば、できるだけ色鮮やかなスタンプを押したいと思うのが人間である。だからこそ、我々には「向上心」という名の「欲望」が装備されているのではないだろうか?無論、その出来映えには個人差がある。懸命に努力してもスタンプがズレたり、予想外のアクシデントで上下が逆になったり、一瞬の判断ミスで色が滲んだりすることも、人生においては多々あるだろう。

しかし、決して忘れてはいけないのは、それでも「押している」ということだ。そこに「優劣」は断じてない。そこにあるのは、その出来栄えに本人が満足しているかどうか、ただその一点だけなのだ。 (P.150)

白黒の毎日に、ポスン、ポスンとカラフルなスタンプを押していきたい。

判で押すだけの日々と暗くなることもあるかもだけど、たくさん押して、押して、遠目から見たらキレイな模様になってるかもしれない。

そう信じて。ポスン、ポスン。