被災地・宮城県石巻市に帰省してきました。

 
5/3~5/5まで、地元、宮城県石巻市に帰省してきました。

とはいえ、石巻市にあった実家は1階部分が水没し、もう人が住める状態ではありません。実家に住んでいた両親は東松島市の祖母の家に同居しています。

実家があった付近を見て来ました。

実家は海から2,3km離れた住宅地にありました。こんなところまで津波がくるなんて、というのが正直な思いです。父の車で近くまで送ってもらい、ここから先は救援車両の邪魔になるから歩いていこう、と車を降りました。

普段するはずのない、潮の匂いがしました。まるで車を停めるように、あちこちに船がうちあげられています。

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震災から二ヶ月近く経ってましたが、そんな月日が経ったとは全然思えないほどめちゃめちゃです。これでも片付いたほうなんだ、と父がつぶやきます。

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実家の隣の児童公園は、瓦礫の山になっていました。ブランコがあったはずですが、流れてきた車がぶつかって壊れてしまったそうです。

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実家の中も見てきましたが…まぁ大変なことになっていました。写真は割愛させてください。

津波はガラスを破り、一階の天井付近まで押し寄せました。ソファやサイドボードといった家具が押し波・引き波と共に部屋の中を動きまわり、壁は穴だらけです。台所を見てみると、冷蔵庫が上下逆さまになっています。こんな状況なのに、なぜか水道がでます。

庭はヘドロで埋まっていました。庭と道路を隔てるブロック塀は、上1個分がキレイになくなっていました。2階に取り残されて様子を見ていた母曰く、流されてきたトラックが削りとって行ったそう。トラックは道なりに流されて右折したと言ってました。

震災当日、実家にいた母は地震でメチャメチャになった部屋を片付けていました。1階の和室を片付けて、ふと外を見るとみるみる波がやってきます。慌てて携帯を掴んで2階に登り、そのまま取り残されました。もしもトイレに入ってたらアウトだった、と言っています。翌日の夕方にボートで助けだされるまで、喉の渇きは積もった雪を食べてしのいだそうです。

父も地震があった時は実家にいました。大きな揺れだったため、東松島の祖母の様子を見に車ででかけました。しかし道路が陥没して大渋滞。気が短い父はエイヤッと山側の裏道に抜けました。その後津波がやってきて、渋滞の車列は流されてしまいました。父の気の短さが、まさかこんなところで命を救うとは。

実家を後にして、近くの工業地帯まで行ってみます。海沿いのエリアです。

車でちょっと行っただけでこんな景色。

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この辺で2/28にセブンイレブンがオープンしたらしいのですが、跡形もありません。工業地帯から丸太やトラックが流され、家々を襲ったそうです。

大きな被害を受けた日本製紙の工場です。専用の貨物線のレールが浮いています。見えにくいですが、煙突と煙突の間に巨大な鯉のぼりがはためいていました。

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巨大なロール紙がいくつも流されています。在庫は全損だそうです。

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被害が大きかった地域の一つ、南浜町です。

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多くの住宅が津波と火災の被害に会いました。全壊・半壊の家を取り壊して瓦礫の状態にしているとのことで、震災から二ヶ月経ってもまだこのような状態です。車が通ると粉塵が舞い上がります。

石巻随一の景勝地、日和山に登ってみました。市街の付近から海をのぞむことができます。先ほどの南浜町が見えます。こんな穏やかな海を、いつも見ていました。

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反対側の市街地を見てみます。

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石巻は川沿いに港ができ、そこから街が発展していきました。津波は川を登ってあちこちに爪あとを残していました。中瀬、と呼ばれている三角州には映画館もあったのですが、土台しか残っていないそうです。あそこで「魔女の宅急便」を見ました。

日和山の上には誰が書いたのか、手書きの『石巻市民憲章』が掲げてありました。

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石巻市民憲章

まもりたいものがある
  それは生命(いのち)のいとなみ
  豊かな自然

つたえたいものがある
  それは先人の知恵
  郷土の誇り

たいせつにしたいものがある
  それは人の絆(きずな)
  感謝のこころ

わたしたちは 石巻で生きていく 
  共につくろう 輝く未来

テレビのニュースでは、復興が始まりつつあるように見えても、現地の様子をみるとまだまだ途方も無い時間が必要だな…と肌で感じます。

GW以降、ボランティアの数も激減してると聞きます。誰もが現地に行けるわけではありません。せめて、この被害が忘れ去られ風化しないよう祈るばかりです。
 
車で街を走っていたら、珍しい虹がかかっていました。雲の上にかかる横一線の虹。「環水平アーク」という珍しい現象だそうです。復興の、一筋の光となってくれたらと思います。

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帰りは仙台駅まで両親に車で送ってもらいました。

新幹線の改札まで来て、記念に、と言って、両親にカメラを向けました。嫌がる素振りを見せながら、しぶしぶ寄る二人。

1枚目、親父が目をつぶってしました。

2枚目、今度は母親が目をつぶってしまいました。

「気が合わないのよねぇこの人」「うるせぇ悪かったな」と言い合ってる様子を、こっそり3枚目におさめました。

二人とも笑顔でした。

本当に、生きててくれてよかった。
 

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