念写の人

今は見なくなったけど、昔テレビでよく超能力特集があって、ポラロイドカメラで念写をする超能力者なんかがいた。

でも、よく考えてみる。

その人、「ポラロイドカメラ」という機械があるからこそ、その能力を発揮できるのである。ポラロイドカメラがないと、ただの人なのだ。

ポラロイドカメラがない時代にも念写の人がいたと思うけど、何にもできないまま、ただの人として歴史に埋もれていったと思う。

ポラロイドカメラが世に出たとき、念写の人に華の時代が訪れる。なに俺、なんか変なことできるよ!マジで!見て見て!

しかし、2008年米ポラロイドが経営破綻。ポラロイドカメラは生産中止になってしまった。ここでまた、念写の人はただの人に戻ってしまう。

ポラロイドカメラに翻弄される念写の人。すごい特殊なことができるのに、機械の商機に左右される念写の人。チェキの登場に色めきだった念写の人。デジカメの波に乗りたいのに手も足も出ない念写の人。携帯を前にして写メも試した念写の人。ダメもとでプリクラにも行ってみた念写の人…

そんな念写の人に朗報である。

Impossible Project、ポラロイドカメラ用フィルムを発売

米ポラロイドは、2008年にポラロイドカメラ用フィルムなどを生産していた工場を閉鎖後、経営破たん。2009年6月にサミット・グローバル・グループがポラロイドのイメージング関連製品の生産・販売権を5年契約で締結。国内においては、サミット・グローバル・ジャパンがポラロイドブランドのデジタルカメラ製品の生産・販売を行なっている。また、インスタントカメラの新製品を2010年中に発売するとしている。

2010年の今年、念写の夏がやってくる。

実はあなたにも念写の能力があるかもしれない。

リンゴを食べたければ、皮を剥くことだ。

至極当たり前のことでも、それっぽく書くと意味を持ち始める。

以前にも「無料で見れるホームページ100」というコラムで「普通のことを魅力的なブログタイトルにする」というのをやったのだけど、ビジネス関連でもその手の例え話があったりするものである。

偉そうな人が当たり前のことを言っても、なんか秘められた意図があるんじゃないかとか疑ってしまう。もう、いろいろ意味深な言い回しにしてみればいいんじゃないだろうか。

・より遠くに行きたければ、さらなる運賃を必要とする。
・「ウォーリーをさがせ!」を細部まで観察すれば、必ず、ウォーリーがいる。
・みりんがなくても、一人で暮らすことはできる。
・かさぶたをはがすか、そのままにするか、その選択が傷の治りを左右する。
・原田泰造と堀内健が組んでいたフローレンスというコンビに名倉潤が加わった。それが今のネプチューンになった。これが何を意味しているかわかるかね。

これを全部「って、ドラッカーが言ってました」とか「大前研一が東洋経済で書いてました」とか言えばみんなちょっと考え込んで、勝手に何か見つけてしまうと思う。

まぁ、普通がいちばん大事ということですよね。

2ボタンラジコンの思い出

子供のころ、ラジコンがブームになったときがあった。まだミニ4駆が登場する何年も前。

近所の子供たちが親に買ってもらったラジコンで、レースをしたりして遊んでいた。持っていない自分はその様子を眺めるしかなかった。欲しい。欲しいので親にねだった。が、なかなか買ってもらえなかった。

ある日、スーパーに買い物に行った時のこと、売り場の一角にラジコンが売っていた。ワゴンにつまれていた箱。赤いボディの車。黒光りするリモコン。「これでいい?」「うん!」即答だったと思う。

わくわくと家に帰り、箱を開けてみて、なんかおかしなことに気が付いた。

リモコンにボタンが2個あるだけなのだ。

他の子の持ってるラジコンは、リモコンに2個のツマミがあって、上下に動くツマミが前進・後退、左右に動くツマミが右折・左折の操作になっていたはず。なぜボタン?そして2個?

その謎は翌日、我が家の前で執り行われた壮行式にて判明する。

2個のボタンを仮にAボタン・Bボタンと呼ぶと、Aボタンはアクセルだった。前に押すと進んだ。なんとなくそう思ってたのでこれには納得できた。

もう1個、Bボタンを押した時、赤いボディに異変が起きた。

バックしたのだ。しかも右に。

車庫入れみたいにバックした。そしてBボタンを押し続けると、バックの状態で反時計回りにグルグルと回り続ける。

これには驚いた。でも、子供心にちょっと嬉しかった。他のみんなのラジコンにはない動き!斬新!みんなに見せびらかそう!

しかしその興奮も、いざ友達とレースをしようとなった時に一気にしぼんでしまった。カーブでどうしても負ける。

単純に時計回りに1週するコースでも、コーナーに来ると、Bボタンオン!→後ろ向きにグルグル回って方向を合わせる→Aボタンオン!という大変面倒くさいことになった。大差で負けた。まったく別の乗り物だった。

もうレースは諦めて、グルッと後ろに回って前進、グルッと後ろに回って前進を繰り返して遊んだ。アスリート達の横で踊る曲芸師のようだった。それで十分楽しかった。

思えば、今でも世の中をまっすぐ見ずに面白い方向に見て楽しむのも、こういう経験から来ているのかもしれない。たまには変な方向にバックしてみるのもいいもんだ、とぼんやり考える。

悲しみジョニー

つぶやきシローがボキャブラで売れた後しばらくして、UAが「悲しみジョニー」という曲を出した。

当時、そんな名前のピン芸人がいればいいと思った。

ジョニーなので、ちょっとワイルドなイメージ。長身で細身。ボサボサの長髪茶髪にグラサン。革ジャン革パンブーツ。客席を睨むように舞台の真ん中にゆっくりと現れて、ペットが死んだとか、「こちら側のどこからでも切れます」の袋がどちら側からも切れなかったとか、小さな悲しいことあるあるを言う。

「家畜人ヤプー」とかでも、どうしても同じ目線で見てしまう。

まぁ、特に困ることはないです。

3Dというリアル

世の中、映画もテレビも3Dに注目があつまっている。

ところで、エースコックのスーパーカップ「ガッシリ3Dめん」を見るたび、3Dじゃない麺など存在しないとモヤモヤした思いに駆られる。

同じモヤモヤは「立体顔メーク」やモーグルの「3Dエア」でも感じる。どれも現実だ。3Dだ。今さら何を言っているんだと思う。

山に登って、景色を見下ろして、「グラフィック超キレイー」と言うようなもんだと思う。

もうアバターも劇団四季が舞台化しちゃって、「劇団四季のアバターは3Dらしい」というキャッチコピーにすればいろいろお金が動くんじゃないかと思う。