なぜ桃太郎は豆をまかなかったのか

節分が「豆をまく」から「恵方巻を食べる」という行事にシフトしようとしている。

豆まきには、まかれた豆を嫌がって鬼が逃げていく、という明確なビジュアルがある。恵方巻は黙って太巻きを食べるのみだ。うわっ、太巻き食べてる!と逃げる鬼の姿は浮かばない。いま、節分には「動」から「静」への変化が起きている。

と、ここまで書いてどうしても気になるのは、桃太郎は鬼ヶ島に向かうさい、鬼が嫌がる豆を持って行けばよかったのに、なぜキビ団子しか持たされなかったのか、という点だ。

豆をまけば鬼は逃げる。その隙をついた攻撃を行えばかなり有利な戦いができただろう。しかし実際はキビ団子欲しさに仲間になった動物たちが活躍する。これは全くのラッキーで、動物たちが桃太郎に逢わなければキビ団子を渡す機会はない。キビ団子は桃太郎自身が食べたか、ヤケになって鬼に投げつけて鬼に「で?」と言われる可能性だってある。

思うに、ここにはおばあさんによる桃太郎への遠回しな殺意があったのではないか。

鬼退治に有効な豆を渡さず、あえてキビ団子を渡す。あわよくば桃太郎は鬼にやられて死んでしまうかもしれないし、うっかり鬼を退治できてしまうかもしれない。居候の桃太郎か、悪さをする鬼たちか、どっちに転んでもどっちかを消すことができる。そして自分にはダメージがない。江戸川乱歩いうところの「蓋然性(プロバビリティ)の犯罪」というやつだ。

昔話とはいえ、その計算高さには戦慄せざるをえない。たぶん、おばあさんは桃太郎が出かけた後、含み笑いをしながら、恵方巻を食べていると思う。