ご報告

ご無沙汰しております。

生まれも育ちも実家も石巻、INOです。

311の大震災。未曾有の地震と津波で大ダメージを受けた石巻市ですが、うちの両親および親類縁者はみんな奇跡的に無事でした。床上浸水はあったものの、家屋倒壊は免れました。

いま親族は避難所暮らしはしておらず、ダメージが少なかった家屋にそれぞれ身を寄せて暮らしているようです。ライフラインも買い物も少しずつ復旧しているとのこと。

地震が起きた夜、僕は会社から家まで4時間かけて歩いて帰ってきました。家についてテレビを見て、呆然としました。翌日、朝日が照らし出した三陸は目を覆う惨状で、自分が暮らしていた地域、行ったことがある場所、知っている地名、ことごとく、津波が飲み込んでいました。ずっとテレビとTwitterにかじりついていました。

地震直後は両親とは連絡が取れたのですが、津波で実家の一階部分が水没して二階に母親が取り残されている、という情報を最後に連絡が途絶えました。ご丁寧に母親は二階ベランダから写メまで送ってきてました。お向かいの一階建てが屋根まで水没している写真。焦っているせいか、ひらがなだらけで句読点もない文面をつけて。

電話もメールも通じないまま日は過ぎ、妹から「全員無事」のメールをもらったのは震災から五日後。生きた心地がしませんでした。ラジオから流れる歌に泣いたりしてました。次の日会社休みました。

石巻は湾岸に製紙工場などの工業地帯があり、湾内や川沿いに漁船が停泊する港町。北上川に直結する市の中心部が受けたダメージも相当なものです。(こちらのブログで様子を知ることができました → 石巻・女川の震災被害)多くの奪われた人命にお悔やみ申し上げるのはもちろんのこと、サルコヤの猿が…とか、岡田劇場が…とか、現地を知るだけにローカルで小さなショックもたくさんです。

僕はと言えば、すぐにも現地に飛んで行きたいけど行けない現状に、故郷を思い出してはグスングスンと涙目の毎日です。家族や友人に支えられてなんとか過ごしています。子供の笑顔・無邪気さに助けられています。もちろん、カミさんにも。

最近ではTwitter(@inomsk)に細々と小さな日常ネタを書いてます。娘のおもしろ発言とかに、和む~と反応いただいたりしています。

いまは不安や不信、節電に自粛ムードでギスギス・イライラしがちなご時世で、お笑いなんて不謹慎!と言われがちですが、クスクス笑いや和む笑いなど、小さな笑いなら一瞬でもフッと楽になる事もあるのかも…と思っています。

こちら、読書と小ネタのブログです。小さな笑いなら、お届けできるかなと。またそのうちこちらでも小ネタを更新すると思います。
 
ここまで、プライベートの僕を知る人のためのご報告と、一度自分の中で整理するために書いてみました。真顔です。たまには真顔で書くのもいいですね(ほら、ギャップでモテるとかなんとか!)
 
 
両手を思い切り振って、大声あげて、ジャンプして、オーイ!オーイ!オーイ!
 
 
東北に、宮城に、石巻に、力いっぱいのエールを。
 
 
 
【追伸】
読書方面ですが、人が死ぬ話(やれ密室でどうとか)はしばらく読めないと思います…。なにとぞご理解の程を。