「自分が影響を受けたゲーム」は7年前から変わっていなかった #5games

こんにちは。30代の元ゲーセン野郎です。

Twitterで#5gamesという「自分が影響を受けたゲームを5選ぶ」というハッシュタグがあって、自分だったらなんなんだろうなーと考えた。で、5つ選んだ。

で、そういえば昔こんなのあったぞ?と思って過去の記事を調べたら、はてなダイアリーをやってた時に「Game Baton」っていうのが回ってきてゲーム5個選んでた。あったなー、バトンブーム。

Game Batonに答えたのは2005年なんだけど、2012年の今選んだのと比べたら、全然変わってなかった。7年経ってるのに。完全に一致。びっくり。

最近ゲーム自体やらなくなったのもあると思うけど、10代~20代前半にハマったものは、もう自分の中に染み付いてて、擦っても揉まれても落ちないんだなぁ、と改めて感じた。あの頃はゲーセンにずっと居たもんなぁ。

2005年に選んだ5個のゲーム。紹介文も嬉々として書いているのがわかって我ながら面白い。懐かしいタイトルもどんどん出てくる。ちょっと恥ずかしいテンションの文章だけど、そのまんま転載しようと思います。それでは、どうぞ。

=====

■タイムパイロット(1982 コナミ)

子供のころ、田舎の祖父母の家が大好きで。それはもう両親が自分を置いて帰るぐらいだった。祖母とはよく近所のデパート(エンドーチェーン)に連れて行ってもらい、ゲームコーナーで遊ばせてもらっていた。その時にやってたのがタイムパイロット。小さい子供でも、ボタンばしばし、レバーぐるぐるでそこそこ遊べたからかもしれない。エレベーターアクションやロードランナーやアルカノイドやバーガータイムやオペレーションタイガーもあった気がするが、さすがに即死だったと思う。
 

■アウトゾーン(1990 東亜プラン)

自分が始めて一周できた縦シュー。

ゲーセンに通うようになっても小遣いが増えるわけではなく、プレイ回数をこなせないため上達もせず、じーっと友達の達人をプレイを眺める日々。何度も見ているうちに敵の出現パターンを覚え、攻略法を得てからプレイするというスタイルだった。東亜の中でもゆるい方に上げられる本作で自身がつき、以後縦シューターと化す。が、ヴィマナ、ヴイファイヴ、バツグン、グリッドシーカー、ノストラダムス、と、誰も知らない路線の攻略に進みだしてしまう。

横シューだとUS.NAVY、ウルフファング、ザ・グレートラグタイムショー、鋼鉄要塞シュトラール、パロディウスだ!、ダライアス外伝あたりやってました。あー、シューティングじゃないけどエドワード・ランディ好きでした。デコはよかった。
 

■リッジレーサー(1993 ナムコ)

レースゲーもよくやったもので、ポールポジション、アウトラン、ウィニングラン、ホットチェイス、シスコヒート、チェイスH.Q.、S.C.I、アウトランナーズなどなどやれど、一番衝撃を受けたのがリッジレーサー。高校3年の冬、仙台の予備校に模試を受けに行った帰りに初めて遭遇。テクスチャマッピングを使ったリアルな背景は当時とても斬新で、かなりの衝撃を受けた。しかし地元にはしばらく全く入荷せず、ゲーメストを眺めながらやきもきする日が続く。同時期にSEGAから出たデイトナUSAも同手法を用いていたが、リアルな挙動を捨ててエンターテイメントに徹したリッジシリーズに以後陶酔することになる。
 

■レイフォース(1993 タイトー)

センター試験の前日。緊張して逆に勉強が手につかない中で行ったいつものゲーセン。その日に入荷していたレイフォース。とにかくその演出に心奪われる。ポリゴンを使わずに、拡大縮小のみで高低差を巧みに演出し、宇宙から地球へ降りていく様子を描き出していく様子は今までにない興奮だった。そしてなによりもロックオンレーザーを用いてパズル的要素を含んだ点数稼ぎ。ゲーセンを出る頃にはいかに1面で最高点を出すかで頭がいっぱいになっていた。次の日センター試験なのに。

試験終了後、仙台のゲーセンで早速やりこんだのは言うまでもない。
 

■DanceDanceRevolution(1998 コナミ)

スト2に代表される格闘ゲーのブームにすっかり乗り遅れ、しばらくゲーセンから遠ざかっていた自分を引き戻したのがビートマニアに始まる音ゲー。 BEMANIシリーズ第3弾としてデビューしたDDRは、社会人になって金銭的に余裕が出てきた自分を完全に絡め取ったのだった。当時全国でDDRのチームが出来ていたなか、いつのまにか仙台のチームに入り、一晩中汗だくで踊り明かしてみたり、DDR2ndMIXが出たが三本木町のROUND1にしか入荷してないという時は後輩たちと車で1時間以上かけて向かってプレイしたほど。高得点よりもパフォーマンス重視でダンスの真似事をしていたが、今自分のプレイしている様子を見せられたら赤面のあまり鬱血して死ぬと思う。あの頃の足腰が今欲しい。

音ゲーはその後ギタドラ、ツデラ、ポップン、ステッピングステージ、VJ、パカパカパッション、ギタージャム、キーボードマニア、シャカットタンバリン、サンバでアミーゴなどなど手を出してはいたものの、DDRのアドレナリン放出度には敵わないのだった。
 
=====

ちなみにDDRの項にある「赤面のあまり鬱血して死ぬ」のも今も変わぬ思い。若さって罪だ…。

Ridge Racer Slipstream

(2014.03.28時点)
posted with ポチレバ

1件のコメント

コメントは停止中です。