「不運」を無くすためには「幸運」も無くそう

 
会社に行く道すがら、不運を無くすにはどうしたらいいのかなぁ、とボンヤリ考えていた。

運が無い、運が悪い、ツイてない、と思うことを無くすということは、そういう状況を作らなければいい。運任せの勝負事を極力減らしちゃえばいいんじゃない?と考えた。

例えば。

・ギャンブルをしない
・折り畳み傘を常に持ち歩く
・うがい手洗いで風邪を予防する
・何かを決めるときジャンケンじゃなくて話し合う
・不正をしない

などなど。

「本命がコケるかよ~」「雨かよ~」「この場面で風邪かよ~」みたいな「ツイてねぇなぁ~」という状況を起きないようにしちゃう。備えあれば憂いなし。最後の「不正をしない」は「スピード違反で捕まるなんてツイてねぇ」なんて言う人向け。そもそもスピード違反なんかしちゃだめである。ツイてるツイてないではない。
 

で、ここまで考えてさらに思った。

「ツイてる~」があるから、「ツイてねぇ~」が存在しちゃうんじゃないか?
 

つまり幸運という考え方があるから、幸運じゃないことは不運になっちゃうんじゃないか。幸運と不運はセットになっちゃってる?

何事もポジティブに「ラッキー!」と考えるのもいいけれど、裏を返せばアンラッキーと思ったことを捉え直しているわけで、そもそも最初に「これはアンラッキーだな」と思っている。

となると、もう「運」という考え方を忘れたほうがいいのかもしれない。

「不運」を無くすには「幸運」も無くさないといけないのではないか。自分が考えて、手を動かして、足で歩いて起きたことが、よかったり悪かったりする。それは運じゃなくて、やることをやった「結果」のはずである。
 

アクシデントが起きたら、不運のせいではなく原因を把握する。

いい事が起きたら、幸運のせいではなく他人に感謝して自分を褒める。
 

自分を褒めるのには「俺天才!」までいくとなんか面倒そうだから、「ヨシヨシ」と頭を撫でるくらいでいい。

サイコロを降るゲームとか、自然災害とか、自分ではどうにもならないことは多いけど、世の中どうにもならないことだらけでもない。自ら運に任せない。任せなさいと胸をはる。

自分にできることを見つけて、日々に感謝しながら、自分を「ヨシヨシ」と褒めれるように暮らしていけたらなぁ、と願うのだ。
 

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